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母語でないことばで書く人びと

第3回:ジュンパ・ラヒリ

 


 

ジュンパ・ラヒリは、1967年、コルカタ(カルカッタ)出身のベンガル人の両親のもとにロンドンで生を受けた。幼少時に渡米し、家庭内ではベンガル語、外では英語を使用しながら育った。1999年に「病気の通訳」でO・ヘンリー賞を受賞、同作収録のデビュー短編集『停電の夜に』でニューヨーカー新人賞、ピュリツァー賞などを独占し、その後も『その名にちなんで』、『見知らぬ場所』、『低地』など、数々の作品を英語で発表して注目を浴びてきた作家である。一方で、『わたしのいるところ』などの佳編をものした、瞠目どうもくすべきイタリア語表現作家としても知られている。

本稿では、ラヒリのイタリア語での初のエッセイ集『べつの言葉で』(原題:In altre parole)を紐解きつつ、彼女の言語観や半生に肉迫してみたい。本書は既に英語の作家として文名を馳せていたラヒリが、イタリア語に出合って懸想けそうした人生の断片を活写したものであり、そこにはイタリア語への溢れんばかりの情熱が感知される。21篇の随筆に加え、2篇の掌編小説も収録されている。

ラヒリは、30年近く前にフィレンツェで初めて生のイタリア語が耳朶じだに触れた刹那、「ほとんど何もわからないのに、何かがわかる」という感覚を抱き、「わたしとつながりがあるに違いない言語のような気がする。ある日偶然出会ってすぐに絆とか情愛を感じる人のような気がする。まだ知らないことばかりなのに、何年も前から知っているような」えにしを感じたという(p.14)。これは言語にも人間同様に「相性」なるものが存在するということを示している。私もフランス語をはじめ、幾多の言語を学んできたが、最終的に研究対象として残ったのは、その麗質に心を領された韓国語だった。韓国語を選び取った理由を内在的観点、外在的観点の双方から論理的に語ることは可能だが1、それは自らの選択に対する後方視的な弁疏べんそであって、実はもっと原始的な皮膚感覚を正当化するための無粋な挙証をしているに過ぎないのかもしれない。好きな言語についてなぜ好きなのかを説明するのは、恋人の好きなところを列挙するような〈腑分け主義的人間観〉のさもしさと似ている。運命的と言ってもよい〈入れ替え不能な存在〉への愛の理由を、いくら情理を尽くして説示しても、その先にあるのは、いつまでも言い得た実感を伴わない不全感であり、ときに無限背進むげんはいしんに陥ってしまうだろう。それは「固有名は確定記述の束に還元されない」という、ソール・クリプキの命題にも通ずるものである2。ラヒリにとってイタリア語はそうした「固有名詞的」な存在そのもののように見える。さらに、彼女は次のようにも叙述している。

「人は誰かに恋をすると、永遠に生きたいと思う。自分の味わう感動や歓喜が長続きすることを切望する。イタリア語で読んでいるとき、わたしには同じような思いがわき起こる。わたしは死にたくない。死ぬことは言葉の発見の終わりを意味するわけだから。毎日覚えるべき新しい単語があるだろうから」(p.32)

換言すれば、イタリア語は生き続けることの根拠だということである。これほどまでの言語への直截的な愛の表現を私は他に知らない。

しかしながら、そうした恋愛に喩えられるロマンティシズムも、歳月をけみするにつれて、成熟した母性的な愛へと移ろってゆく。それは例えば、「生まれたばかりの赤ん坊のように抱きかかえているわたしのイタリア語を守りたい」(p.77)などといった一節に見取れる。この文脈においては、ラヒリにとって、英語は長男、イタリア語は次男だが、「この二人の兄弟は対等ではなく、お気に入りは弟だ。イタリア語に対して、わたしは中立の立場は取れない」と明言している(p.78)。恋人の如き存在であったイタリア語は、あたかもラヒリがそれと一体化したことによって宿した嬰児みどりごのような「無条件の愛」の対象に変容したのである。

ところで、ラヒリは何故に、イタリア語という第3の言語にここまで没入したのだろうか。その淵源えんげんは〈母なることば=ベンガル語〉と〈継母なることば=英語〉との角逐かくちくにある。ベンガル語は「両親を満足させるため」、英語は「アメリカで生き残るため」に、それぞれ内面化させようとしてきたが、子どもの頃の彼女は「どちらとも一体になれなかった」と回顧している(p.96)。アメリカ人の友だちの前でベンガル語を話さねばならないのが恥ずかしく、同時にそれを恥ずかしく感じることも恥じていたという。英語に訛りがある両親とアメリカ社会との媒介者としての役割も期待され3、複雑な情動に苛まれたりもした(p.98)4。そうした長きに亙る葛藤の末、ラヒリはイタリア語を「発見」する。文化人類学者の川田順造は〈文化の三角測量〉という名の下に、文化研究における参照点の複数性の重要さを強調したが5、ラヒリにとっても、イタリア語という第3の視座が加わることで、三角形が形成され、相剋そうこくしていたベンガル語と英語の力学が変化していく。ラヒリ曰く「イタリア語を勉強するのは、わたしの人生における英語とベンガル語の長い対立から逃れることだと思う。母も継母も拒否すること。自立した道だ」p.99)

