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グググのぐっとくる題名

第12回 題名の賞味期限

小説や演劇、映画、音楽、漫画や絵画など、あらゆる作品の「内容」はほとんど問題にせず、主に題名「だけ」をじっくりと考察する本連載。20年前に発売された前著『ぐっとくる題名』以降、新たに生まれた題名や、発見しきれていなかったタイトルを拾い上げます。
第12回で取り上げるのは、公開以降「題名」界の流行にもなった映画と、人気特撮作品のすぐれたパロディ作品の題名です。(編集部)


1982年に「ホテルニュージャパン火災」があった。33名が亡くなった痛ましい事件だ。その後、もちろんホテル全体の防災対策の意識は高まって杜撰な管理による人災は減っていったと思うが、同時に、ニュージャパンというような名称のホテルもなくなっていったと思う。当時はあちこちの建物につけられていた「ニュー」が(火災のせいではなかろうが)古び、みるみる色褪せていったのだ。題名にもそういうことはある。今回は「題名の賞味期限」という話。

1.『シン・ゴジラ』映画の題名

挙げておいてなんだが、『シン・ゴジラ』(2016年公開)というこの題名が、はじめはピンとこなかった。
「新」ゴジラということなのだろうが、カタカナに変えただけ。「新ゴジラ」という表記から目覚ましい発展を遂げているわけではない。
「新」とか「続」ではなく、カタカナで「シン」と銘打ってみたら、特になんの邪魔にならず、むしろ大ヒットした。

ゴジラシリーズのマニアからすれば、これまで示してきた作品内容に鑑みて、シンというカタカナの選択に深読みできる要素があるのかもしれない。

だけど、まっさらのご新規さんはほとんど「題名としか出会わない」。
しかし、当時の大ヒットぶりをみるに、観たのはこれが初めて、という人も多かったように見受けられる。つまり、深読みできるなにかを事前に知らずとも「シン」は邪魔にならなかった。どころか、もしかしたら効果を挙げたのだ。

なにより、その後の書店で、さまざまな書物の題名に「シン」がどれだけ浸透したことか。筆者がみただけでも『シン・短歌入門』『シン・サウナ』『シン読解力』『シン・トップダウン経営のすすめ』などなど。題名だけでない、キャッチコピーの世界でもよくみかけるようになった。『「超」整理法』のあとの「超」、『バカの壁』のあとの「〇〇の壁」、『人は見た目が9割』のあとの「〇〇が9割」と同様の、題名の「添え語」の定番になった。
(「添え語」……今テキトーに作った用語です)。

『シン・ゴジラ』はつまり、映画世界と別に「題名」の世界に強い影響を与えたことになる。
この「シン」ブームについて考察した人はすでに他にもいるだろうが、今回はその目覚ましさを筆者なりにも語ってみたい。

まず、カタカナにすることで「真」「心」「神」や震災の「震」などを想起させる点があるだろう。
「新」で想起させる意味は一種類だがシンは複数。どれも劇的なアニメや特撮に親和性の高い漢字だ(「sin」=罪、の意味もある)。

カタカナを効果的に用いた題名の例としては、人気漫画『チ。』がある(副題は「-地球の運動について-」)。単独ではきょとんとする題だが、本編を読むことで、「チ」が「血」や「地動説」など、さまざまなミーニングが伝わるようになっている。

そのように「意味」を欲張りに示唆することの一方で、カタカナ化には、字から意味をそぎ落として音だけを印象付ける効果もある。人気コンテンツの題名はときに、意味よりも音で愛される。

こんな例がある。特撮で、ゴジラと並ぶ人気の長寿コンテンツに『ウルトラマン』(1966年)があって、そのシリーズに『帰ってきたウルトラマン』(1971年)という番組名がある。
まさに『ウルトラマン』の直接的な続編といっていい作であり、ということはこのときすでに『続・ウルトラマン』とか『新・ウルトラマン』という題名にする手はあったはずだ。
だが、このときその手は取らなかった。散文の「帰ってきた」を選んだ。
以後、連綿と続くウルトラマンシリーズの題において、「帰ってきた」というはなはだ散文的な修辞が用いられたのは、筆者の記憶ではこの作品だけである。

