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グググのぐっとくる題名

第4回 (ビデオ)ゲーム的な題名

ブルボン小林さんの新連載、「グググのぐっとくる題名」。小説や演劇、映画、音楽、漫画や絵画……あらゆる作品の、「内容」はほとんど問題にせず、主に題名「だけ」をじっくりと考察します。20年前に発売された前著『ぐっとくる題名』以降、新たに生まれた題名や、発見しきれていなかったタイトルを拾い上げる予定です。
第4回目は、ビデオゲームのある特性を表す言葉が用いられた曲と、人のゲーム体験があってこそ生まれ、成長を遂げた小説の新ジャンル、さらに、シリーズ累計100万部を突破した人気パーティーゲームの題名について!(編集部)


第171回直木賞の贈呈式は、受賞者の一穂ミチさんのスピーチが印象的だった。
「なにゆえ もがき いきるのか?」という台詞を引用し「その問いに答えたくて小説を書き始めた気がする」と語ったのだが、それは『ドラゴンクエスト3 そして伝説へ』のラスボス、ゾーマが主人公に投げる問いの言葉だ。

小説家でも誰でもビデオゲームの影響を受けるなんて今や珍しいことではない。だが、それでも帝国ホテルの立派な金屏風の前で正装の小説家に自身のルーツを語る体で引用されると、ドストエフスキーやシェイクスピアの引用をしたのと同じような趣を感じざるを得なかった。ゲームが古典的教養になったのだ。
ビデオゲームは体験でもあるから、作中の問いの受け止めの重さもすごいのだろう。ビデオゲーム(や、ビデオゲーム的な把握とでもいおうか)は今日こんにちの表現の世界に大きな影響を及ぼしており、それは題名にも及んでいる。今回は「(ビデオ)ゲームが題名に与えた影響」の話。

1.『残機』
  ずっと真夜中でいいのに。の曲名

     
      『残機』ずっと真夜中でいいのに。

ビデオゲームというものの特色を、体験型ということと別に一つ大きいのを挙げると「生の一回性への抵抗」になる(「生の不可逆性への抵抗」だと、不老不死や時間の巻き戻し的なことだけになってしまう)。
件の『ドラゴンクエスト』で、ゾーマの言葉よりもっと有名な「おお(勇者)よ しんでしまうとは なにごとだ」という台詞にそれは象徴されている。
普通、死んだら「怒られることは出来ない」のだ。

死んでも無限に繰り返される復活や、異世界や並行世界、時間の静止や生まれ変わりや人生やり直しなども含めての「抵抗」がビデオゲームというものだ。

『ドラクエ』よりずっと以前から、ビデオゲームは「生の一回性」に抵抗していた。
昔のビデオゲームは、一回ミスしただけでは「ゲームオーバー」にならない。三回のチャンスが与えられて始まる。
「三回、死ねる」わけだ(うまくプレイすることでそのチャンスを増やすこともできる)。
往年のセガのゲームファンには知られたフレーズに「恋のチャンスは三回きりだよ」がある。
なんじゃそりゃ、と未だに忘れられない(ラブソングの歌詞なんかでも「恋のチャンスは一度きり」が自然に聞こえるはずだ)が、ゲームのルールが「言語」をおかしく歪めた例である。

で、そのルールを「残機制」と呼ぶ。

黎明期のビデオゲームは戦闘機やロケットを操縦する内容のものが多かった。そうでない『パックマン』などのヒットもあったが、『スペースインベーダー』から『ギャラクシアン』『ゼビウス』といった操縦系のゲームが初期は目立っていたと思う。
(また、外国のゲーム機やパソコンのゲームコントローラーの多くが長いレバー型で、操縦桿を模したものが多かったのは、皆がスターウォーズみたいに「機体を操縦したかった」からだろう)。

