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大人のための詩心と気心の時間 ~アメリカ詩を手がかりに~

第2回:心身と夫婦愛の詩 ~問いが知の地平を広げる~

この連載は、良い言葉の宝庫である詩作品、とりわけ著者の深く精通するアメリカ詩を中心に読むことで「詩心を知り、気心の滋養を図る」すべての大人に贈る健康と文学への優しい案内です。

第2回目の今回は、吉野弘さんの詩作品を通して言葉と身体について考えたあと、アメリカにおける最初の詩人アン・ブラッドストリートの夫婦愛がテーマの詩作品を読んでいきます。アメリカ最初の詩人は、はたして夫婦愛についてどのように感じていたのでしょうか。英語詩(歌詞も含めて)の理解に欠かせない、技法についての解説もあります。


 

|身も心も誰のものか?

先回の心と身体をめぐる議論を続けるために、日本の現代詩人吉野弘(1926 – 2014)の詩作品「身も心も」を引用します。この作品は、愛することを契機として、心と身体がいわば、主導権を争うドラマを描いています。全体、24行の8連構成ですが、各行の冒頭にある数字は、以下の議論で引用する箇所を特定しやすくするために、筆者が仮に振ったものです。

................................................................

「身も心も(*1)」 吉野弘

1. 身体は

2. 心と一緒なので

3. 心のゆくところについてゆく。

4. 心が 愛する人にゆくとき

5. 身体も 愛する人にゆく。

6. 身も心も。

 

7. 清い心にはげまされ

8. 身体が 初めての愛のしぐさに

9. みちびかれたとき

10.  心が すべてをもはや知らないのを

11.  身体は驚きをもってみた。

 

12.  おずおずとした ためらいを脱ぎ

13.  身体が強く強くなるのを

14.  心は仰いだ しもべのように。

 

15.  強い身体が 心をはげまし

16.  愛のしぐさをくりかえすとき

17.  心がおくれ ためらうのを

18.  身体は驚きをもってみた。

 

19.  心は

20.  身体と一緒なので

21.  身体のゆくところについてゆく。

 

22.  身体が愛する人にゆくとき

23.  心も 愛する人にゆく。

24.  身も心も?

................................................................

先回引用した『養生訓』によれば、貝原益軒は、心が身体の主人であり、身体が心の下僕だと指摘していました。この作品の冒頭でも確かに、愛する心が身体を促して、愛する人のもとへ向かうので、身体が「心のゆくところについてゆく」(3行目)のですが、作品の終わりでは、逆に、愛を求める身体が心を促すので、心が「身体の行くところについてゆく」(21行目)ことになります。

つまり、心身の主従関係がある時点で逆転しますが、それは、性的関係が起こる時点です。すなわち、「初めての愛のしぐさに/みちびかれたとき」(8,9行目)であり、「心が すべてをもはや知らない」(10行目)場面であり、「身体が強く強くなる」(13行目)ときでした。このとき、心は「しもべのように」(14行目)身体の動きを仰ぐのです。

しかしながら、いずれが主導権を握ろうとも、心と身体は「一緒なので」、つまりは、常に「心身一如」なので、結局は、離れることはありません。心身にそれぞれのタイミングやズレが時折はあるとしても、おそらくは、愛があれば、身も心も最終的に「愛する人にゆく」(23行目)のです。

確かにこの作品は、身体的な接触への心のほうの躊躇いと、その心の躊躇いを身体がのり超えてゆく仄かなエロティシズムがあります。

では、最後の「身も心も?」(24行目)という問いは、どういう意味なのでしょうか。おそらく、この問いかけがなくても詩としては成立しています。詩人は、なぜ、この1行を問いとして加えて、この作品を終えたのでしょうか。

この答えは、すぐには見つかりません。可能性としては、詩人のある種の確認なのか、予定調和的に愛に向かうことへの警告なのか、それとも、将来、心身のズレの起こることを予感しているのか、など、色いろと考えることはできますが。