(内容も踏まえると)最初のウルトラマンが「去って」終わったことのインパクトを踏まえてのことだろうが、なんだかヒーローものというより沢竜二の股旅物のような題である(古い例えだが通じるかしら)。
以後の同シリーズは「エース」「タロウ」「ティガ」「コスモス」という風に主人公名が題に冠されることになるが、当時(1970年代)の一般的な映画やドラマにつけられる題名は散文的なものが多かった。「帰ってきた~~」は、作り手の心がキャラではない、ドラマの側に拠っていたゆえの命名だと思う。

で、筆者はもろにウルトラマンブーム直撃世代なのだが、当時この『帰ってきたウルトラマン』という題名を、口に出して「いう」子供はほとんどいなかった。
「エースがさあ」
「ウルトラセブンの敵に……」
「タロウに出てきたあれが……」
「それで帰ってきたウルトラマンの……」言わない、言わない。長いもん。
『帰ってきた~』の主人公のことは「新マン」と呼ぶのが一般的で、主人公を指すときだけでない、作品として語るときも「新マン」だった。
作り手が題名で避けたはずの『新ウルトラマン』のほうが近い。エースやタロウのように短く言い交される中で、「新マン」にまで縮められた。

「新マンは」「新マンの場合」「新マンが」「新マンを」……と言い続けられ(こすられ続け)、エースやタロウと同様に音だけが親しまれていき、川の流れで石が丸くなるように意味が無意味化し、音としての「シンマン」が皆の脳内に響き続けた

そのような、音としてのシンマンの延長に『シン・ゴジラ』がある(気がする)。『シン・ゴジラ』の監督である庵野秀明は(のちに『シン・ウルトラマン』も手掛けるくらいに)特撮への思い入れの深い人で、当然「シンマン」という呼称にこそ馴染んできたはずだし、それで通用したという「シン」の強さを信じることができた。新しいリブート映画でもきっと通用すると思えたのではないか。

で、エヴァンゲリオンやウルトラマンなどと比べたとき、ゴジラではさらに「シン」が生きていた。それは絵面のことだ。

ゴジラは凶暴な怪獣の名前である。映画の題名として表記されるとき、


こんな風に記載されることは絶対にない。

このように、極太で迫力のあるロゴで一作目から描かれた(上にリンクした公式YouTubeの画像内の『シン・ゴジラ』ロゴも参照されたい)。

それで「新」ゴジラだと、漢字の画数の多さゆえ、文字の太さで「ゴジラ」と拮抗しない。「新」が足を引っ張ることになる。
そこを「シン」だったら大丈夫だ。存分に太くできる!

その意味でも、『シン・ウルトラマン』(2022年)のあとの『シン・仮面ライダー』(2023年)と比べても、題名に限っていえば、優れているのはやはり『シン・ゴジラ』だ。

で、もちろん題でなく内容が素晴らしかったこともあり「シン」は「目覚ましいリブート」を示す端的なヒットワードになった
「新」や「超」といった「添え語」には賞味期限がある。
「新」とか「ニュー」と名付けると今や古くさいけど、実際、新しいんだからそう言いたい、という作り手のジレンマに、「シン」は最も簡単な抜け道、別解を与えたのだ。
画数の効果など気にもしない粗雑な手つきで、わっとあらゆる題名に広まって、まだしばらくはもてはやされる気配だ。2020年代の「景色」として、後世から懐かしまれることになるだろう。

