なにを見てるの!? 鱒二さんっ☆★☆
(編集部の都合で…すみません!)ぽっかり時間が空いてしまいましたが…「本おや」店主・坂上友紀さんによる、めくるめく文士の世界。第5回も鱒二!鱒二!なのですが、今回は文人たちから見た鱒二の姿を中心に展開していきます〜。 |
鱒二さんを評した言葉の中に、特に忘れがたいものがいくつかあります。まずは永井龍男による「黒光りがしている大黒柱」という言葉です。「同時代の作家に、この人を持つことを、私は年来誇りとしている」とし、「大黒柱も、厚い梁も、黒光りがしている」。そして「今度の全集(注:筑摩書房から出版された『井伏鱒二全集』を指す。この文章自体がその内容見本のためのものでした)は、たとえばそのような、ゆるぎのないがっしりした民家と、その持ち主の関係を感じさせる」とおっしゃられています。
……しかり! 鱒二の文学には、頭の先から足の先まで、ズドーン!と太い一本の芯がくっきり通っているぞ、という感じがあります。まさに、「徹頭徹尾、井伏鱒二」なのです。だから、がっしりとしていて年月を感じさせる「黒光りがしている大黒柱」とは、まさに彼そのもの! 「この柱さえあれば大丈夫!」という気にさせてくれるのでした☆
そして個人的に一番共感しているのは、山口瞳から見た「井伏鱒二像」だったりします。「井伏先生の諧謔」の冒頭で「井伏先生の家でお話を伺っていると、何度か大笑いさせられる。〔改行〕しかし、そのお話が、笑っていいのかどうか、咄嗟の判断に困るようなことがある。はたしてこれは滑稽なこととして話されたのかどうか……。とにかく話そのものは可笑しいのだから、私は笑ってしまう。そうして、あとで考え込んでしまうようなことになる」
……わかるー! って、私は鱒二さんにお会いしたことなんてないけれど、作品で接した鱒二さんの印象はこのような感じです。ウフフ、あるいはウフフが込み上げすぎて「フハッ」と笑ったあとで、あれ、と思ったり、これ笑うやつと違うかった!と思ったり。でもやっぱり可笑しいしなぁ……と。「読んで、はい終わりー!」にはならないのです。読んで、噛みしめて、思い出して、フームとなる。一粒で二度美味しいどころか、読んだあとにも延々と噛みしめ続けていられるような、まさにスルメの味わいを持った作品ばかりだと思います。
私の「井伏鱒二☆コレクション!」略して「マス☆コレ!」の一部です。画像の本はほぼ古書ですが、鱒二の作品群の中では見つけやすいほうの本なので、古本屋さんでぜひどうぞーっ☆★☆
そして一番忘れがたい印象を与えられた「井伏鱒二像」は青柳瑞穂によるもの。「井伏鱒二の眼」という短い文章の中で、井伏鱒二の眼について「〔略〕ドロンとして、にごつて、まるで眠つてゐるやうな眼で、それが何を見つめてゐるとも思はれないのである」と評しています。読者的に「そりゃないわ!」ですが、青柳氏本人も「名誉棄損になりはしないか」と少し心配しつつも、この一見褒めてはいないその表現で彼が著した「井伏鱒二」とは、一体どんな人物なのか。
都会人の持つ鋭くて知性的で澄んだ眼をした人(「その鋭い眼が、はたして何を見てゐるか、これはあまり信用はできない」、とも述べつつ)ではなく、「何時もドンヨリしてゐながら、それだけにかへつて油断のならない、あの田舎者の眼」をしている。そのドンヨリとした眼はひいては百姓の眼であり庶民の眼であり、動物に例えるならば牛。そしてここで言う牛とは、必要でないものは全然見ていなくても、必要なものだけは驚くべき本能で見たり感じたり予感さえしていたのかもしれない、という、なんだか妖怪の「件(くだん)」(注:身体は牛で顔だけ人間!という人面魚ならぬ人面牛で、所説ありますが、絶対に当たるという予言をしたらたちまちに死んでしまうといわれている妖怪ですっ☆)を思わせるような動物として書かれていて、そして「井伏君のあの眼には、さういふ動物的なするどい本能、予感といふやうなものが具つてゐたのではないだらうか」と結論づけられております。
色々ツッコみたいところもありますが、さておきこの論しかりで、井伏鱒二の文学の根幹をなすものとして顕著なのは、誰よりも圧倒的に見ているからこそ生み出された「鱒二の文体」です。なぜそれだけ見続けられたのかといえば、ひとつには鱒二は元々画家を目指していたからではないかと考えられます。絵でもって輪郭をスケッチするかのように、物事を見る力に恵まれていた(「山椒魚」や「朽助のいる谷間」など、かなり初期の作品からもすでに明らか)のではないか、そして見ること、見続けることが苦ではなく、むしろ好きだったのではないか、と、その作品の数々を通して容易に考えられるのです。
そういう人だから、牛がひたすら何かどこかを見続けているかのごとく、飽きもせず、特にドラマチックでもなく普通ならばすぐに見飽きてしまうようなものでも延々観察することができ、そういう鱒二だから、その文体には絶対的なリアリズム(本人曰く、「嘘を書く」なる小説であっても、妙に現実味がある)が自ずとにじみ出てくるのではないでしょうか。
つまるところ、「にごつた眼で物事を見続ける」井伏鱒二とは、粘り強く物事を見続ける力を持った、どんなに痩せ枯れた土地でもひたすら耕す農民の目線を持った人なんだなぁ……と納得したのですが、いくら誉め言葉でも普通の文士ならば、仮に友達でもこんなふうな表現をされたら怒るんじゃないかな?と思うのに怒らないのが井伏鱒二! そして、名誉棄損になるかもー、とか言いつつ、鱒二には絶対に許してもらえるという信頼感が垣間見えちゃったのでありました!
ちなみに『井伏さんの横顔』は、鱒二さんの素敵にかわいいお人柄が本当に伝わってくる良書なので、ぜひご一読いただきたいです! また、弟子のようにかわいがられていた小沼丹による『清水町先生』(荻窪の清水町に住んでいた井伏鱒二のニックネームのひとつ)も、鱒二の文学性となんともキュートなお人柄を知るうえでは要チェック!な本なのでありましたっ☆
なんだか微笑ましい気持ちになる井伏鱒二とその仲間たち。永井龍男、河盛好蔵(による『井伏鱒二随聞』も良書に過ぎる一冊ですっ☆)……あたりや鱒二担当だった各出版社の編集者さんとの交遊(『酒を愛する男の酒』など☆★☆)を読むのが私は最も好きですが、小沼丹に庄野潤三、山口瞳や開高健、そして深沢七郎たちとのお付き合いにおいても面白エピソードが盛りだくさんでオススメですっ!