第12回:夫婦愛の詩⑧:理想の夫婦は、友達同士か?
この連載は、良い言葉の宝庫である詩作品、とりわけ著者の深く精通するアメリカ詩を中心に読んでいきます。作品そのものを味わい、作品から読み取れるテーマについて思考を深めていきます。
「詩心を知り、気心の滋養を図る」すべての大人に贈る、健康と文学への優しい(?)案内です!
|アメリカ的「友達」感覚
マサチューセッツ工科大学(MIT)のインターナショナル・ステューデンツ・オフィス(ISO)のホームページを覗くと、外国からの留学生がアメリカ人と友人になる方法に関して、ヒントを示しています。これが、非常に興味深い。それは、「アメリカ文化における<友情>の定義に戸惑ったことはないだろうか」という文章から始まります(*1)。
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アメリカ人はよく、他人を簡単に友達と呼びます。これは、おそらく英語にうまく言い表す別の言葉がないため、ゆるやかに使われる言葉です。あなたの国では、「友情」の使い方はまったく違うかもしれません。
多くの留学生の心を打った例えに、アメリカ人を桃に、他の多くの国の人々をココナッツに例えるというものがあります。アメリカ人は、ぱっと見はやわらかく、とっつきやすいが、内面は固い。アメリカ人と本当に親しくなり、本当の友情を築くのは難しい。それに対して、他の多くの国の人々は、ココナッツのようなものかもしれません。中に入るのは難しいが、いったん中に入ると心地よく、固い外見を乗り越えたとき、本当の友達になれる。<深い友情>を育みたいのなら、ランチに誘うのが良いきっかけになるかもしれません。
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MITの東キャンパス(マサチューセッツ州ケンブリッジ)
|個人主義と同居する、アメリカ人のフランクさ
私も1年間の留学を2度アメリカで経験したことがあるので、この文章には大いに肯けます。この文章に沿って、私なりに言い換えれば、アメリカ人は一般的に礼儀正しいですが、その前に彼らはとても個人主義的である、と言えます。自分の領域をとても大切にする人たちです。彼ら、彼女らは多分、他の人たちに、「良い人だ」、「フレンドリーだ」、あるいは「親切だ」と思われたいので、初対面の時などは特に愛想が良いのです。でも一方で、自分のプライベートな空間を最優先しますので、すぐに人と親しくなることは決してありません。
多くのアメリカ人は、自分と自分の時間を守るのが第一の優先事項です。そのため、そう簡単には、例えば、ランチの約束などもしません。こちらが気楽に「また今度、ランチでもしましょうか?」などと言うと、大抵のアメリカ人は、愛想よく、「もちろん」と答えてくれますが、でも、それで、その話題は終わります。と言うか、アメリカ人がほんとにランチをしたいというつもりなら、ほとんどが、「いつ?」と聞き返してきます。
このIOSの記事で、わたしたちが特に注目したいのは、現代のアメリカ人大学生にも脈々と流れている、個人主義、あるいは、独立精神への言及です。「ほとんどのアメリカ人は、非常に深い個人的な結びつきを持つ、生涯続く友人関係をほんの少ししか築きません」とさえ指摘されていますが、これは、イギリス人と言うよりは、ピューリタンとして、信仰の自由を保証する神の国を建設しようとして、大西洋の北米海岸沿いに移住してきた人たちに源を発する面があるのかもしれません。
逆にいえば、本当の友情が築けるならば、それは、アメリカ人にとって非常に稀な、至極の人間関係だと言えるのではないでしょうか。実際、英米文学では、様々な友情が描かれています。
|『ハムレット』における友情
英米文学における有名な友情関係と言えば、シェイクスピアの『ハムレット』で演じられるホレイショとハムレットの友情でしょう。ホレイシオは、第一幕第一場で幽霊を確認し、先王に酷似している旨をハムレットに告げます。ホレイシオは、ハムレットに対して一歩引いた臣下の言動と振る舞いを常に保ちますが、しかし、互いに心を許し合う中であることは間違いありません。ハムレットは、彼を「わが親友」(“my good friend”:第1幕第2場)と呼んでいますし、父親の幽霊を見た後、気が狂ったふりをするという決心も、ホレイシオにだけ伝えます。また、ホレイショは、最後の場面(第5幕第2場)で、ハムレットから死後を託される者です。
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ハムレット
もういい。ホレイシオ、おれは死ぬ、
君は生きろ、事情を知らぬ人々に
ことの顛末を知らせてくれ。
ホレイシオ
そんなことはできません。
わたしは、デンマーク人であるよりも、古代のローマ人でありたい。
ここにまだ、毒入りのぶどう酒が残っている。
ハムレット
君は男だろう、
それをよこせ。おれが飲む。
おお、ホレイシオ。真相が知られぬままだったら
おれが死んでからどんな汚名を着せられるか知れない。
もし君が本当におれのことを思っているのなら、
しばし天の至福を先送りし、
この生きづらい世を生きて
