第8回:夫婦愛の詩④~夫婦愛は公言すべきか、秘め事であるべきか②~
この連載は、良い言葉の宝庫である詩作品、とりわけ著者の深く精通するアメリカ詩を中心に読むことで「詩心を知り、気心の滋養を図る」すべての大人に贈る健康と文学への優しい案内です。
|リア王におけるコーディリアの秘めた愛
前回は、「秘めた愛」として、イギリスの詩人ジョン・ダンの詩や、日本の万葉の頃の詩を考察しましたが、「愛は秘めておく」という例ですぐに思い出す他の例としては、シェイクスピアの『リア王』に出てくるコーディリアの台詞です。彼女の場合は夫婦愛ではなく、家族愛ですが、劇中でコーディリアは、二人の姉たちに倣い、愛を言葉で表現するようにと王である父親に強いられる場面を前にして、彼女は、自らに問いながら、観客に向かって次のように自分の思いを漏らします。
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コーディリアは どうしたらいいの?
ただ愛して そして 黙っていること
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英語の彼女の声は、“Love, and be silent.”と表現されますが、そうじぶんに言い聞かせているように聞こえます。それからこう続けます。
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かわいそうなコーディリア!
でもそうではないわ だって、わかっているのですもの わたしの愛は
わたしの言葉よりもずっと豊かなのだから(*1)
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彼女が語るように、はたして愛のすべてを言葉に置き換えることはできないのでしょうか?また、言葉で語りつくすことができる愛も存在するのでしょうか?
自分の娘であるコーディリアを追放するリア王
|愛は公言することに意味がある?
しかし、生まれはイギリスであり、生きている間もずっとイギリス人であったはずのアン・ブラドストリートが、なぜ「我が愛する大切な夫へ」の中で声高に夫婦愛を強調するのでしょうか。
たぶん、彼女にとって、フィクションであるとしても、夫婦愛を公言することが自己表現として必然であったのでしょう。
本国を捨てたイギリスのピューリタンたちは、家族単位、夫婦単位で北米へ移住します。それは、聖書の「創世記」第12章にあるように、神がアブラハム(旧約聖書における、最初のヘブライ人)に与えた召命を、今、じぶんたちもまた共有し遂行するのだという強い決意でした。まだ見たこともない土地ヘ向かうアブラハムのように、アメリカン・ピューリタンたちもまた、イギリスを出立しました。ですので、100名単位の死者を出しながら、数ヶ月をかけながら、大西洋を渡ってきたじぶんたちの決意と苦労を言語化することは、おそらく、決して自慢ではなく、事実として、神の偉業達成の一助となるとの確信から行ったものでしょう。
ですので、この夫婦愛の公言は、言語化することが現実化することであり、現実化されるものは、すべからく言語化されるというアメリカ的な特徴の表れだったのではないでしょうか。言ってみれば、そのアメリカ的な有言実行の初期の例として、このブラドストリートの愛の公言、愛の自慢を捉えることができるかもしれません。
|一夫一婦制の純粋培養
愛に基づく夫婦関係については第4回でハムレットのセリフへ言及しながら説明しましたが、16、17世紀頃のプロテスタントたちを中心に、一夫一婦制を結婚制度として認識するようになっていきました。
この一夫一婦制は北米植民地から始まった、とはもちろん言えないのですが、はっきりしているのは、この頃に「結婚」という概念を純粋培養したのが北米だったという点です。
すなわち、北米へ移住してきたピューリタンたちの多くは、夫婦単位や家族連れだったのであり、彼らの住む世界は、旧ヨーロッパやイギリスと全く異なって、様ざまな男女関係や、「結婚」に関する様ざまな変型は、存在していませんでした。一言で言えば、結婚は一夫一婦制であり、家族は核家族が基本です。
ピューリタン社会では、男女の肉体関係は、結婚制度の中でしか許されていません。実態は別にして、婚前交渉や婚外交渉は処罰対象だったという指摘があります(*2)。
|神の命令、神の恩寵としての結婚
そもそも、キリスト教世界において、結婚は神聖なものでした。旧約聖書の「エフェソの信徒への手紙」(5:21-32)において、神との契約が結婚の例えで説明されていた通り、「人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」ように、彼らにとって、結婚は、神の命令であり、神の恩寵でした。
あるいは、「マタイ福音書」(19:4−6)には、以下のイエス・キリストの言葉があります。
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イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。(下線部は筆者による)
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これは、イエスを貶めようとするパリサイ人の言い掛かりにも似た「「何かの理由で、夫がその妻を家から追い出すのは、さしつかえないでしょうか」という質問への答えですが、イエスが言うように、キリスト教において、結婚は神の召命であり、そうやすやすと男の都合で女を離縁して良いものではありませんでした。
|アン・ブラドストリートはどこから愛を語っているのか?