吉野弘は、他にも、「奈々子に」、「I was born」、「祝婚歌」など人口に膾炙した詩作品があり、近年、岩波文庫にも作品集が収められました。今なお人びとに愛されており、ぜひその言葉に直接触れてみてください。なお、詩以外の作品に『現代詩入門』(青土社、2007)など評論もあります。

 

|音読=声=詩

さて、このてらすでは残念ながら、気功等の実践を一緒にすることができませんけれど、詩心と気心が出会い協働し合う場面として、まずは、音読を強く勧めます。

音読が詩心と何となく関係するのはお分かりでしょうが、気心とは、どういう関係にあるのでしょうか。

もともと、音読に関しては、「脳を活性化させてコミュニケーション能力や思考力を高めたり、ストレスを軽減させたりなど、色々な効果がある」といった説明がされますが(*2)、そして、それは、音読の効果を正しく言い当てているのですが、わたしたちは、音読と詩との関係を、さらに、呼吸=息=声=言葉=表現=生命と連想してゆきます。

 大袈裟に言い換えれば、詩を音読するとは、詩を声で楽しむなかで、宇宙の霊魂や自然の大生命とわたしたちの交流する機会でもあるのです。

 音読が可能となるには、詩が文字で書かれていること、そして、文字が読めること、が第一の条件ですが、そもそも、文字の発生以前までを想像すれば、詩は、声で記憶され、声で再生されていたでしょう。そして、記憶しやすいように、1行の音節を揃えたり、様々な韻を工夫したり、あるいは、(反復)を利用したりました。

 文字発生後でも、文字を読める者の少なさや文字を記す素材の貴重さから、音読が可能な状況は限られていたはずですので、逆に言えば、音読ないし朗読によって、字が読めない人たちを含めて詩や物語その他を楽しむ場面があったに違いありません。

 実際、古代ギリシア時代のホメロスや、中世ヨーロッパの吟遊詩人、日本の琵琶法師たちのことを思い浮かべれば十分でしょう。シェイクスピアの時代には、文字に記録されたソネットが回し読みされたり、北米植民地時代では、家族団欒の際に、『聖書』が音読されていたと言われています。

 ちなみに、音読に関連して、これまで、いろいろな呼吸法が紹介されています。このてらすでも、時どき、呼吸法の紹介をできればと思っていますが、まずはどうか、ごじぶんでいろいろと試みてください。最終的には、それぞれが、好みの詩作品やじぶんの心身に最適な呼吸法・健康法をみずから見出され、毎日実践されることを強く希望しています。

 

|私の愛する大切な夫へ

 さて、これからいよいよ、わたしたちは、アメリカ文学を学んできた日本人の学徒として、主としてアメリカ文学の詩作品を取り上げ、詩心と気心をさらに養うという試みに乗り出しましょう。

 まずは、以下の作品を読んでみます。原詩は、全体が12行の構成となっていますが、行数を振る理由は、やはり、原文と日本語訳とを対照しやすくしたり、論じる際の便宜のためです。

................................................................

To My Dear and Loving Husband (*3)

1.  If ever two were one, then surely we.

2.  If ever man were loved by wife, then thee;

3.  If ever wife was happy in a man,

4.  Compare with me, ye women, if you can.

5.  I prize thy love more than whole mines of gold

6.  Or all the riches that the East doth hold.

7.  My love is such that rivers cannot quench,

8.  Nor ought but love from thee, give recompense.

9.  Thy love is such I can no way repay,

10. The heavens reward thee manifold, I pray.

11. Then while we live, in love let's so persever

12. That when we live no more, we may live ever.

 

【日本語訳】

私の愛する大切な夫へ

1.  もしも二つがひとつなら それは まさしく私たち

2.  もしも夫が妻に愛されるとしたら それは あなた

3. もしも妻が夫と暮らして幸せだというのなら

4.  ご婦人方よ 比べられるものなら比べてみて

5.  私はあなたの愛を世界中の金鉱よりも

6.  東洋にあるすべての富よりも尊びます

7.  私の愛は 大水でさえ消すことは出来ないし

8.  あなたからの愛だけがその報いになるのです

9.  あなたの愛に 私がいかにしてもお返しできぬので

10. ただ天が何倍にもして償って下さることを祈ります

11. そしてこの世のある限り愛しあい耐え抜きましょう

12. 生命の終わる時 私たち永遠に生きられますように

 ................................................................

