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大人のための詩心と気心の時間 ~アメリカ詩を手がかりに~

第10回:夫婦愛の詩⑥:病気と仲良く暮らすには...

この連載は、良い言葉の宝庫である詩作品、とりわけ著者の深く精通するアメリカ詩を中心に読んでいきます。作品そのものを味わい、作品から読み取れるテーマについて思考を深めていきます。

「詩心を知り、気心の滋養を図る」すべての大人に贈る、健康と文学への優しい(?)案内です!


 

|病弱な女性詩人のエンディングノート

アン・ブラドストリートは、少女時代から60歳で亡くなるまで、ずっと病弱でした。

このアメリカ最初の女性詩人は、子どもたちへの遺言として、自分が亡くなった後で子どもたちに読んでもらうために、「私の大切な子どもたちへ」(“To my Dear Children”)という詩文抄を遺しています(*1)

これは現在で言えば、遺言書というよりは、エンディングノートにあたるものでしょうか。内容は、病弱な自分が神の愛、神への信仰で救われたことを繰り返し述べ、子どもたちにも同じ信仰の道を歩んでほしいと願う、というものです。この「私の大切な子どもたちへ」に書かれた彼女の言葉をまとめれば、

 

①子どもたちの記憶に残ること

②母の経験から何らかの精神的な利点を得ること

③真実、すなわち、神の栄光を伝えること

 

ということになります。

書き方は、かなり観念的で教条的であり、信仰中心にして、時折は比喩を交え、また、聖書の聖句に言及しながら、神の愛に頼り、救済を確信している様子がわかります。

これを読むと、結婚前からとても病弱であり、渡米後の北アメリカ東海岸側での長い結婚生活においても、頻繁に頭痛や瘧(おこり)のような症状が起こっていることが分かります。この詩文抄には、「発作」(“fit”)という言葉もよく出てきます。

確かに、「私の大切な子どもたちへ」には、病気や発作、身体の弱いことがよく言及されます。また、病気が回復したり、発作が治まったり、あるいは、熱が下がったりしたのは、神へ全てを委ねたこと、つまりは、信仰のおかげだ、と本人が信じていることがわかります。そのように子どもたちにも語るのは良くわかるのですが、でも考えてみれば、彼女がベッドに臥せっているときの状況がよくわかりません。

残された作品や資料から、彼女がしばしば長患いしたことは十分にわかります。しかし、誰がどのように看護したのか、どのような治療や投薬が行われたのか、病の間に何を食べ飲んだのか、着替えやトイレなどはどう対処したのかなど、気になることがたくさん出てきます。

もちろん、この詩文抄の目的や性格から考えると、そういう具体的で日常的なことは書き残すに値しないと判断されたのでしょう。そもそも、そういうことが気にならないほど十分裕福な環境であったのかとも考えられます。しかし、彼女が何を書いて、何を書かなかったのかに思いを巡らせてみると、後世のわれわれにはとても気になることばかりです。

 

|北米植民地における、牧師と医者の「天使的な結合」

当時は、既に、イングランド本国のオックスフォード大学とケンブリッジ大学には、医学と薬学のコースがあって、マスターとなるには6年間の学業が義務化されていました。また、本場のイタリア、パドゥアへの留学も人気だったといいます。こうした学生たちは、卒業後、医者(physician)として全国で実務についていきます(*2)

ただ、当時の北アメリカ東海岸の医療状況は、ほとんどわかりません。

1649年前後のボストンを主たる舞台とするホーソンの小説『緋文字』には、偽名を使ったチリングワースという医者が登場しますが、当時のニューイングランドの農村地帯での医療に関しては、かなり手薄であっただろうということは、容易に想像できます(*3)

以下は、医療の歴史を研究するパトリシア・ワトソンによりますが、牧師であったコットン・メイザー(Cotton Mather 1668-1728)は、『アメリカにおけるキリストの大いなる御業』という著作の中で、ロー大司教の迫害時代にニュー・イングランドへ移住した初期ピューリタン牧師たちの苦闘の記録を残しています。

 

 

 

コットン・メイザーの肖像 

 

牧師たちの多くは、医学の基礎知識があり、新大陸に定住すると、人々に医療を提供しました。これを、メイザーは、伝道師と医者の霊的・世俗的任務の結合として、「天使的な結合」と呼びました。ルカ伝道師の時代以来、「神学を専攻している人ほど、医術に長けていると公言し、実践してきた」と、メイザーは述べています。

彼は、癒しの術はもともと、古今東西の教会関係者によって組織されたものなので、「人々の魂に施し、その身体に施しうることで、より効果的になる」と主張しました。彼は、「医者」として長けていたイギリスの有名な司教たちに言及する一方で、「天使的な結合」が最も多く見られるのは、アメリカのこのニュー・イングランド地域である、この地域の住民はほとんど、福音が告げられた貧しい人々であり、その貧しさを思いやる牧師たちが、彼らの間での医者不足を補うために牧師として招聘されようとしていると論じています(*4)。                                          

 

|病魔とともに生きる妻・母・詩人

以下の年譜は、「私の大切な子どもたちへ」からわかる、アンブラド・ストリート自身とその家族の簡単な歴史です。記述としては、病気のこと、家族の死のことが多いのですが、【 】(隅付きかっこ)のついている出来事は、彼女の詩集その他から付け加えた事実です。

年  譜

1612年?            