ちょっと不思議なのは、この「私の愛する大切な夫へ」が夫を「あなた」と呼びながら、同時に、女性たちにも「あなたがた」と話しかけていることです。すなわち、「我が愛する大切な夫へ」の第4行目「あなたがた ご婦人 比べるなら比べてみて」と女性に呼びかけていることを、どう説明すべきでしょうか。夫に「あなた」と呼びかけながら、女性たちにも「あなたがた」と呼びかけているのですから、場面設定として、側に夫がいて、同時にそこに、既婚の女性たちが複数同席しているということになります。しかし、当時、そういう場面は、非常に考えにくいので、多分、これは虚構の場面設定でしょう。
ただし、強いて実際の日常生活の場面から生まれた言葉だと想像すれば、教会の定例礼拝が考えられます。しかし、通常、教会で女性は発言を許されていませんでした。
もうひとつ考えられるのは、改心の場面です。そこでは、改心の語り(conversion narrative)が行なわれるのですが、これは、17世紀から18世紀半ばまで、マサチューセツのピューリタンたちに特有の行為だと言われています。
彼らは、信仰を教会の本質であるとみなしていたために、教会員候補に信仰があるかどうかを確かめようとして、すべての教会員候補にこれを求めました。これは一種の通過儀礼のような側面がありました。
実際、教会への参加資格として、この改心の語りは、集まった教会員全員の前において大声で、読まれるか、あるいは、語られねばなりませんでした。しかも当時は、教会員資格が、そのままで、市民権でもあったので、宗教的だけでなく政治的に非常に重要な資格でもありました(*3)。そして、アン・ブラドストリートは、この信仰告白の場を愛の告白の場として虚構して、詩作品としたのではないかとも推測できます。
この推測の正否は別にして、こうした夫婦愛の最重視、また、その夫婦愛が礎となり核となって成立する家族愛の最重視こそが、大航海時代において北米海岸を繁栄するイギリスの植民地とした礎であり、夫婦分業体制のもと、アメリカを形作っていきました。言い換えれば、夫婦愛こそがアメリカの神話であり、また、伝統でもあると言ってもいいのではないでしょうか。
|夫婦愛はアメリカの礎、アメリカの神話、アメリカの伝統
この視点から見て、すぐに思い浮かぶ例は、職場のデスクに家族写真を飾る人たちがアメリカでは少なくないことでしょうか。もちろん、職場のデスクに私物は置かない、置かせないという主義の職場もあるでしょうが。
ジョー・バイデン大統領とジル・バイデン夫妻
あるいは、2020年11月にアメリカ合衆国新大統領に選ばれたジョー・バイデンの勝利演説はどうでしょう(*4)。演説の中で、彼は、妻や家族への感謝を捧げています。同じく、初の女性副大統領となるカマラ・ハリスも、彼を紹介する前にやはり短い演説を行いましたが(*5)、やはり、夫や家族への感謝を捧げていました。これは、ちょっと、日本では考えらないことでしょう。
カマラ・ハリス副大統領とダグ・エムホフ(セカンドジェントルマン)夫妻
アメリカ大統領選挙に勝利したすべての人が、配偶者や家族へ愛と感謝を勝利演説で開陳するわけではありませんが、でも、すぐ名前を上げろというなら、個人的には、ドナルド・トランプが思い浮かびます。彼は勝利演説の際に、妻や家族を筆頭に、多すぎるくらい多くの名前を挙げていました。他にも、ロナルド・レーガン、ジョージ・ブッシュなど歴代の大統領が、配偶者へ愛と感謝を公の場で捧げています。
第9回:夫婦愛の詩⑤:夫婦愛は死を超越するか?
註
(*1) Shakespeare, William. King Lear. E-Text. Act I, Scene I. http://shakespeare.mit.edu/lear/full.html 3/7/2021 閲覧。
(*2) Wade,Lisa. "Before Love: Puritan Beliefs about Sex and Marriage." The Society Pages.
https://thesocietypages.org/socimages/2013/02/15/before-love-puritan-beliefs-about-marriage-and-procreation/ 2/2/2022 閲覧。
(*3) Caldwell, Patricia. The Puritan Conversion Narrative: The Beginnings of American Expression. New York: Cambridge UP, 1983 及び、Morgan, Edmund S. Visible Saints: The History of a Puritan Idea. Ithaca:Cornell UP, 1963 などを参照。
(*4) バイデン氏勝利宣言演説・全文完訳「アメリカの魂を取り戻す」<アメリカ大統領選>『東京新聞』2010. 11.11。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/67130 03/07/2021閲覧。
(*5) 初の女性副大統領へ「私が最後ではない」カマラ・ハリス氏の演説全文 完訳<アメリカ大統領選>『東京新聞』2010. 11.11.. https://www.tokyo-np.co.jp/article/67134 03/07/2021 閲覧。
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