  

|詩の技法について(韻律:シラブル・弱強・脚韻)

 深く理解するために、少々技術的な詩法の話を先にしておいたほうがいいでしょう。伝統的な英詩には、様々な技法があり、それらを駆使しながら、詩人たちは詩を作ってゆきます。大きくいえば、韻律と言われる概念が大切です。

 韻律とは、簡単に言ってしまえば、シラブル(=音節)を規則的に一定数、各行に配置して作られてゆくリズム(=韻律)のことです。

 このシラブル(=音節)とは、1つの母音が、単独か、その前後に子音を伴うか、いずれかで作られる音の単位です。例えば、“picnic”を英和辞典で引けば、“pic・nic”と見出し語に印刷されている場合が多いのですが、これは、“picnic”という単語が、“pic”と“nic”の2つのシラブルから構成されていることを意味します。ですので、シラブルと言っても、アクセントが置かれたり、置かれなかったりします。

 言い直すと、伝統的な英詩は、各行のシラブル(=音節)の数をなるべく揃え、アクセントの有無を考慮しながら、強く読む音節と弱く読む音節を、基本、規則正しく交互に並べます。

 ただし、規則正しくと言っても、並べ方にはいろいろなヴァリエーションがあります。主たるものは、弱強、弱々強、強弱、強弱弱、などでしょう。しかも、読者へ印象付けるために、意図的に、このリズムを壊すことがあります。

 なお、韻律の成り立ちは、心拍と関係するという説明もありますが、そうだとすれば、文化で韻律に違いがあることをなかなか説明できません。例えば、日本語も伝統的に同じ音節の数に基づいて詩作しますが、五音・七音が中心です。英詩の歴史の中で、この規則正しい並べ方に異を唱えたのが、19世紀末ごろから現れた“free verse”(自由韻律)ですけれど、これについては後に詳しくお話することがあると思います。

英詩作品に用いられる韻律で特に多いのは、シラブルの数が1行に10個、リズムが弱強、というパターンです。このパターンは、専門用語でいえば、「弱強5歩格」(iambic pentametre)と呼ばれています。この歩格というのは、強と弱の2種類が組み合わされた2ないし3個の音節(例えば、弱強、弱々強、強弱、強弱弱など)を一つの基本配列パターンとみなして、これを1歩格(英語では“foot”と言います)と数え、この歩格が基本単位となって詩行を作って行きます。この歩格の考え方は、古くはギリシアにまで遡ると言われていますが、語源から言えば、行進の時の一歩だと説明されています。

 韻律は、弱強5歩格のように、特徴的な歩格と、詩行に含まれる歩格の数によって命名されています。例えば、弱弱強四歩格(1行12音節)とか、強弱4歩格(1行8音節)など、様々な韻律があります。

弱強5歩格(1行10音節)がなぜ英詩に多いのかと聞かれても、ちゃんと答えることは難しいかもしれません。最も心地良い響きなのでしょう。日本人にとって、五・七が心地良いのと同じかも知れません。ただし、なぜ心地良いのかは、にわかには説明できません。たとえば、シェクスピア劇の登場人物たちの台詞は、1行のシラブル数が大抵、10で構成されています。そのため原文のセリフを聞いていると耳に心地良いのですが、それだけでなく、何か別の理由もあるかもしれません。

 最後に、脚韻のことです。英詩では各行の最後を同じ音で揃える事が多いのですけれど、これを「脚韻を踏む」と言います。英詩は一連4行構成が多いので、4行を元にして脚韻の踏み方を説明しますと、例えば、aabb(2行ずつの脚韻)、xaxa(1行置きの脚韻)、abba(1、4行目と2、3行目が脚韻を踏む)、 aaxa(3行目以外が脚韻を踏む)、aaax(4行目以外が脚韻を踏む)など、様々なバリエーションがあります。余談ですが、韻律については詩に限らず、現代の欧米のシンガーソングライターたちも技法として多く用いています。好きな曲の歌詞を原文で一度見てみると面白いかもしれません。

