第13回:夫婦愛の詩⑨:理想の夫婦は、友達同士か?
この連載は、良い言葉の宝庫である詩作品、とりわけ著者の深く精通するアメリカ詩を中心に読んでいきます。作品そのものを味わい、作品から読み取れるテーマについて思考を深めていきます。
「詩心を知り、気心の滋養を図る」すべての大人に贈る、健康と文学への優しい(?)案内です!
|夫婦関係で、友情は成立するか?
アメリカ文学の中で友情関係というと、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』に描かれたイシュメールとクイーケグや、マーク・トウェインのトム・ソーヤとハックルベリー・フィンがすぐに思い出されます。これらは、男同士の友情ですが、19世紀のアメリカ文学では、女性同士の友情もよく描かれています。では、友情というのは同性同士に限ったものなのでしょうか。男女関係、特に、夫婦関係では成立しないのでしょうか。
イギリスの詩人で作家のオスカー・ワイルド(1854~1900)は、「男女の間では、友情は、不可能だ。情熱と敵意と崇拝と愛はあるが、友情はない」と言っているらしいのですが、これに対して、250年前に挑戦していたのが、アン・ブラドストリートでした。彼女は、夫を夫として愛しているだけでなく、二人の関係を「友人」と見なしていたのです。
「2人がひとつ 」という夫婦和合の理念は、男女が互いに相手を尊重し合う関係の中でのみ成立します。アン・ブラドストリートは、この理念を「わたしの愛する大切な夫へ」だけでなく、「手紙、公務で不在の夫へ 」(“A Letter to Her Husband, Absent upon Publick Employment”)という作品のなかでも繰り返してうたっています。
また、以前紹介した「出産の前に」(“Before the Birth of One of her Children” (*1))という詩作品は、何度目かの出産を前にして、ひょっとして今度のお産では、自分が死ぬかもしれないと恐怖して書かれた夫への遺書ですが、そこには一般論としてまず、どんなに「強い絆」で結ばれているとしても、必ず人は死ぬので、別れが訪れることを指摘します。そして、その「強い絆」とは、結婚関係というよりは、友情で結ばれた関係で表現されています。
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この虚ろいやすい世の中のすべてに終りがあり
苦しみはなお わたしたちの喜びにつきまとう
どんなに強い絆でも どんなに大切で優しい友でも
必ず 死という別れの一撃が やってくるのです
既になされた判決は 覆せません 5
当たり前のことですけれど でも ああ 避けられません
どんなにすばやく ねえ あなた わたしの足下に 死がまとわりついてきて
どんなにすばやく あなたは あなたの友人を失う運命なのでしょうか
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ここでいう「どんなに大切で優しい友」(3行目)や「あなたの友人」(8行目)とは、アン・ブラドストリート自身のことを指しています。
1661年 1月16日付けの作品「私の大切な愛する夫がイギリスに行く」(*2)では、夫の航海の安全を神に祈願しながら、「主よ どうか彼を守りたまえ/夫は 私の親愛なる友なのです」とうたっていました。
このように、サイモンとアンのブラドストリート夫妻の関係においては、エロス(性愛)がフィリア(友愛)と融合していると言っていいでしょう。これは、非常に稀な例であって、ほとんどの夫婦関係は友人関係ではありません。しかし、彼女たちと友情志向を共有すると思われるのが、19世紀アメリカ小説の『緋文字』(1850)に描かれたヘスター・プリンです。彼女もまた、愛する男との関係を明確に「友だち」と定義しています。
|自己救済を求める男、愛に生きる女
ナサニエル・ホーソンの書いた『緋文字』は、フランス文学の『ボヴァリー夫人』(1856)、ロシア文学の『アンナ・カレーニナ』(1877)と並んで、世界三大不倫小説として名まえがよく挙げられます。しかし、この小説は、他の2作と異なって、非常にアメリカ的です。
まず、他の2作品と異なり、主人公の女性ヘスター・プリンは、自殺しません。そもそも、この小説では、既に不倫関係が終わっているところから物語が始まります。
作品冒頭、ヘスターは、胸に赤い文字でAと書かれた服を身につけ、赤ん坊を抱いて、監獄から人々の前に姿を現します。このAは、「不倫」を意味するAdulteryの頭文字です。彼女は、不倫相手の名前を誰にも明かさず、女手一つで子どもを育てながら、贖罪も兼ねて恵まれない人々を助けつつ、不倫相手の男性の住むボストンのはずれで、7年もの間ひっそりと暮らしました。そして、彼が亡くなった後も、暫しの空白期間のち、ボストンに再び戻ってきて、死ぬまで緋文字をつけながら暮らします。
物語7年間の時代設定は、1642年から49年ですけれど、先回も取り上げた実在人物ウインスロプも作品中で言及されており、彼の亡くなった場面では、彼女が手伝いに呼ばれたりしています。
緋文字のロゴ(1878年版『緋文字』より)
