第四回 遊びとしての哲学
遊びとしての哲学 [24]
二歳の息子と遊ぶことに失敗して以来、遊びということがよくわからなくなった。あのとき彼はたしかに遊んでいた。いや、おそらく遊んでしかいなかった。しかし、私には遊びでしかない遊びを彼と一緒に遊ぶことはできなかった。
もちろん、その後も、彼とは、公園に行って、ボールを蹴ったり投げたりしてきた。一緒に、滑り台も滑っているし、ブランコにも乗っている。彼の駆るキックバイクに並んで、一体どれほど走っただろうか。家の中でも彼とは色々なことをしてきた。寝室いっぱいに広げた線路に電車を走らせたり、彼の営むお店で買い物をしたり食事をしたりした。二人とも恐竜が好きなので、一緒に恐竜の本を見たり絵を描いたりもした。恐竜はさらに粘土でも作るしレゴブロックでも作る。また、レゴブロックでは、海賊船や戦闘機のような乗り物だけでなく、マンモスやドラゴンのような生き物も作ってきた。互いに、剣と楯を作って、戦ったこともある。
でも、私は本当に彼と遊べているのだろうか。どのように彼と遊べばよいのだろうか。そもそも遊びとは何なのだろうか。たしかに彼は遊んでいる(ように見える)。おそらくあれは遊び以外の何ものでもない。あれはきっと遊びでしかなく、あれこそが遊びであるにちがいない。だが、遊びとはそもそも何なのか。
こうした遊びについての謎が心のどこかにあったのかもしれない。私は、自著『なぜこれまでからこれからがわかるのか―デイヴィッド・ヒュームと哲学する』(青土社)[25]の序論において、なぜか次のように書いている。
(…)そもそも哲学がアカデミックな研究である必要はありません。なぜなら、私たちは哲学で遊ぶことができるからです。よく言われるように、きっと哲学それ自体は何かの役には立ちません。にもかかわらず、哲学があり続けるのは。どうしてでしょうか。それは哲学が楽しいからかもしれません。何の役にも立たないのに、ただ楽しいだけでありうる。これはまさに遊びではないでしょうか。すなわち、哲学それ自体が遊びでありうる。それなら、哲学はもっと遊ばれるべきかもしれません。いや、むしろ遊びにしかできない哲学があるのかもしれません。[26]
こんなことを書いておきながら、実は今でも私は、遊びとは何なのか、まったくよくわからない。(だから、ここで遊びとは何かを探っているのだが。)とはいえ、たしかに哲学は楽しい。哲学は面白いし本当におかしい。でも、研究(=勉強)は、成果が求められるので、どうにも辛いし苦しい。結果が出るか、つねに不安であるし、どれほどの労力を費やしても、成果があがらなければ、失意の底に沈むことになる。だとすれば、哲学がしたい人は、研究までしなくても、哲学だけをすればよいのではないか。むろん皆が哲学をする必要はない。しかし、哲学者が皆、研究者である必要もない。それなら、「もっとたくさん哲学できる人がいる」[27]のではないだろうか。
たしかに哲学することは一朝一夕には身につかない。つまり、――哲学の問いは自分で直接もちうるが、それを――哲学的に考えられるようになるには、一緒に哲学してくれる仲間と共に、哲学する修練を十分に積まなければならない[28]。すると、哲学しやすいのは、やはり大学(院)であるかもしれない。けれども、哲学することがアカデミックな場に閉ざされる必要はない。大学(院)の外でも哲学することはできる。たとえばカフェでも公園でも哲学することはできる。すなわち、哲学することは、学ばれるのでなく、遊ばれうるのである[29]。だから、哲学をしたい人が皆アカデミックに哲学に勉める必要はない[30]。私たちは哲学を遊べるのである。
だが、哲学(すること)を遊ぶということが、どのようなことであるのかは、けっして明らかではない。なぜなら、そもそも、遊びとは何かが、明らかでないからである。したがって、私には遊びを探究する責務がある。さもなければ、私は自分で書いた言葉を意味もわからないまま放っておくことになる。だから、私は遊びとは何かを探らなければならない。もしここで、遊びとは何かということに、わずかでも切り込むことができたら、哲学が遊びであるということの真意も、きっとおのずと浮かび上がってくるだろう。
遊びの魅力
二歳の息子の砂場の遊び方に衝撃を受けてから、すでに五年以上が経っている。しかし、その間ずっと私は遊びについて考えていたわけではない。(むしろ『なぜこれ』の本論を書いているときには忘れていた。)にもかかわらず、どうして今になって私は遊びについて哲学したくなったのか。それは、互いに独立の二つの出来事を通して、私が遊びに魅せられてしまったからである。
