第3回 繰り返しの題名
ブルボン小林さんの新連載、「グググのぐっとくる題名」。小説や演劇、映画、音楽、漫画や絵画……あらゆる作品の、「内容」はほとんど問題にせず、主に題名「だけ」をじっくりと考
第3回目は、1987年のリリース以来聴かれ続ける人気曲と、心地よい響きに満ちた中華小説、気鋭の詩人による短編集、そして80年代のガールズバンド曲の題名を鑑賞します!(編集部)
Creepy Nutsのヒット曲『Bling-Bang-Bang-Born』のサビ(ブリンバンバン……と繰り返すところ)は久保田利伸のヒット曲『流星のサドル』と同じだ。
ほらほら、ここ同じ、とうちの子に聞かせて煙たがられていたのだが、最近サービスで「よーるーを超ーえていくのさー」と歌ってくれるようになった。親の趣味が古いから、最新の曲と昭和の歌とチャンポンでインプットしていく。
冷蔵庫を開けながら西城秀樹『ブーメランストリート』のブーメランを「マーガリン」に入れ替えて歌っていたのには驚いた。
「マーガリンマーガリンマーガリンマーガリンきっとー あなたは戻ってくるだろうー」(親の自分がそんなふうに歌ってることで覚えたのは明らかなのに、なんで! と思った)。
歌の中のそういった繰り返しには意味がほぼない。
『ブーメランストリート』も、ブーメランのように君は戻ってくる、という「主旨」を伝えるとき「ブーメラン」を連呼することにあまり意味がない(はず)。意味でないならなんなのか。気持ちよさだ。
語を繰り返すことに、意味の付加はない。童謡の『グリーングリーン』とかもだ。『Bling-Bang-Bang-Born』のサビだってそう。意味ではない、反復の心地よさ。
そしてその心地よさは本編だけでない、題名にさえ反映されるという話。
1.『リンダリンダ』
ザ・ブルーハーツの曲名
『リンダリンダ』THE BLUE HEARTS(トライエム/メルダック)
これも令和の小学生も知っている(うちの子も知ってた)曲だが、この『リンダリンダ』は(あえて内容について思い至すとき)「リンダ」という題名でも構わないようにいっけん、思える。
曲名が「リンダ」で、内容は変わらず(愛について語ったあと、サビでリンダリンダと連呼するだけ)。そういう曲でも、別に困ることはなかろう。
アン・ルイスのヒット曲にも「リンダ」がある(竹内まりや作)が、なんか物足りないということはない(当たり前だ)。
ただ、曲名が人名だけのとき、その題名は「その人を歌ってるんだ」ということの宣言になる。ワンショットだ。
「グリーングリーン」が「グリーン」という曲名だったら、緑がむき出しだ。緑ということを強烈に思うことになる。
普通なら「二度繰り返す」のは強調の効果をあげるはずなのだが、歌詞や題名で同じ語を繰り返すと、言葉から意味が遠のいて響きが前景化する。
語の繰り返しは「意味が付加されない」と先に書いたが、それ以上にむしろ「意味をもぎとる」んだと思う。
(だから、長渕剛の『順子』が「順子順子」だったら台無しである。順子のことをこそ伝えたい=テーマなのだから)。
そういえばこの曲は、(内容にまで踏み込んで考えたとき)リンダが特定の女性かどうかさえあやふやだ。歌詞中には「君」が出てくるが、その君がリンダだとイコールで結ぶ描写は実はない(そもそも、リンダが人名という断定さえできない。よくある外国人名だからそう受け取るだけの、聞き手の先入観かもしれない)。
「テーマ」は歌詞中の「ドブネズミみたいに美しく」とか「愛じゃなくても~」のところにあるのかもしれないが(この作者のことだから、テーマも特にないといいそうだが)、それらは題名にはなから採用されていない。リンダという人さえも響きにまぎれてしまった。
言葉を楽器、鈴のように取り扱うことで、強烈に覚えやすく大勢の耳に自然と馴染む題名となったわけだ。
・『グリーングリーン』 ニュー・クリスティ・ミンストレルズ原曲の曲名(日本語版の作詞は片岡輝による)
2.『パッキパキ北京』
綿矢りさの小説の題名
題名ありきで小説を立ち上げたんじゃないかとさえ思える、口誦の気持ちよさに満ちた名題名だ。
パ、パ、ペのP音の繰り返しが目立つのだが、それだけじゃない。
パッ「キ」パ「キ」ぺ「き」んのki音の繰り返しも見逃したくない。
「パ」「パ」「ぺ」と「キ」「キ」「き」。キ音に挟まれたパ音とペ音の組み合わせの良さが音楽的な魅力をうんでいる。
「パキパキ」だと普通のオノマトペとして分かる。乾いている。硬いけど折れる。そういうイメージが既にあるだろう。最近は「(薬や酒が)決まる」意味もあるらしい(参考:市販薬で“パキる”のが流行 /「関西テレビNEWS」2023年1月9日記事より)。
二文字目の小さいツは、オノマトペをかなり強めている(カッチカチに固まる。ボッコボコにしてやんよ、などのように)。かなりパキパキなわけだ。
北京という「地名」に本来つくようなオノマトペなのかは分からない。この題で初めてみるが、リズミカルな音の楽しさの背後に、「薬がガンガンに決まる」ようなアブノーマルな気配が仕込まれて、異国の都市の猥雑な匂いも立ち上がってくる。
その分からなさが本編への興味をいざなうし(ヤバいなにかがガン決まりなのか分からないが)、知る前から音の響きの良さですでに軽く勝利している。