     
フランスの蚤の市で買ったジョイスティック。筆者私物。

それで自然、ゲームの残りチャンスを「機」で数えた。マリオのように人間のキャラクターを操るゲームも、「三回死ねる」ルールは踏襲された。説明書などではもちろん「残り『人』数」と表記されたかもしれないが、画面上で「3person」と表記されることはほとんどなかったし、ゲームを遊ぶ者たちも、それが人だろうと動物だろうとかわいい妖精だろうとすべて「残機」と認識し続けた(「恋のチャンス」さえもだ)。

……戦闘機が三機あるというのは、中のパイロットは入れ替わって新しい戦闘機での出撃と「思う」ことができるが、マリオが三人というのは「厳密には」どう「思えば」いいのだろう(厳密に思わなくていいので成立している。なにかを「思わなくてよい」という都合のよさもゲームの特性だ)。

(ところで、ゲームにおける「三回やり直し」ルールの始祖はなんだろう。ビデオゲームの前の、ピンボールだろうかと筆者は予想している。ダーツやボウリングという遊びも一投では終わらないルールだ。慣れる前に終わってしまったら次に遊んでくれないだろうし、練習する猶予の意味があっただろうか。カフェやダイナーなどに置かれたピンボールマシンの延長にビデオゲーム機もあったわけで、「すぐ終わると娯楽としてつまらない」という理由で残機制はできた。「生の一回性への抵抗」などというつもりは全然なかったのではないか)。

とにかく、ジャンルの黎明期に広まった言葉は強い。人格を持つキャラクターにも当たり前に「機」を適用したほどだ。それで定着し、誰もおかしさを思わなく(てもよいから、思わなく)なって久しい言葉が、不意にバンドの曲名に転用され、鈍く輝いた。

この曲名から、内容を「戦争に出向く戦闘機や戦車などの歌だろう」と思う人は少ないだろう。ゲーム的に把握しているのだ、と多くの人が分かる。組織(軍隊)が保有する機体を思うのでなく、個人(人格のある存在)が自分自身の「残機」を思っているのだ、と。

この曲より前に『ザンキゼロ』という題名のゲームもある(2018年発売。『残機』発表は2022年)。ゲームでゲームの用語を用いたメタ的な命名である。
これは決して悪くないが、どこか(題としては)無難にまとまってしまったと思う。

「残機」が「ゼロ」というのは、端的に後がないということを示している。やり直しはきかない、一番プレッシャーのかかる状態だ。
つまり『ザンキゼロ』という題名は「比喩だろう」と推察される(題名になっていることで余計に)。
ゼロ一つ付け加えることで「スリリングでシリアスな状況」が比喩として見事に浮かび上がった。ザンキに対してゼロが有効に機能しているといえる、どころかゼロが一番、有効な数字だ!
なにしろザンキサン、ザンキニではタイトルとして少しのスリルもない。ザンキイチでもまだ余裕はある(語呂も悪い)。数字をつけるならゼロだろう。

でも、ゼロをつけたことで失うものがある。「スリリングでシリアスな状況だ」という比喩の伝達に重きが置かれて、残機という語が実は持っていた不可思議さは、これまで通り「普通の語にみえる」ままだ。

で、実はゼロといわなくても――「ザンキヒャク」とか言わない限り――「スリリングでシリアスな状況」が、このたった二字にあらかじめ、あるのではないだろうか?

残機それ自体になくても、その語をわざわざ言う、意識するのはどんなときか。
「いつか終わる」「終わりは遠くない」というプレッシャーを感じているときのはずだ。もし残機が増えて左うちわのとき(人生がすこぶるうまくいっているとき)、人は(自分の)残機なんて意識しない。
意識すれば(=言えば)もう、焦ってることになる。残りの数字を具体的に言わなくても、焦りは伝わるのである。そのことは、この曲名をみて初めて思い至った。すごい。

ずっと真夜中でいいのに。は、その散文的なバンド名も印象的だったが、語のそぎ落としもできるのだな、とおおいに感心してしまった。
そういえばそのバンド名も「時間の引き延ばし願望」の表れといえて、うっすらゲーム的と思っていたし、一方で最近のゲームや漫画でよく描かれるのが「夜が終わらない」感覚でもあって(ゲームなら『アンリアルライフ』『ファミレスを享受せよ』など)その相互性にも言及したいが、題名からは離れるのでまた別の機会に)。