一つ目の出来事は「遊びとしての哲学」に関連する。「遊びとしての哲学」という言い回しは、――註24で述べたように、私自身のものではなく、――拙著『なぜこれ』への『図書新聞』の書評の見出しに(も)用いられたものである[31]。でも、――たしかに評者は『なぜこれ』の「ハイライトは間違いなく第7章である」[32]とも書いているが、――どうして序論の数ページに書いたことが書評の見出しにまで使われたのだろうか。なるほど、それは序論に書かれているのだから、そこから批評を始めるほうが書評は書きやすいのかもしれない。あるいは、『なぜこれ』全体の哲学のし方がそもそも遊びに見えたのだろうか。
いや、もしかしたら、哲学を遊びとすること自体に、何か引っかかるところがあるのかもしれない。というのは、プラトン以来のアカデミックな伝統が哲学にはあるからである。すなわち、プラトンが紀元前387年頃にアカデメイアを創設して以来、哲学というものは学校に集まってアカデミックにするものなのである。(とはいえ、そんな伝統はむろんソクラテスにはない。アカデメイアが開設されたのは、彼が毒盃を飲んだ後であるし、彼が市民と哲学(対話)するのは、町のアゴラ(広場)であるからだ。)すると、序論の数ページに書かれたこととはいえ、何か言いたくなって然るべきなのかもしれない。たとえば、『週刊読書人』の書評では、『なぜこれ』の哲学が、「その『遊び』に読者を誘う」[33]もので、「専門性の束縛から踏み出す自由な冒険とも見える」[34]、と述べられてから、本論への批評が始められている。また、『フィルカル』の書評では、本論の内容がレビューされた後に、『なぜこれ』の哲学が「アカデミックな哲学」に対比される「遊びの哲学」であることが、評者の疑問と共に持ち出されている[35]。どの評者も哲学が遊びであることに、つい何か言いたくなってしまっている。そして、私もまたそれについてさらに考えたくなってしまっている。遊びにはきっとそんな魅力がある。私たちは皆なぜか遊びに惹きつけられてしまうのである。
また、前節で見たように、私には、なぜ『なぜこれ』で「遊びのような哲学」[36]と書いたのか、明らかにする責務がある。というのは、さもなければ、私がそこで何を言っているのか、私自身がわかっていないことになってしまうからである。それでは、『なぜこれ』の読者や評者の皆さんに申し訳が立たない。私は、「遊びとしての哲学」ないし「遊びのような哲学」の真意を見るために、ここで遊びを哲学しなければならない。
もう一つの出来事は「遊びでしかない遊び」に関連するものである。たしかに、「遊びでしかない遊び」を初めて体験したのは、二歳の息子と公園で遊べなかったときである。しかし、そのときに「遊びでしかない遊び」ということが私の脳裏を掠めたわけではない。そうではなくて、当時の私には、彼が遊んでいることしかわからなかった。もちろん彼は明らかに遊んでいた。しかし、彼が遊んでしかいなかったことに気がついたのは、――その間ずっと彼の遊びについて考えていたわけではないが、――それから五年の月日が経った頃だった。
その日、私は七歳の息子と「マリオカート」をしていた。私たちは、それぞれ好きなキャラクターとカート(やバイク)などを選び、レース(やバトル)をして遊んでいた。もちろん、「マリオカート」はビデオゲーム(作品)であり、「ビデオゲームは(…)制度化された遊び(…)の中心の一つである」[37]。しかし、(ビデオ)ゲームは「遊びでしかない遊び」ではない。なぜなら、それは(e)スポーツにもなりうるからである。
すると、私は彼と「マリオカート」で、遊んでいるというよりは、むしろ競っていたのかもしれない。だが、練習で培ったテクニックを駆使し、戦略を練ってアイテムを効果的に使い、他のプレイヤーに勝とうとすることこそが、「マリオカート」の本当の遊び方ではないのか。いや、もしかしたら、それは本当は競い方でしかないのかもしれない。というのは、それがeスポーツとしてプレイされるとしても、――練習量や真剣度は異なるだろうが、――きっと同じようにプレイされるからである。しかし、私は、そのようなプレイしか知らなかったし、たぶん今でもそのようにしかプレイできない。