おれの話を世間に伝えてくれ。(*2)
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ドラクロワ「墓場のハムレットとホレイシオ」
いわば、ホレイシオは、ハムレットの物語を語るため生きよ、とハムレットから頼まれ、劇から生き延びる唯一の主要人物でもあるのです。
|共同体の礎は友情
シェイクスピアはイギリスの劇作家ですが、もちろんアメリカにおいても、友情の重要性は、北米植民地時代から現在に至るまで変わりません。
アメリカ文学史において、大きな意味で文学に加えて良いと思われる重要な初期散文のひとつに、ジョン・ウインスロプ(John Winthrop 1587/88 – 1649) の「クリスチャン的な愛の雛形」(“A Model of Christian Charity” 1630)がありますが、ここで、彼が最重要視したのが、キリスト教的な友愛、ないし兄弟愛でした。
ウインスロプは、アン・ブラドストリートやその家族を含めた700名前後の人々とともに、アーベラ号を旗艦とする5隻の船で1630年に北米へ渡ってきました。彼は年に1度行われる選挙で、マサチューセツ湾岸植民地の総督に何度も選ばれ、植民地経営の責任を引き受けて、人びとを指導していました。
当時のボストンに移住してきた人々の多くは、宗教上の理由で、イギリス王室の迫害から逃れてきた入植者たちですが、ウインスロプは「クリスチャン的な愛の雛形」においては、「ある者が富み、ある者が貧しいというように、神は人間の間に多様な条件を定めているという大前提のもとに、こうした多様性を通じて統一が実現される」と説き、その礎に、「友情」=「兄弟愛」を置いて、理想に基づく政治共同体のビジョンを提示しています。
1630年、ボストンに入るウインスロプの訪米移住船隊
|敵も友か、敵は敵か
例えば、彼はマタイによる福音書(Matt. 5:44)を引きながら、「敵さえも友人とみなすように」と促しています。以下の英文は、当時のピューリタンたちが愛読したと考えられる1599年版『ジュネーヴ聖書』から引用です。
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44 But I say unto you, Love your enemies: bless them that curse you: do good to them that hate you, and pray for them which hurt you, and persecute you (*3)
44しかし、あなたがたに言います。敵を愛し、あなたがたを呪っている者を祝福し、あなたがたを憎んでいる者に善を行い、あなたがたを傷つけ、迫害している者のために祈りなさい。
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自分たちが友人に対して行うのと同じことを、彼ら「敵」にも行うようにと促しています。ウィンスロプは、この「クリスチャン的な愛の雛形」において、共に同じ信仰を持つことを前提として、「隣人の善は、自分自身の善と一体である」と考え、有形無形の資産を進んで惜しみなく他者に提供するよう人びとを促しました。具体的には、7年に一度、金銭の貸借を見直して、返せない人の借金は棒引きして、なかったことにしようと提案しています。あるいは、彼は聖書の「山上の垂訓」(「マタイによる福音書」第5-7章)から、「あなたがたは、世の光である。山の上にある都市は隠れることができない」を引き、アメリカの輝かしい未来を予言したのでした。実は、この辺りから、「アメリカは神の国」神話が始まっているわけです。
ただし、現実には、たとえクリスチャンと言えども、敵を友人と見なして『聖書』の通りに振る舞うのはほとんど稀です。これは、世界史を繙けば、ギリシア正教を含めて、キリスト教を信ずるクリスチャンの国々の間で、激しい戦争が繰り返し行なわれてきていることでも明らかです。実際のマサチューセツ湾岸植民地経営においても、1637年のアン・ハチンソン裁判で明らかな通り、かなり不寛容の面があります。
|アン・ハチンソンが見た、アメリカの不寛容さ
ここで、アン・ハチンソン裁判について、すこし説明しましょう(*4)。
アン・ハチンソンは、17世紀前半の熱心なピューリタンであり、1634年にイギリスからボストンに移住してきました。また、アンの夫であるウィル・ハチンソンは裕福であったとされ、彼らは、ボストンのウィンスロプ総督の家のすぐ向かいにある、切妻造りの家に住んでいたと言います。
彼女は、そこで女性のために一種の宗教研究会を週2回開き始めましたが、彼女の教えは、もともとのカルヴィニズムに近く、「救済は神の恵みによって決まる」と主張して、正統派であるボストンの牧師たちの主張「救済されるには人間側の行いと努力が大事だ」という意見を否定しました。また時には、牧師たち自身をも批判しました。そして、次第に彼女の集まりに男性も参加するようになりますが、これらが、ウィンスロプたち植民地運営者側の逆鱗に触れました。あるいは、彼らの不安を掻き立てたのかもしれません。