 「私の愛する大切な夫へ」を韻律分析してみると、この作品も1行が大抵10シラブルで構成されていて、弱強を基本にしています。

 厳密に数えると、11行目、12行目など、10シラブルを超える行もありますが、これも含めて、基本、1行が弱強のリズムで整えられた、10シラブルで構成されていると言って良いでしょう。また、この作品で使われている2行ずつで脚韻を踏む方法は、カプレットとよばれています。

 

 第1、2行目を例にとって、説明してみます。

1行目      :  If        ever    two   were   one,   then   surely        we.

シラブル   :  If        ev・er   two   were   one,   then   sure・ly       we.

シラブル数:  1      2・3     4     5      6      7    8・9     10

強弱   :  弱       強・弱    強   弱       強     弱    強・弱      強

 

2行目      :   If   ever     man   were   loved   by   wife,   then   thee;

シラブル   :   If   e・ver   man   were    loved   by   wife,   then   thee;

シラブル数: 1      2・3         4      5      6     7      8      9     10

強弱    :   弱   強・弱       強       弱      強      弱       強           弱      強

 

 脚韻は、1行目の最後の単語“we ”と、次の第2行の最後の単語“thee”とが、[i:]という音を共有していますので、第1行目と第2行目がカプレットとなり脚韻を踏んでいると言います。同様にして調べれば、全体12行が各2行ごとに脚韻を踏んでいることを確かめられます。なお、7行目8行目は、擬似音によって脚韻が踏まれているとみなします。

 残念ながら、日本語へ訳出する際に、脚韻や各行10シラブルを日本語訳へ移すことができませんでしたが、こちらの翻訳の方針としては、英単語の出現の行はなるべく同じ行に訳すことを心がけ、また、少なくとも2行ずつ同じ字数になるようにと工夫したので、カプレットの雰囲気が伝わればいいなと思っています。

 

|夫婦愛の特異性〜女性が愛を語ること〜

 この作品は、タイトルからして、すぐに、ある女性がじぶんの配偶者へ愛を捧げた内容であると分かります。分かりますけれど、詩が好きで読んでこられた方にも、アメリカ文学にこれまで関心がなかったならば、ある意味、この作品は、不思議な感覚を与えるかもしれません。と言うのも、恋愛が主題である詩作品は、ほとんどが男性から若くて美しい女性へ宛てるか、そういう女性をうたうか、いずれかでした。当然ながら、男のある意図が隠されているわけです。

 日本の和歌の伝統のなかでも恋人宛てならいざ知らず、あるいは、恨みの歌ならいざ知らず、例えばこんなふうに妻が夫へ宛てて愛を高らかにうたうことあるのでしょうか。『万葉集』には幾つかあるかもしれませんが、そもそもどうすれば夫婦間で恋愛感情が持続するのでしょうか。あるいは、いつから一夫一婦制となり愛のもとで生涯を共にすることが理想となったのでしょうか(*4)

 上から目線の言い方に聞こえるかもしれませんが、こうした質問や疑問を持つことそれ自体が、とても大事なことです。なぜなら、詩心涵養のポイントは、まずは質問を作ることですから。

 なお、文法史の研究者であった伊藤裕道によれば、英語の仮定法は、必ずしも、「現在の反事実」に基づくとは限らないといいます。これに従うなら、この作品原文の1〜3行がすべて“If”に導かれた仮定法過去ですが、たとえそうであっても、すべてを事実に反する仮定だと見なす必要はないということになります。日本の英語教育においては、学校文法は、仮定法過去を「現在の反事実」にのみ限定化・倭小化しているのですが、仮定法過去は「現在の反事実」だけでなく「現在または未来に起こる可能性の低い仮定」も表していますので (*5)