・『ドラゴンクエスト3』 エニックス(現スクウェア・エニックス)のゲームの題名
・「恋のチャンスは3回きりだよ」 セガのゲーム『ガールズガーデン』説明書に記載された言葉
・『パックマン』 ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)のゲームの題名
・『スペースインベーダー』 タイトーのゲームの題名
・『ギャラクシアン』 ナムコのゲームの題名
・『ゼビウス』 ナムコのゲームの題名
・『ザンキゼロ』 スパイク・チュンソフトのゲームの題名
・『アンリアルライフ』 ゲーム開発者・hako生活が制作したゲームの題名
・『ファミレスを享受せよ』 ゲーム制作サークル・月刊湿地帯が制作したゲームの題名

2.異世界転生ものの題名群考察

「異世界転生もの」というジャンルは、ビデオゲーム的な感覚が人々の素地にない限り生まれなかっただろう。特に日本産のファンタジーRPGに親しんでなければ楽しめないものだが、今や一大ジャンルを築いている。

そのヒット作に『転生したらスライムだった件』がある。

        
『転生したらスライムだった件』©伏瀬(著)/©みっつばー(イラスト)©マイクロマガジン社

題だけをあえて説明すると、(平凡でつまらない日常から)異世界に転生したのに、RPGの中で最弱のスライムだった、という意味だ。
スライムだなんて、なんと転生の甲斐がない、という「面白み」があるわけだ(もちろん、不利なスタートゆえ生じる、必然的な危険や困難も暗示されている)。
「RPGの中では大抵、スライムが最弱である」という「共有される知識」を前提にしているが、知らない人に邪魔をする要素もない、滑らかな語感もいいのだろう、大ヒットもうなずける。

さらに、ネットのスレッドなどに報告する体の「件」がつくことで、「ネットで言いあうくらいの出来事だ」ということも含意されている。つまり、自分同様に常にネットに張り付いているどこかの同士たち、というのが「対象」になっている。
異世界にいることと、ネットの仲間に報告するようなこと。その二重状態の発生もまたすこぶるゲーム的だ。ゲームは、(なんなら生死を賭けて)冒険をする主人公と、寝転がって指先だけ動かしているプレイヤーを同時に生じさせるのであり、題にもその二重の気配が重なることになる。
他の作品でも似た気配がある。『Re:ゼロから始める異世界生活』『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』など、ネット的ではないにしても、実用書的だったりカジュアルだったりといった物言いになりがちだ。一つの題でファンタジーを予見させると同時に「それを味わっていられる安寧」も担保されている


異世界転生もののヒットは「小説家になろう」というサイトから出てくるものが多いようだ。
「なろう」というサイト名の通り「登竜門」であり、多くの人が自発的に作品を載せている。
そういう場では畢竟ひっきょう、作者が「題名」に込めるものが多くなる。

普通の創作作品(ここでは小説)なら、本には題名と著者名以外にも「言葉」がさまざまに装備される。
新人賞などの権威や版元のブランド、作者自身の(知名度のある)名前、推薦オビなどの「文字」が。つまり、別の言葉による武装=バックアップがある。

「小説家になろう」の小説はそうではない、(特にそのスタート時は)言語的に丸腰の状態だ。
だから題名「だけ」で内容からノリまでを分かってもらう必要があった
そんな中で成功した作品を後発の大勢で発展させていくことの連続で、内容もだが題名も定型化、様式化されていっているようだ。

狭いようで大勢に共有される知識を前提に、そこを崩したり意外性をもたせると同時に、ゲーム的な非日常の冒険の上に、ゲームをしている者の日常のマインドを「口調」でかぶせてみせている

転生後の状態のあり得なさや願望の図々しさなどをカジュアルに語る題名がどっと増え、描かれる状況の大喜利化も進んでおり、にぎやかで楽しいと感じる一方で、書店で数多ある背表紙をみていると判別が難しい(題名が題名に埋没してしまっていないか?)。
(もちろん、『オーバーロード』のようにシンプルな題のヒット作もあるのだが)。

