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グググのぐっとくる題名

第7回 そこ(題名)にそれをあてがうか?

ブルボン小林さんの連載、「グググのぐっとくる題名」。小説や演劇、映画、音楽、漫画や絵画……あらゆる作品の、「内容」はほとんど問題にせず、主に題名「だけ」をじっくりと考察します。20年前に発売された前著『ぐっとくる題名』以降、新たに生まれた題名や、発見しきれていなかったタイトルを拾い上げます。
第7回は、落語会「渋谷らくご」で2024年の創作落語大賞に選ばれた演目と、パスティーシュの達人によるユーモア小説、子どもとの暮らしを瑞々しい感性と細やかな観察眼で描く日記エッセイの題名を取り上げます。(編集部)


Eテレの人気番組『ピタゴラスイッチ』といえば、有名なのは「ピタゴラ装置」だ。
小さなボールが転がっていくだけなのにワクワクする。装置の仕掛けはトリッキーで緩急に満ち、ときにはドラマチックにさえ感じる。
装置に用いられている物品は、そのために作られたものではない、ほぼすべて日用品だ。
硬いハードカバーの本の、本文の紙よりも少し大きめに作られた表紙と裏表紙。二つの凸部分の間をボールがツツーと転がっていく。
本は道ではない。
だが、うまく置いたら、硬い二枚の表紙はレールになり、まっすぐな「道」になる。
そうするために作られたものではないが、ボールの転がりにぴったりだ(批評家の岡﨑乾二郎のいうところの「転用」といえるか)。
「道」だけど、みるものはそれが本でもあることをうっすら認識する。だから「面白い」と思える。

本来はそう使わないが、そのようにも使える、転用できるということが、言葉同士の世界にもある。今回は「題名そこにそれをあてがうか?」という話。 

1.「ゲル状のもの」
立川談吉の落語の演目の題名

  
  立川談吉「ゲル状のもの」©渋谷らくご (撮影:武藤奈緒美)

年に一度、落語の審査員をしている(渋谷らくご「林家彦いちプロデュース『しゃべっちゃいなよ』」の決勝)。
若手落語家たちが、古典ではない創作の落語を競い合うイベントだ。筆者は落語そのものに精通しておらず、初心者代表としてのゲスト審査だが、毎回とても新鮮だ。

初心者とはいえ、落語に対してわずかな知識はある(先入観もある)。落語的なふるまいのなかに、現代的な要素や時事性を取り入れるその加減こそが創作落語の醍醐味なのだろうと推察できる。去年(2024年12月開催)の候補はいずれもレベルが高く面白かった。決勝に残った五人の演目は下記の通りだ。

「代行サービス」林家きよ彦
「スタッフルーム」三遊亭青森
「ハンサム」瀧川鯉八
「お馬さん」柳亭信楽
「ゲル状のもの」立川談吉

結果からいうと、優勝したのは最後の談吉さんだった。
もちろん、その内容で勝利したのであるが、決定後の楽屋で感想戦みたいになった際、ある審査員がこうつぶやいた。
「題名からして良いもんな〜」やはり! 僕も、そう思っていたのだ。

内容というものは、内容を全部みるまで分からない(当たり前だ)。
でも題名はすぐだ。審査では事前に演目の全題名を知らされていて、その時点で僅差だが差があると筆者にも思わせていた。なにか分からないが面白そうな噺だぞと期待させる力が、たしかに「ゲル状のもの」には備わっていた。

他の四つも面白そうな題名である。そして、すべてに共通の気配がある。
まず、いずれも「こつなが」とか「寿限無じゅげむ」といった「落語らしい」ムードの題名から距離をとった言葉選びになっている。和の気配、古い気配がない。
というか、どれもいっけん「題名ぽくない」。
現代的かつ、無味無臭な気配がある。

「代行サービス」も「スタッフルーム」も、日常的かつ現代的な景色の中の普通の単語だし、「ハンサム」も日常的ではないものの、かなり素朴なワードだ。
馬に「お」と「さん」が付いた「お馬さん」だけは、幼児に向けた語り口という「個性」があるが、それも素朴なものであり、強い味や臭いを少しも放っていない。
演目(語り)本体にこそ工夫や面白さがあるわけで、少しのネタバレもないよう配慮してか、いわば、題名が無口になっている