 

|問いが知の地平を広げる

 極端な言い方をすれば、良い質問を作ることができるなら、それはもう、すでに99%の理解に達したのも同じです。ただし、質問は回答があって初めて完結しますし、勿論、芥川龍之介ではありませんが、99パーセントを道半ばと捉えるべきでしょうけれど。

 先ほども言いましたように、この作品を読んで、すぐに「妻」が「夫」への愛を高らかに歌っているとわかりますが、でも、たとえば、質問として、以下を列記して、次回としましょう。質問を作るためは、まず一般的には、5W1Hを利用します。 

When :いつ

Where:どこで

Who  :だれが

What :なにを

Why  :なぜ

How :どのようにして

 となります。この5W1Hは、英語では、“Five Ws”、“Five Ws & One How”、“Six Ws”などとも言われ、的確な文章を書くための基本です。この5W1Hの起源は、アリストテレスの『ニコマス倫理学』にあると説明されますが、特に、現代において、ビジネス文や、ニュース記事執筆の際に肝要なことでした。以下の一節は、イギリスの詩人キプリング(1865-1936)の「象の子ども」(“The Elephant's Child”)からの引用です。

................................................................

I keep six honest serving-men

(They taught me all I knew);

Their names are What and Why and When

And How and Where and Who. (*6)

【日本語訳】 

ぼくには6人の正直な召使がいます

(ぼくの知っていることは皆、彼らがぼくに教えてくれました)

彼らの名前は「なにを」と「なぜ」と「いつ」

それから「どのようにして」「どこで」「だれが」です

 ................................................................

 ここには、5W1Hが新たな知の地平へわたしたちを導くと指摘しています。なお、この5W1Hに加えて、Result(「どうなったか?」)を加えることがあります。

 これらを参考にしながら、何度も作品を読んで、さらに、内容に関して質問を作りましょう。次回までに、質問をたくさん用意しておいてもらえますか。これは、わたしたちの詩心の涵養となりますので。 

 


(*1) 吉野弘『吉野弘詩集』現代詩文庫、思潮社、25-26頁。
(*2) 音読については、STUDY HACKER https://studyhacker.net/read-aloud#音読や、         https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kosodate/shougai_gakushu/manabican/manabi_internet/64.files/27900_L11_ondoku.pdf
などを参照してください。
(*3) Anne Bradstreet, “To My Dear and Loving Husband,” Poetry Foundation, https://www.poetryfoundation.org/poems/43706/to-my-dear-and-loving-husband, 2/25/21閲覧。
なお、作品朗読は、“To My Dear and Loving Husband”で検索して、「動画」上でマウスを押すと、 https://www.youtube.com/watch?v=UO1xWU4oEYM など、いくつかの朗読サイトが出てきます。気に入ったサイトで朗読を聴きながら、ご自分でも音読を楽しんでください。
(*4)『万葉集』には、夫婦愛の和歌が、2、3、あるようです。ただ、本当に夫婦なのか恋人なのか、あるいは、持続したのかどうか、不明のようです。
(*5) 伊藤裕道「「仮定法」の英文法教育史文法事項の史的検討(5)」 https://www.jstage.jst.go.jp/article/hisetjournal1986/17/0/17_41/_pdf  21/02/28閲覧。
(*6) Rudyard Kipling, “The Elephant's Child.”  https://sergiocaredda.eu/inspiration/i-keep-six-honest-serving-men-a-poem-by-rudyard-kipling/ 2/25/21閲覧。

 

 

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著者略歴

  1. 渡辺 信二

    アメリカ文学研究者、詩人、翻訳家。立教大学名誉教授。北海道札幌市出身。専門はアメリカ詩、日米比較、創作。著書に『荒野からうた声が聞こえる』(朝文社、1994年)、『アン・ブラッドストリートとエドワード・テイラー』(松柏社、1999年)など、詩集に『まりぃのための鎮魂歌』(ふみくら書房、1993年)、"Spell of a Bird"(Vantage Press、1997年)など、翻訳に『アメリカ名詩選』 (本の友社、1997年)などがある。

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