・『シン・短歌入門』笹 公人の短歌入門書の題名。(NHK出版)
・『シン・サウナ』川田直樹のサウナ入門書の題名。(KADOKAWA)
・『シン読解力』新井紀子の自己啓発書の題名。(東洋経済新報社)
・『シン・トップダウン経営のすすめ』和田智之のビジネス書の題名。(東洋経済新報社)
・『「超」整理法』野口悠紀雄の新書の題名。(中公新書)
・『バカの壁』養老孟司の新書の題名。(新潮新書)
・『人は見た目が9割』竹内一郎の新書の題名。(新潮新書)


2.『帰ってくれタローマン』テレビドラマの題名

  
  ブルーレイ『帰ってくれタローマン』©2024 NHK・藤井亮
  販売価格:7,480円(税込)/企画・制作:NHKエデュケーショナル
  発行・販売元:NHKエンタープライズ

これは『TAROMAN』という最近の特撮ドラマの続編の題名だそうだ(正式には『~TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇~』と副題がつく)。筆者はこのドラマをまるで未見なのだが、SNSでこの題をみたとき、まんまと笑わされてしまった。
笑いが生じたのは、これがパロディだからだ。つまり「ぐっとくる」ためには、パロディの元ネタを知っている必要はあるとはいえ、単独でみてもそこはかとない笑いが感じ取れる題だと思う。
先述の『帰ってきたウルトラマン』という題のパロディで、「帰って」と「マン」、始まりとボトムの完全な一致が、内容の不一致とのギャップを生み、面白みに即効性が生じている

ところで(?)自分で書いた「先述」を改めて読み返してみるとしみじみ思うのだが……『帰ってきたウルトラマン』という題名のなんと不遇なことよ!
当時、割とふるった命名だったと思うのだ。『太陽にほえろ!』(1972~1986年)とか『傷だらけの天使』(1974~1975年)といった(以後どんどん出てくる)「ドラマ的なドラマ」に軸足を置こうとした新感覚な、かなり攻めた命名だったのではなかろうか。

あえて、なにがよくなかったかというと……ちょっと、恩着せがましい?
鳴り物入りだが、自分で鳴り物入りにしている。皆が待望した、あの、ウルトラマンが、帰ってきましたよ、と。皆さん大好きなウルトラマンが、去って行ってしまって残念だったであろうウルトラマンが、帰ってきましたよ!
……いささか手前味噌かつ、押しつけがましかったか。

待望はされてたんだろうけど、愛されたのは中身だけで、誰も呼ばない題になった。おもちゃだけ人気で速攻捨てられる外箱みたいな扱いを受けてしまった。

そんな不遇な題名が、パロディで生きた。モチーフである岡本太郎の激しいイメージと、七十年代の過剰な命名センスとの合致もここにはある。

「タローマン」というヒーロー名は、その名のイメージから察するに、正統なヒーローではないのだろう。かっこよいというよりはコミカルなムード、むしろ、かなりダメなやつなのではないか。
ということは、正統なヒーローであるウルトラマンと違って待望されない。皆の願い(帰ってきてほしい)が反転して「帰ってくれ」になった。類推できる内容に不可解さがなく、受け入れやすい。

そして「帰ってくれ」という呼びかけは、主人公が去らない、帰らないことを示唆している。ただダメなだけでない、往生際の悪さ、ずうずうしさまで伝わってくる。「帰ってきた」はただの行動だったが、それ以上の「性格」まで上乗せして面白さを増した
このように秀逸なパロディにされて、不遇だった元の題にも立つ瀬(?)が生じてよかったね、と声をかけたくなる。


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著者略歴

  1. ブルボン小林

    1972年生まれ。「なるべく取材せず、洞察を頼りに」がモットーのコラムニスト。
    00年「めるまがWebつくろー」の「ブルボン小林の末端通信」でデビュー。
    著書に『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』(ちくま文庫)、『ゲームホニャララ』(エンターブレイン)、『マンガホニャララ』(文藝春秋)、『増補版 ぐっとくる題名』(中公文庫)など。
    『女性自身』で「有名人(あのひと)が好きって言うから…」連載中。小学館漫画賞選考委員を務める。

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