お笑い芸人がショートコントをするとき、たとえば「コント、〇〇」と軽く宣言してから始めることがあるが、そのコント名にも同様の気配がある。
植田まさしの感じもある。『かりあげクン』『フリテンくん』などの4コマ漫画の、各漫画の一コマ目の上に書いてある題名に通じている(分かるだろうか?)。

  
『かりあげクン トリビュート増刊』(双葉社)よりーー植田まさしの題名と一コマ目のシンクロぶりにはいつも感心してしまう。なんなら「横に」読める。

ショートコントや4コマ漫画を成立させるために、本体を邪魔せず説明だけ最低限にすませるべく選ばれたワード群。どちらも「笑わせる」目的のため、題名で先に不要なウケをとってしまわないような配慮が働くのだろう。
つまり、本体に装置性がある。ここでの題名は(4コマ漫画やコントや落語という、笑いを発生する)装置に組み込まれているわけだ。

これらは、(装置のように面白さが発揮されるのではない)小説や映画の題名ではなかなか通らないだろう。「あえて狙って」というのでない限り、修飾やひねりを付けたほうが目を引くからだ(題自体にも個性がないと、多くの作品の中で埋没してしまいかねない世界だ)。
(そういえば、村上龍の新作小説の題名がカタカナで『ユーチューバー』だったとき、えっ、いいんですか? とつい思ってしまった。別にいいに決まってるんだが、創作落語やコントの演目みたいだ、と思えたのだ。自信があるからこそ付けられる題だといえる)。

話を戻すと、四つの演目と比べたとき「ゲル状のもの」だけ少し異質だ。助詞もあるし、修飾されている。
また「ハンサム」や「スタッフルーム」のような簡潔さもない。あいまいである。その「もの」は、ゼリーなのかスライムなのか整髪料なのか。特定されていない。それで得体が知れない不穏さが生じている。なんか、軽く嫌な予感がある(「フワフワのもの」だったら同じ特定のされなさでも、少なくとも不穏ではない)。

一方で、特定されないにも関わらず、端的な一つのなにかでもある。「存在の耐えられない軽さ」のような抽象ではない、「物質」であるらしいことは「もの」という言葉によって保証されている。コントや落語のような題にも不向きではない。

日常的な現物感と不条理的な不可解さのハイブリッドである言葉を、さらに題名に「置く」行為によって、光が面白い当たり方をして輝いているのだ。

・『存在の耐えられない軽さ』 ミラン・クンデラ・著/千野栄一・訳(集英社文庫)の小説の題名。

2.『インパクトの瞬間』
清水義範の小説の題名

  
  『インパクトの瞬間 清水義範パスティーシュ100 二の巻』清水義範(ちくま文庫)

先の「ゲル状のもの」をみたとき筆者は真っ先に「バールのようなもの」というワードを連想した。
新聞記事やテレビニュースで多用された(今もされる?)言葉だ。

泥棒の事件を報道する時点では、犯人はドアをバールでこじあけて侵入した、金庫をバールでこじあけて中身を盗んだ、と「言い切る」ことができない。犯人が逮捕されて「バールでこじあけました」と白状したり、指紋つきのバールが証拠品として出てきて初めて、犯人は「バールで」こじあけたと断言できる。

逮捕するまでの、現場状況だけでは断言できない。新聞やニュースは正確な報道を旨としているから、断言できないことは予想で表現するしかない。

しかし「犯人はなんかをつかってこじあけて侵入した」と報道するわけでもない。
なんかって、なんだい。まあ、断言できないけども、さしあたってバールしかねえだろ、こじあけるなら。他はまあ、ないんだから。十中八九、バールだよ。「なんかでこじあけた」は、それはそれで白々しいだろ(渋谷らくごの影響で創作落語風になってます)。



とにかく、正確な報道を旨とするというルールゆえ「バールのようなもの」という不思議なフレーズが生まれる(バールという物品名の持つ、トンカチやのこぎりと比べての日常生活からの少しの縁遠さもまた、非日常の気配を纏わせている)。