松岡正剛によれば、ヘスターと不倫する相手を牧師としたのは、ホーソンが、ボストン追放となるアン・ハチンソンと、当時の有力な牧師であったジョン・コットンとの関係に着想を得たのではないかと推測しています(*3)。この松岡の推測の当否はさておいて、ヘスターが不倫相手の牧師アーサー・ディムズデイルと森の中で出会う場面が、第17章にあります。それは、ヘスターが、罪の意識に苛まれて自己懲罰を7年間続けるアーサーを見るに見かねて、真実を告げ、かつ、打開策を提案するためでした。そこでヘスターは、アーサーと同居している医者が実は、ヘスターの夫であることを告げ、その後、子どもを連れてふたりでヨーロッパへ逃げようと提案するのですが、その会話の中で以下のようなやりとりがあります。ちょっと長いのですが、引用します。
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…牧師は答えた。「あの懺悔は、…何の役にも立たない。…おれは、もっと昔に、最後の審判の席に着くように、この牧師の服など捨てて、みんなの前に裸を晒した方がよかった。おまえはいいよ、ヘスター、胸に緋文字を大っぴらに着けてるんだから。おれのは、人目につかずに燃えている。おまえにはわからないだろうが、7年も世間を騙し続けて、やっとこうして、おれがどんな人間か分かっている人の目(=ヘスターの目)を覗き込めるのは、何と、ほっとする事なのか。もしもおれに一人でも友だちがいたなら、それとも、私の最悪の敵だっていい、他人の上辺の賞賛にうんざりした時なぞ、毎日その人のもとに身を置いて、すべての罪人の中で最も下劣な者だと知ってもらえるのなら、おれは何とか生きていけるのかもしれないが。それだって、真実があれば救われる。だけど、今はすべてが嘘っぱちだ! すべて虚しい! すべて、死ねってことだ!」
ヘスター・プリンは彼の顔を見て、話すのをためらっていた。しかし、彼が長い間抑えていた感情を激しく口にしてしたことが、まさに彼女の思いを言葉にする機会をもたらした。彼女は恐れに打ち勝ち,話した。
彼女は言った、「あなたが今まさに望んだその友だちが、あなたの罪を共に泣く者が、わたしの中にいます、わたしがまさに、その罪の相棒なのですから!」再び彼女は、躊躇し、努めて言葉をさらに繋いだ、「そして、その最悪の敵もいて、ずっと、あなたと同じ屋根の下で暮らしています!」
牧師は、息を切らしながら立ち上がり、心臓を引き裂くかのように胸を握りしめた。「はあ! 何を言う!」と彼は叫んだ、「敵だと! そして、おれの屋根の下で、だと! どう言う意味だ!」(*4)
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彼女は、明確に、自分を牧師の友人として定義しています。そして、自分の夫ロジャー・チリングワースを「敵」と名指しします。しかし、牧師が反応したのは、上記の通り、「友だち」ヘスターではなくて、「敵」であるチリングワースの方でした。この場面は、不倫の場面以降、3度目の出会いの場なのですが、アーサーは、彼女の提案する打開策を無視します。この出会いは、結局、男が女を置き去りにしてゆくための設定だったようです。
アーサーとの最後の場面で、ヘスターが彼に駆け寄り、死後に二人が会う可能性はないのかと彼に尋ねます。これは、アン・ブラドストリートの「私の愛する大切な夫へ」の最終行(*5)で示された「生命の終わる時 私たち永遠に生きられますように」という希望と対応しますが、しかし、この『緋文字』では、ヘスターに対して、男が神を持ちだして、言下に否定します。
友だち関係とは、自由で平等な、等身大の人間同士の間でのみ成立します。それは、男女関係では、とりわけ、そうでしょう。このため、『緋文字』で描かれている白人男性中心主義であるような社会において、男女間に友情が成立するというのは、なお理想として希求されるべき、かなり稀な関係である、と言うことができましょう。
註
(*1) Anne Bradstreet, “Before the Birth of One of Her Children” Poetry Foundation. https://www.poetryfoundation.org/poems/46450/before-the-birth-of-one-of-her-children 22/03/10閲覧。
(*2) Bradstreet, Anne. The Works of Anne Bradstreet in Prose and Verse. Ed. John Harvard Ellis. Charlestown, Mass Abram E. Cutter, 1867). 第 4 版。
(*3) 「ナサニエル・ホーソーン 緋文字」松岡正剛の千夜一夜。https://1000ya.isis.ne.jp/1474.html 22/03/10閲覧。
(*4) Hawthorne, Nathaniel. The Scarlet Letter, Chapter17, The Project Gutenberg eBook. https://www.gutenberg.org/files/25344/25344-h/25344-h.htm 2022/03/10閲覧。日本語訳は筆者による。
(*5) アン・ブラドストリートの「私の愛する大切な夫へ」https://webzine.asahipress.com/posts/4890 22/03/10閲覧。
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