ところが、七歳の息子は、――そのようにプレイすれば、私に勝てるのに、――そのようにプレイしないで、「マリオカート」を遊んでいる。まず、彼の操るノコノコは、レースが始まっても、その場から動かない。その場で動かずに、皆が一周して戻ってくるのをじっと待っている。だが、ひとたび走り出すと、ノコノコは、すぐに他のプレイヤー(特に私)にぶつかってくる。そのせいで私はコースアウトすることになるが、彼もまたコースアウトしている。ときにはさらに崖から突き落とされることもあるが、ノコノコもまた何度も崖に落ちている。また、ノコノコは、コースに戻っても、なぜか再び崖に向かって走り出す。コースに戻されては、また崖から落ちる。また、彼のノコノコは、よく壁に向かって走り、何度も何度も壁にぶつかっている。次こそは壁を通り抜けられるとでも思っているのだろうか。そんなはずはない。彼は次も壁にぶつかることを知っている。にもかかわらず、再び壁にぶつかりに行く。さらに、ノコノコはよくコースを逆走している。逆走しながら、私にぶつかってくる。逆走しながら、崖に落ちていく。もちろん彼はずっと笑顔で楽しそうに遊んでいる[38]。彼は、そのように「マリオカート」を遊びながら、ずっと笑っている。自分の遊び方がおかしくて仕方がないのである。
このとき私は五年前の彼の砂場の遊び方を思い出した。同時に二歳の彼の遊び方に圧倒された衝撃も思い出した。そして、五年経ってもまだそのように遊べる彼に実は感銘を覚えた。「遊びでしかない遊び」という概念が私に芽生えたのはこのときである。彼は五年経ってもまだ遊ぶことだけができた。彼の遊びはなお遊びでしかなかったのである。
だが、彼が遊んでしかいないとき、彼は何をどうしているのだろうか。どうしたら(私も彼のように)遊ぶことだけができるのだろうか。「遊びでしかない遊び」が遊ばれるということは、そもそもどういうことなのだろうか。こうした問いの答えを私はここで形而上学的(メタフィジカル)に探求したい。そうすることで「遊びでしかない遊び」を遊ぶ彼のことも少しは理解できるかもしれない。
[24] 「遊びとしての哲学」という表現は『なぜこれまでからこれからがわかるのか-デイヴィッド・ヒュームと哲学する』への書評で用いられたものである。(鵜殿敬「「遊びとしての哲学」の側面を追求」『図書新聞』第3586号,武久出版,2023年4月8日,5頁.)
[25] 以下『なぜこれ』と略記する。
[26] 成田正人『なぜこれまでからこれからがわかるのか-デイヴィッド・ヒュームと哲学する』青土社,2022年9月28日,19-20頁.
[27] 成田正人『なぜこれまでからこれからがわかるのか-デイヴィッド・ヒュームと哲学する』青土社,2022年9月28日,15頁.
[28] Cf. 永井均『哲学の賑やかな呟き』ぷねうま舎,2013年9月19日,25頁.
[29] たしかに、巷に広がる哲学カフェでは、自分の問いを哲学し続けることはできない。しかし、自分の問いを仲間と共に哲学できる場が、学校や学会の外にあってもよいし、そうして皆で対話を重ね哲学し続けられたら、哲学の同人誌を作ってもよいだろう(Cf. 清水将吾「アウトサイダー・フィロソフィー宣言」『UTCP Uehiro Booklet 15 共創のためのコラボレーション ~ Collaboration for Inclusion』梶谷真司編,2022年10月,117-120頁.)。
[30] とはいえ、どんなことであれ遊びになりうるのなら、アカデミックな研究を(うらやましいことに)遊べる人もいるだろう。
[31] 鵜殿敬「『遊びとしての哲学』の側面を追求」『図書新聞』第3586号,武久出版,2023年4月8日,5頁.
[32] 鵜殿敬「『遊びとしての哲学』の側面を追求」『図書新聞』第3586号,武久出版,2023年4月8日,5頁.
[33] 森直人「『私の帰納の問題』の形而上学的探求」『週刊読書人』第3474号,株式会社読書人,2023年1月27日,3頁.
[34] 森直人「『私の帰納の問題』の形而上学的探求」『週刊読書人』第3474号,株式会社読書人,2023年1月27日,3頁.
[35] 高萩智也「成田正人『なぜこれまでからこれからがわかるのか―デイヴィッド・ヒュームと哲学する』(青土社、2022年)書評」『フィルカル―分析哲学と文化をつなぐ』Vol. 8 No. 1,2023年4月30日,400-411頁.
[36] 成田正人『なぜこれまでからこれからがわかるのか-デイヴィッド・ヒュームと哲学する』青土社,2022年9月28日,14頁.
[37] 松永伸司『ビデオゲームの美学』慶応技術大学出版,2021年9月1日,19頁.
[38] だから、もちろん彼は――たとえばレースに勝てなくて――投げやりにプレイしているのではない。