【アン・ブラドストリート誕生】

????   ?歳

病の発作で長く苦しむ

1628 16歳   

天然痘に罹る。

1630  18歳

7月、北アメリカへ家族で移住する。

????   ?歳

肺結核のような長引く病気と、倦怠感が続く。

1633~34年頃  21~22歳頃 

長男を妊娠、出産する。以降7人の子を産む。

???? ?歳   

子供が病気になる。

???? ?歳  

財産を失う。

???? ?歳  

病気や痛みで苦しい日々が続く。

???? ?歳  

熱病に苦しむ。「汗で火照った身体は沸騰し/私の痛む頭は壊れました」と記述(「熱病から救われた際に」)。

???? ?歳

ひどい発作に苦しむ。「汗で溶けてしまいそう/私の衰えた肉体/私の弱った腰」と記述(「再びひどい発作から」)。

???? ?歳

失神の発作があると、「失神の発作から救われて」に記述。

1653 41歳

【7月、父Thomas Dudleyが亡くなる】

1656 44歳

7月8日、ひどい失神の発作があり、2~3日続いた。8月、多くの衰弱と病気の後、精神が消耗し、信仰も何度も弱くなったと記述。「私が時々は経験する健康状態  このか弱い身体」とある。

1657 45歳 

この春から5月11日まで発作に苦しむ。「ずっと辛い病気、衰弱が継続」と記述する。9月、「私の昔からの病気である衰弱と失神」と記述。

1661年 49歳

5月、「この4年間、大きな病気をしたことがなかった。今年は、1月中旬から5月まで発作がおきて非常に体調が悪く弱っていました」と記述。6月、愛する夫が熱病にかかる。

????年   ?歳

「私の娘ハンナ・ウィギン(*)が 危険な熱から回復した」と記述。1月16日かそれ以降「身体も心も 弱くて/私は この世界で何の慰めもありません」との記述。

1665  53歳 

【8月、孫Elizabethが1歳半で死亡】

1666 57歳 

【7月、孫Anneが3歳7ヶ月で死亡】

1669 56歳 

【6月、火事で自宅を焼失。11月、孫Simonが1ヶ月と1日で死亡】

1670 58歳 

【9月、義理の娘(Mercyの妻)が28歳で亡くなる】

1672年  60歳 

【9月16日に死去する】

 

なお、この年譜には書いてありませんが、彼女は1640年代に終生の安住の地となるアンドーヴァーに移住しています。このアンドーヴァーに教会ができたのは、1646年と伝えられています(*5) 。牧師も当然、赴任しているはずですが、どういう牧師だったのか、詳細はわかりません。前回、出産の際に命を落とす女性が多かったことを指摘しましたが、本人にしてみれば、生き永らえるのはやはり、神の加護、信仰のおかげと思うのも無理はありません。

次回は、植民地経営の実務を担っていた夫と、その病弱な妻との愛情関係を考えて見ます。

 

前景に教会を写したマサチューセッツ州アンドーヴァーの街並み, 1903年 

 

第11回 夫婦愛の詩⑦:病気と仲良く暮らすには...

 


(*1) Bradstreet, Anne. The Poems of Mrs. Anne Bradstreet (1612-1672): Together With Her Prose Remains ; With an Introduction by Charles Eliot Norton. The Duodecimos, New Rochelle, N.Y., 1897.
(*2) Allen, Phyiis. ”Medical Education in 17th Century England,” Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, Vol. 1, No. 1 (January 1946), pp. 115-143. Published by: Oxford University Press.
https://www.jstor.org/stable/24619539?read-now=1&refreqid=excelsior%3Acc58de3bdf47a43db6c209ebe38c0efc&seq=10#page_scan_tab_contents 2021/09/12閲覧。
(*3) McCulla, Theresa. “Medicine in Colonial North America,” 2016, Harvard University.https://colonialnorthamerica.library.harvard.edu/spotlight/cna/feature/medicine-in-colonial-north-america. 2021/09/12 閲覧。
(*4) Watson, Patricia A. Conjunction: The Preacher-Physicians of Colonial New England. U of Tennessee P, 1991.
(*5) ”Andover's early churches: A history of helping others.” Amanda Beveridge Andover Historical Society.
https://www.andovertownsman.com/news/local_news/andovers-early-churches-a-history-of-helping-others/article_5f43110a-a5b1-5111-bcce-8ed9f26de3f2.html 2022/02/01閲覧。
(*6) 渡辺信二「アン・ブラドストリート詩文抄: 聖にして善なる瞑想」『山梨英和大学紀要』第19号。2021年.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/yeiwa/19/0/19_40/_article/-char/ja/, 2021/08/28閲覧。
(*7) Bradstreet, Anne. “A Letter to Her Husband, Absent upon Public Employment.” Poetry Foundation. https://www.poetryfoundation.org/poems/50288/a-letter-to-her-husband-absent-upon-publick-employment 2020/02/13 閲覧。日本語への翻訳は筆者が行なった。

※文中の写真については、全てwiki commonsより引用

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著者略歴

  1. 渡辺 信二

    アメリカ文学研究者、詩人、翻訳家。立教大学名誉教授。北海道札幌市出身。専門はアメリカ詩、日米比較、創作。著書に『荒野からうた声が聞こえる』(朝文社、1994年)、『アン・ブラッドストリートとエドワード・テイラー』(松柏社、1999年)など、詩集に『まりぃのための鎮魂歌』(ふみくら書房、1993年)、"Spell of a Bird"(Vantage Press、1997年)など、翻訳に『アメリカ名詩選』 (本の友社、1997年)などがある。
    近著に、「不覚あとさき記憶のかけら」(シメール出版企画、2021年)がある。

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