『八男って、それはないでしょう!』というヒット作があるが、その題名にはちょっと驚いた。何を言ってるんだろうと思ったのだが、こういう意味であるらしい。
「せっかくファンタジーRPG的な世界に転生したのに、出世の見込みのない貴族の八男坊に生まれるだなんて、それはないでしょう」という嘆息が省略されているのである。

     
『八男って、それはないでしょう!』Y.A・著/ 藤ちょこ・イラスト(KADOKAWA)

で、省略されて全然いいのらしい。異世界に転生したら、という前置きは実はもう不要。ジャンルとして膨大に先行作があるし、ましてや同じ売り場に並んだら言わずもがなだ。
いや、売り場とかも無関係に、そういうのが好きな人はすぐに察するんだと思う。僕も、題名に付随する表紙絵とか版元などの情報が目に入ったことで、まあ多分異世界転生ものなんだろう、と察することは出来た。

でもRPGとか遊ばない門外漢のスタンスをあえてとると、ここまで省略されると隠された言葉が分からないので、とても不思議な題名に思え、印象に残った。
ラスボスとかスライムといった「おなじみの」単語がない、ただの「八男」だと、ゲーム的な想像を得にくい。なんの話だ? となる。
(せっかく異世界転生したのに、が前段だと分かると、それを口にしなかったことが「溜め」に思えて、嘆きが強まる効果も出ている)。

そして「それはないでしょう」の嘆息が特に面白いのだと思う。「だった件」「飼ってみました」などと同じ、「本当の生死を賭けてるとは到底思えない、ゲームに興じるときならではのカジュアルなマインド」に満ちているのだが、その響きもゲーム的な気配から離れた、朴訥なものを感じさせる。

え? とこちらが見直してしまうほどの「ぐっとくる題名」がすぐにも生まれ出そうだ。いや、すでに膨大にある中に、掛け算どころか三乗四乗になった「ぐっとくる」題名がもうあって、僕が出会えてないだけかもしれないな。

・『Re:ゼロから始める異世界生活』 長月達平・著/大塚真一郎・イラスト(KADOKAWA)の小説の題名
・『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』  永瀬さらさ・著/紫 麻依・イラスト(KADOKAWA)の小説の題名
・『オーバーロード』 丸山くがね・著/so-bin・イラスト(エンターブレイン/KADOKAWA)の小説の題名 

3.『はぁって言うゲーム』
  米光一成のカードゲームの題名

     
  『はぁって言うゲーム』米光一成・ゲームデザイン(幻冬舎)

これを「題名」とするかどうかについて、朝日出版社の担当からも疑義が出た。
たとえば『ドラゴンクエスト』は多くの人が題名と思っている。
ストーリー性の薄いアクションゲーム『スペースインベーダー』や『バーチャファイター』も、題名と思っている人が多いだろう。ゲーム好きの間で、それらの作り手は「作者」とみなされている。

では「モノポリー」や「UNO」は題名だろうか?
多くの人が題と思ってないだろう。それらは「品名」だ。
マスのすべてがテキストだらけの「人生ゲーム」なんかも、題名と認識している人は多くないのではないか。
すこぶる玩具的なゲームでも、ビデオゲームは「題名」で、ボードゲームやカードゲームは「品名」になる。
今は「カタン」や「パンデミック」といった、凝った大人向けのボードゲームが流行していて、「パンデミック」なんかかなり「物語性」を感じ取ることができるのだが。

大勢で遊ぶものと、基本、一人で体験するものという分け方はできるだろうか。他者とのコミュニケーションに主眼が置かれたものは「作品」ではなく「玩具」。

ルービックキューブと『テトリス』はどちらも一人の作り手の頭で生み出されたが、その作者名は後者の方がはるかに浸透している気がする……いや、多くの人が「どっちも知らなーい」かもしれないが、ビデオゲームはそのファンに「作者」を強く気にされがちなジャンルだと思う。