ネットでの検索で「パッキパキ」を調べると、本書の題名しかほぼ出てこない。本書だけのものとしてさらに広まるかもしれない。
綿矢りさは小説本編だけでない、題名の名手だと思うが、『蹴りたい背中』『かわいそうだね?』『嫌いなら呼ぶなよ』のように、多くの題に微量の「不機嫌の気配」が混入してあって、その「多すぎなさ」にいつも舌を巻く。近寄れる危険とでもいうか。
3.『パパララレレルル』
最果タヒの短編集の題名
『パパララレレルル』最果タヒ(河出書房新社)
これは繰り返しだが、上級テクニックのものだ。口誦して気持ちいいかというと、そうでもないかもしれない(むしろ、つっかかる)。でも、間違いなくインパクトがあるし、この繰り返しに目覚ましい新規性を僕は感じた。
作者は気鋭の詩人で、当たり前だが言語に長けている。パラレルという言葉を「意味」と「音」に分けて捉えることができる。
誰でも当たり前にできることのようだが、皆、案外、言葉をみるときにまず意味しか思わない。
なにか物体をみるというとき、形や色のことを「みる」と思うけど、他の見方もある。
たとえば特殊な装置越しにみたら「表面温度」が緑や赤や黄色のグラデーションでも「みえる」。それも立派な「みえる」だ。
作者は「最初から」そういう見え方の装置もあらかじめ持って「言語をみて」いるかのようだ。
そしてこの題名は、音の良さではない「意味」の方にも深く踏み込んでいる。
つまり、このやり方は、さしあたって「パラレル」一個にだけ有効だ。
反対語の「シリアル」とか似た響きの「アパレル」を「シシリリアアルル」「アアパパレレルル」としてみれば分かる。
全然つまらないだろう。意味の面白さがないからだ。並列するという「意味」を読み手が題に適用できるから面白い(そこからしてパラレルですか! と思うことができる)。
パラレルの「並行・並列」という意味を、当のパラレルという音それ自体に適用したら、普通の発想だと「パラレルパラレル」になりそうだ。
「パラレル」や「パラレルパラレル」以上のパラレル性を「パパララレレルル」は保持している(意味に加えて見目でもだ)。
また、「パパララレレルル」というずらし方は、元の単語を意味不明のものに破壊してしまってはいない。この題をみて、我々の脳はすぐにもとの「パラレル」に復元できる(自然にできるだろう)。変な音になってるが難解で意味不明、ではぜんぜんない。
さらにこのずらし方は(頭がいい人の発想ではあるが、むしろ逆に)発話者が人間の言葉のルールや取り扱いに慣れていない感じ、というか「ワレワレハウチュウジンダ」というような文化的齟齬をもうっすら感じさせる。読者はこの発話者を下にみるか、高次のものとみるか、見積もらねばならないという気持ちにさせる。
それらさまざまな効果で読み手の脳を、本編の前にもう大きく動かし始める。すでに詩的揺さぶりが始まっているのだ、ともいえる。
4.『あいにきて I・NEED・YOU!』
GO-BANG'Sの曲名
『あいにきて I・NEED・YOU!』GO-BANG'S(画像提供:ポニーキャニオン)
『リンダリンダ』に続いて古い題名ですみません。でもどうしても語りたくて。
『リンダリンダ』ほどにシンプルではないし、語感だけでない「意味」の良さもあってのことだが、前からとてもいい曲名と思っていた。
かわいらしい気持ちの表明の中に「あいに」「I need(アイニー)」の音の繰り返しが隠れており、これが口の中で心地よさを産んでいる。
「会いに」と「I NEED」で、表記は日本語と英語で大きく違うのに、よくみたらどっちもほぼ同じような意味なのも面白い。音だけでなく意味もリフレインになることで気持ちの強さが伝わる。
ただ、意味は同じようだが、それぞれ求める「方向」は異なるのもさらにヒネリが効いている。
「会いに来て(ほしい)」=向こうがこちらに動いてきてくれ。
「I need you」=私が向こうを求めている。
つまりこれらは「鉄と磁石」ではない、「磁石と磁石」のように互いに吸引しあっている関係なのだ。
言葉の「韻を踏む」という行為は、ラップの世界でよく聞くものだし、それで多くの人も把握しているだろうが、その多くは「脚韻」を踏んでいる。
「俺は東京生まれ hiphop育ち ワルそうなやつはだいたい友達」における「育ち」「友達」、つまり長い言葉のボトムで韻を踏む。
「頭韻を踏む」ものは、韻を踏んでいることに気付かれないことが多い。あるいはダジャレ的な機知と解されてしまう。でもこの題はそういう「くだらなさ」が生じていないのも不思議だ。英語から日本語への言語のズラシがダジャレと思わせるのを遠ざけたのだろう。
この題には忘れられないことがある。
テレビのインタビューでバンドのベースの人が言っていたのだ。
「道を歩いていたら、小学生くらいの子供に『あっ、会いに来てアイニージューだ!』って指さされた」と。
「あっ、GO-BANG'Sだ!」ではない。たしかに同曲は、このバンド最大のヒット曲だしサビでも連呼される言葉で、だからそう呼ばれたのではあろうが、とにかくバンド名を題名が凌駕するほどだったのだ!
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