
世界は遊びにあふれている。むろん子どもはよく遊ぶし、よく遊ぶ大人もいる。だが、そもそも遊びとは何なのか。なぜ、ただ走り回ることも、カフェでのおしゃべりも、遊びなのか。きっと私たちは何であれ遊ぶことができる。食事や散歩も遊びになるし、ゲームやスポーツでも遊べる。勉強や仕事さえ遊べる人もいるだろう。とはいえ、これらの遊びは遊びでしかないわけではない。それらは遊ぶこと以外の理由があって遊ばれるからである。たとえば、あり余る元気が子どもを走らせるのかもしれない。また、大人は気晴らしにカフェに行くのかもしれない。だが、世界には遊びでしかない遊びがある。それは遊ぶこと自体のために遊ばれる。遊びを探究するなら、これを哲学すべきである。なぜなら、これは遊びでしかないからである。たしかに子どもは遊んでしかいないことがある。でも、遊びでしかない遊びが遊ばれるとき、そこには何が起こっているのだろうか。どうしたら遊びでしかない遊びを遊べるのだろうか。
「エゴマの葉論争」~恋人の友人、どこまで親切にするのが正解?~
マニマニ教えて!今の韓国ヨギヨギ~
とーちゃん、娘の命名に関し妻にプレゼン 〜そして却下〜
音声学者とーちゃん、娘と一緒に言葉のふしぎを見つける
『鶉衣』その1 大極の氣二つに破れて/物忘れの翁
優雅な貧乏生活
Humpty Dumpty
読んで知る! 英語の言葉の面白さ Mother Gooseの世界へようこそ!
似ているようでちょっと違う!日本語と韓国語 ―お金は「下ろさない」?トイレの水は「流さない」?
マニマニ教えて!今の韓国ヨギヨギ~
音声学とうた ゴスペラーズ北山陽一さん×川原繁人さん対談(前編)
音声学者とーちゃん、娘と一緒に言葉のふしぎを見つける
書店員さんから感想をいただきました
数字、色、漢字に秘められたチカラ
にしまりちゃん 龍神道を行く
第1回:「非母語という希望:言語論と文学の交差路へ」
母語でないことばで書く人びと
ふくらすずめと寄り添う12篇(25年11月)
あさひてらすの詩のてらす