事実が事実として固着する前の、保留のときだけあてがわれる言葉。
フレーズ自体に刹那的な、ある寿命の中を生きているような生命ぽさが伴って、それで妙な神秘性を得るのだ
「ゲル状のもの」も不確定な、成分が判明するまでそういうしかないので一時的に「あてがっている」ワードで、さらに題名にまで「あてがわれた」ことで、その神秘性が活きた。

で、『バールのようなもの』は既に清水義範が小説の題に適用している(文藝春秋刊)。これは、これを題にしたこと自体が手柄だと思う(本編を褒めずになんだが)。

清水氏はほかにも題名が着想と紐づいているかのような小説をたくさん書く人で、楽しい、人を喰った、たくらみの気配が(本編の前から)題にまではみ出ている。
『インパクトの瞬間』は、題を構成する単語は硬質な、まじめなムードだ。このあと生真面目な話を読まされても少しも意外ではない。往年の内海賢二の低音で朗誦されそうな気配だ。
元ネタを知るといたって世俗的な、在野の言葉だと分かる。そんなものを小説作品の題名に「持ってくる」手付きに驚くし、知らないままだと、むしろ厳めしいほどの題名らしさ、収まりのよさを保持した離れ業のような名題名である。

・内海賢二 『北斗の拳』のラオウや『Dr.スランプ アラレちゃん』の則巻千兵衛役などで知られる声優。

3.『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』
古賀及子のエッセイ集の題名

  
  『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』古賀及子(素粒社)

このエッセイ集、目次をみるだけで自由律俳句のような面白い題名がずらりと並んでいる。
「今日の3時ごろすごかった」「クイズの脇が甘い」「どこかの母の模倣だな」「屈辱要素なくわたしをパシらせて」「夜中に目を覚ましたいからもう寝る」などなど。
面白いが、題名にはならないと誰もが思う語群だ。しかも落語の演目と異なって散文的に長い。
そんなでも、作者が題につけたら題になる。やはり「あてがえる」のである。

だとしたら、「朝起きたら寝癖がひどかった」「昼ご飯は海苔弁当だ」だって題にできる。できるけど、つまらない。なんでもあてがえるけど、題にしてベターといえる散文は限られているようだ。

もともとがブログの日記で、(ほぼすべて)本文から抜かれた言葉が題になっている。
日記だから、テキスト中には「朝起きたら寝癖がひどかった」「昼ご飯は海苔弁当だ」というような「普通の散文」だってたくさん混じっている。

動画編集で始点と終点を決めてつかみ出す、そういう風に自分の日記の「どこからどこ」が題になりうるか、作者は繊細に考え、ぎりぎりのところを切り取っている。寝癖がひどいとか、海苔弁当にはない謎や暗示が、(過去に当連載でも語ってきた)二物的な取り合わせ、大胆な省略でなされている。

また、たくさんの面白い題名群から、エッセイ集それ自体の題名に「ちょっと踊ったりすぐにかけだす」を選抜したのも、とてもよく分かる。

先に例示したどれも面白い題だが、「クイズ」「母」などの名詞はけっこう強いもので、特定の人に興味を持たれ、特定の人の興味を失わせる可能性がある。
「今日の3時ごろすごかった」「屈辱要素なくわたしをパシらせて」「夜中に目を覚ましたいからもう寝る」これらもすべて面白そうな状況を予感させるが、その状況が少し絞り込まれている。「その」エッセイの題としてのみ機能しているといえる。

「踊ったり」「かけだす」は、誰がとも何故とも示されていない。ただの躍動感だけだ。レンジが広く絞り込みがゆるいので、いろんなエッセイを束ねた「総合的」な題にもなりうるわけだ。氏のほかの著作をみても、新しい言語感覚の書き手が出てきたな、と(本編を含めて)思わせる。


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著者略歴

  1. ブルボン小林

    1972年生まれ。「なるべく取材せず、洞察を頼りに」がモットーのコラムニスト。
    00年「めるまがWebつくろー」の「ブルボン小林の末端通信」でデビュー。
    著書に『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』(ちくま文庫)、『ゲームホニャララ』(エンターブレイン)、『マンガホニャララ』(文藝春秋)、『増補版 ぐっとくる題名』(中公文庫)など。
    『女性自身』で「有名人(あのひと)が好きって言うから…」連載中。小学館漫画賞選考委員を務める。

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