裁かれるアン・ハチンソン
ジョン・ウインスロプ
彼女は、社会的秩序を乱したとされ、裁判にかけられますが、下世話な言い方をすれば、「女のくせにでしゃばって」という反感も強かったのでしょう。確かに、このアン・ハチンソン裁判は、女性による指導を否定することが一つの要点でした。
結局、彼女は、マサチューセッツ植民地を追放されることとなり、他の者とともにボストンを去って、新たな移住先ロードアイランドで信仰の自由な国を築こうとします。しかし、移住後に夫が亡くなり、その後、現在のニューヨーク州に移住します。そして、間も無く、インディアンの襲撃にあって彼女自身も亡くなります。
このアン・ハチンソン裁判で、アメリカが必ずしも自由な国ではないことが示されました。それと同時に、公判であったとは言え、女性が公衆に向かって語るという、当時の状況から見れば画期的な場面が展開されたわけです。また、別の場所ではあるけれど、自由な国を建設するという選択肢も示されました。
さらには、「何が真実かを決めるのは、個人の良心の力である」という彼女の信念は、17世紀のロードアイランド憲章と18世紀の合衆国憲法において、宗教の自由を規定するきっかけとなっています。彼女は更に、逆説的な言い方ですが、北米初の大学ハーヴァード大学の産みの親であるとも言われます。というのは、彼女の追放後、マサチューセッツ湾岸植民地はより宗教的な正統性を強化して、カリスマ的な急進派が再びボストンを支配することを防ぐためにハーヴァード大学を創設した、という見方もあるのです。
マサチューセッツでは、これ以外にも、宗教的な不寛容と女性差別の例が散見されますが、例えば、1660年には、アン・ハチンソンの教えを汲む女性のメアリ・ダイア(Mary Dyer 1611-1660)が、ボストンにおいてクェーカーであるという罪で、絞首刑になっています。
存命中は、不遇な時を過ごしたアン・ハチンソンですが、1922年になって、ボストン州庁舎前に、アン・ハッチンソンとその幼少の娘スザンナの像が建立されました。そして、1987年には、マサチューセッツ州知事のマイケル・デュカキスが、350年前のウィンスロプ知事による追放命令を取り消して、アン・ハチンソンに恩赦を与えました。
なお、父と夫がともにマサチューセッツ植民地の運営側であり、特に、父は裁判の際の判事の一人であり、アン・ハチンソン排斥の主先鋒であったにも関わらず、アン・ブラドストリート自身は、彼女の友人であり続けたと言われています。まだこの事実を、筆者は、確認できていませんが、もしそうだとすれば、信仰を跨いだ友情が築かれていたということでしょう。
注
(*1) “The Paradox of American Friendliness.” International Students Office, MIT. https://iso.mit.edu/americanisms/american-friendship/ 2022/03/06閲覧。
(*2)『対訳ハムレット』Act5 Scene 2 Part 3 http://james.3zoku.com/shakespeare/hamlet/hamlet5.2.3.html 2022/03/06閲覧。
(*3) “Matthew 5:43-45,” 1599 Geneva Bible, https://www.biblegateway.com/passage/?search=Matthew%205:43-45&version=GNV 22/03/10閲覧。
(*4) アン・ハチンソン裁判の説明は、以下のサイトを参照しています。
“Famous Trials,” https://www.famous-trials.com/hutchinson 2022/06/23閲覧。
“A heretic's overdue honor, ” http://archive.boston.com/news/globe/editorial_opinion/oped/articles/2005/09/07/a_heretics_overdue_honor/ https://www.famous-trials.com/hutchinson 2022/06/23閲覧。
“Anne Hutchinson: American religious leader,” Britannica. https://www.britannica.com/topic/antinomianism 2022/06/23閲覧
女性実力者の系譜-植民地時代「アン・ダドリー・ブラッドストリート」 アメリカンセンターJAPAN日本語版、
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/4951/ 2022年5月20日閲覧。
“Mary Dyer,” https://www.quakersintheworld.org/quakers-in-action/15/Mary-Dyer 2022/06/23閲覧。
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