イタリア語と出合ったことで、ラヒリは未知なる〈領土〉を拓いた。それによって、ベンガル語や英語を〈再領土化〉したと言えるかもしれない。幼い頃から、2つの言語に引き裂かれてきた彼女にとって、イタリア語との邂逅は、この上ない僥倖ぎょうこうであったことだろう。別の言語を領土化するとは、新たに生まれ変わり、「変身」することにほかならないからである。他者の言語の獲得は、言語的相対論の立場から照明すれば、新しい世界認識がインストールされることを意味する。

しかし、どうしても超克し得ない壁もある。例えば、顔貌がんぼうによって、イタリア人から「わたしたちの言語に触るな。これはあんたのものじゃない」と言われているように感じることがあるという(p.90)。これはリービ英雄の〈ことばの所有権〉を想起させるような記述でもあるが6、他者の言語に真剣に向き合ったことがある者であれば、かかる類の疎外感には強く共振するところがあろう。言語とはそもそも「個」に属するものであって、国家・国籍と言語の付着は近代的作為の帰結であるにもかかわらず、未だにこうした旧態依然たる態度が蕃衍はんえんしているのはどこの国も同様であることを私は改めて嘆かわしく思ったりもする。

さらに、「わたしには祖国も特定の文化もない」(p.59)といった、いわば「デラシネ」としての苦悩や、「とても居心地がいいイタリアで、わたしはかつてないほど不完全だと感じる」(p.73)といった欠落感の表出も見える。しかし、そうした煩悶こそが彼女をイタリア語で書くことに向かわせる。それは「書きたいという欲求は、常に希望とともに絶望から生まれるもの」(p.58)というラヒリ自身の言からも著明である。また、英語ほどは語感が随伴しないからか、「英語でははっきり言う勇気のなかったことが、イタリア語では表現できる」7(p.132)と述べているのも興味深い。言語との遠邇えんじの差によって生じる、こうした感覚もきっと多くの言語学習者が経験したことがあるのではなかろうか。我々は他者の言語を媒質として、もっと開放的な「別人」を生きられる可能性を潜有している。非母語で表現することは、〈二重の演技性〉を帯びていると言ってよい。

『べつの言葉で』は、卓絶したメタファーに満ちた優れたエッセイであると同時に、作家ジュンパ・ラヒリのイタリア語学習記録としても読解し得る。彼女の学びへの誠実さと謙抑さが諸処に感じられ、言語学習のひとつの規矩きくを提示してくれているようでもある。それは「コスパ」重視の陋劣ろうれつな言語学習観の対極にあり、見習うべきところが多い。学ぶ過程での不安や憂慮について、真率に開陳しているのも清々しい。そして、ラヒリのような才気煥発な作家であっても、言語学習に捷径しょうけいはなく、日子を費やして漸悟ぜんごするほかないということは、新たな言語が誰にでも平等に開かれていることの証左だと結してよいだろう。本書は、すべての言語学習者のための応援歌である。

「わたしにあるのは意志と、わかってもらえる、自分自身が理解できる、という盲目的だが心からの信頼だけだ」(p.41)

意志と信頼。シンプルだが、言語学習にとって最も重要だと私が思うラヒリの至言を引いて、擱筆したい。

 

 


・書誌情報
『べつの言葉で』、ジュンパ・ラヒリ著、中嶋浩郎訳、新潮社、2015年


・注
1 例えば、私の考える韓国語の面白さについては、辻野裕紀(2022)「韓国語 日本語人を「言語学者」にする言語」(『群像』2022年3月号、講談社)などで読める。

2 クリプキ、ソール・A(1985)『名指しと必然性:様相の形而上学と心身問題』、八木沢敬、野家啓一訳、産業図書

3 かつて写真家のジェイコブ・リースは、このような移民の子どもたちを“go-betweens”と呼んだ。

4 こうした体験は、いわゆるCODA(Children of Deaf Adults)を連想させたりもする。CODAについては、イギル・ボラ(2020)『きらめく拍手の音:手で話す人々とともに生きる』(矢澤浩子訳、リトルモア)、また『韓国朝鮮の文化と社会』20(韓国・朝鮮文化研究会編、風響社、2021年)所収の拙文を参照されたい。

5 川田順造(2008)『文化の三角測量:川田順造講演集』、人文書院

6 リービ英雄(2001)『日本語を書く部屋』、岩波書店

7 この一節は、本書本文ではなく、「訳者あとがき」に引かれた、ラヒリへのインタビューでの発言からの引用。

 

Illustration: Maiko Suzuki

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著者略歴

  1. 辻野 裕紀

    九州大学大学院言語文化研究院准教授、同大学大学院地球社会統合科学府准教授、同大学韓国研究センター副センター長。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。誠信女子大学校人文科学大学(韓国)専任講師を経て、2012年に九州大学へ着任。専門は言語学、韓国語学、言語思想論。文学関連の仕事も。人文学一般、教育、医療、幸福、アートなどにも幅広く関心がある。著書に『形と形が出合うとき:現代韓国語の形態音韻論的研究』、共編著書に『日韓の交流と共生:多様性の過去・現在・未来』(いずれも九州大学出版会)がある。東京の神田神保町にある書店PASSAGE by ALL REVIEWSに「辻野裕紀の本棚」を展開中。音声プラットフォームVoicyで「生き延びるためのことばたち」という番組も配信している。

    Twitter:@bookcafe_LT
    Instagram:@tsujino_yuki

    Photo ©松本慎一

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