「はぁって言うゲーム」も、作者を気にして遊ぶ人は少ないかもしれないが、そのゲーム名をみたときの目覚ましさはどうしても特筆せずにはおれなかった。

筆者は作者の米光氏をよく知っており、以前から活動を追ってきた。だから「ひいき目」のようなものも混ざっているかもしれないのだが、長く「ビデオゲーム」にこだわってきた彼の、遊びというものを考え続けていったその「考え」が、「はぁって言うゲーム」という題名に集約されているように思えるのだ。

で、このゲームの名を「題名」とみなすことにしておいてなんだが、題名らしい手触りとまるで異質な感じもする。まず思ったのは「仮の題名」みたいということ。
「勇者になって竜を退治するゲーム」とかいう、企画書の冒頭にあった言葉がそのまま本採用されたようではないか。

もう一つ近いのは、手品師や大道芸人の「前置き」だ。「今からピンポン玉を消してみせます」のように「それでは今から、はぁって言うゲームをします」というような。

でも、これはルール説明ではない。「ゲーム」と体言止めしてある。
それで、このゲームの題名が「はぁっ」というものだと一瞬、受け止められる。でも「今から『はぁっ』をやりましょう」だと、それこそ「はぁ?」と言われる(「『人生』で遊ぼう」ではなにいってるんだ、になる。だから「人生ゲーム」だ)。

ゲームの末尾にゲームとつけるのは、ゲームではないのではと疑われそうなときだ。
『ドラゴンクエスト』や『モノポリー』を「ドラゴンクエストゲーム」「モノポリーゲーム」とは名付けない。それらはもちろん、ゲームと迷わず思ってもらえる言葉ではないが、ひとまず入り口でなにかを疑われることはない(あらゆる題名はその「入り口」にある)。
これが「人生」とかになると「ゲーム」が必要になる(「人生ゲーム」というのもすごい命名だと筆者は思っている)。

「はぁって言う」は、間違いなくゲームではないのでは、と疑われる言葉だ。
「はぁっ」というのは辞書的な意味はない、「息」だ。息に嘆息とか呆れといった言外の意味が込められる。
そして「息」は、遊び(ゲーム)でされることはない。ため息をついたり、呆れたりというのは遊戯と遠い、意味の表出だ。

「遊戯に遠い瞬間のことがゲームになる」という着想がそもそも非凡なことなわけで、だとしたら着想から命名までは一直線だったのではないか。仮の題名が本採用という想像はあながち間違ってないかもしれない。

この題名の遊びに誘われた者は、手品師の前置きのような不可思議な語調から必ず「面白そうななにか」を期待することが出来るし、それがゲームであることも疑わずにすむ。

題名が、楽しい遊びの最初に引き込む第一声を兼ねているというか、もう遊び始めているような題名なのだ。

(さらに、あえて内容にも踏み込むと)このゲームには「はぁっ」以外のカードも多数ある。それらのニュアンスを当てっこするというゲームなので、まじめにこのゲームの題名を考えると「ニュアンスゲーム」とか「ニュアンス」といったものになるだろう。だが、それでは少しのパンチもない題名になる。全カードをみた人は考えてみてほしい。このルールの題を「はぁって言う」に果たして絞れただろうか? と。

・『バーチャファイター』 セガのゲームの題名
・『テトリス』の作者:アレクセイ・パジトノフ
・「ルービックキューブ」の作者:ルビク・エルネー


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著者略歴

  1. ブルボン小林

    1972年生まれ。「なるべく取材せず、洞察を頼りに」がモットーのコラムニスト。
    00年「めるまがWebつくろー」の「ブルボン小林の末端通信」でデビュー。
    著書に『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』(ちくま文庫)、『ゲームホニャララ』(エンターブレイン)、『マンガホニャララ』(文藝春秋)、『増補版 ぐっとくる題名』(中公文庫)など。
    『女性自身』で「有名人(あのひと)が好きって言うから…」連載中。小学館漫画賞選考委員を務める。

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