龍之介と犀星(そして、しげる)の、似ているとこと違うとこ!
「本おや」店主・坂上友紀さんによる、めくるめく文士の世界。いよいよ芥川龍之介回もフィナーレに! 「間違いのないように」書きすぎて逆にまどろっこしくなる…そんな龍之介の「もしも」に想いを馳せるところに、坂上さんの龍之介愛を感じます! |
と、また話が脱線気味となってしまいましたが、たとえば私自身の性質としても、
芥川の愛読書『メリメエ書簡集』
と書くよりも、
芥川の愛読書のうちの一冊である『メリメエ書簡集』
と書いたほうが、まどろっこしくはなりますが、より間違いが少ないので好きだし安心するのです。私の中では「シンプルであること」よりも「間違いのないこと」のほうが重要です。もともとそういう考え方なので、芥川の表現上の取捨選択に関しては、「こう言ってくれたり書いてくれたりすると、よりしっくりくる!」思うことだらけなのです。
でもそれは「私にとって」そうというだけで、アニキ分である谷崎潤一郎との間には論争を巻き起こしたりも……。しかし、「文藝的な、餘りに文藝的な」を読むと、「芥川VS谷崎論争」と喧伝されるあの騒動も、谷崎の論と芥川の論は「まったく違う」とわけではないと言えそうです。
でもやっぱり芥川の書き方は誤解を与えるレベルでまどろっこしくはあります。「文藝的な、餘りに文藝的な」の中で、芥川は佐藤春夫氏の「しゃべるように書け」といった論を挙げ、そしてむしろ僕(芥川)は「書くようにしゃべりたい」(それができた作家として夏目漱石の名を挙げつつ)、しかし作家であるからにはしゃべることよりも書くことを大事にしたい、と言うのですが、人によっては「何が言いたかったの?」となるかもしれません。が、その論理の筋道が私としてはすごく理解しやすいのです。
たとえば、「A→B」という論がある。次に「B→A」について考えてみる。そのあとまた「A→B」の問題に立ち戻ってみれば、「B→A」を経由したことで「A」が本当は「A’」だったのではないかという可能性に気がつき、「A’→B」という考えが(自分にとっての)正解!だった、みたいな感じです。簡単に「A→Bという考えがある。僕もA→Bが正しいと思う」とは言わない。たくさん考えて、余すところなく書くのです。だから「技巧派」という呼び名に繋がっていったのかもしれませんが、芥川は技巧的であろうとしたのではなくて、間違いのないようにしたかったのだと思います。
存在感ある龍之介の初版本。私が持っているのは函がなかったり背がヤケヤケだったりするのですが、これらが新本として書店店頭に並んでいた当時の姿を想像すると、本も本屋もカッコ良すぎてちょっと身震いしてしまいます……!!
「文藝的な、餘りに文藝的な」では、「話のある小説(筋のある小説)」が良くないと言っているわけでも、「話らしい話がない小説が最上」と言っているわけでもありません。「話らしい話がない小説」の中に、良いものもなくはない、みたいに言っています。これこそ「公平な目」で見ている証かと思うのですが、「誰にとっても良いもの」というのは「誰にとっても悪いもの」同様に存在しない。
……といったようなことが書かれています。また、同文中、
僕等の祖先は焚火を愛し、林間に流れる水を愛し、肉を盛る土器を愛し、敵を打ち倒す棒を愛した。美はこれ等の生活的必要品(?)からおのずから生まれて来たのである。
という言葉があるのですが、「生活に重点をおけば、話らしい話のない小説の中からも素晴らしいものが生まれてくる可能性がある」と言われているように感じます。それは犀星の回で、生活とは文学の別の名ではないか、と述べたことと同じ理由によります。
また、やはり同文中で、
僕は一生のどの瞬間を除いても、今日の僕自身になることは出来ない。
とも記している。良いところも悪いところも含めて「今日の僕」になるのです。すべての感情と真面目に向き合ってきたから今がある。
こうして文藝と生活が結びついていくところにも個人的に共感多々です。ほんと、芥川と犀星って根本的な考え方はとっても似ていたんじゃないかしら。しかし、それこそハングリー精神の有無というか、変なところで神経細いか太いかの違いというか、芥川は書けば書くほど神経衰弱気味になっていってしまった。それに、すべて「間違いなく伝えようとする」ことの弊害として、「言葉の力を信じ過ぎてしまう」こともあるような……。
それに関して、芥川のエピソードの中で非常に興味深いものをひとつ挙げます。
間もなく主人も田端へ帰って来ました。たまたま、森永のジンジャーケーキを食べていました時、私が、
「このお菓子には生姜が入っていますね」と言いますと、すぐ下痢をしてしまいました。常日頃生姜は腸に悪いといっていた主人は、その言葉だけですぐ下痢を起こしてしまうのです。神経からくる胃腸障害が相当にひどかったようです。
(『追想 芥川龍之介』より)
……どんだけーっ!! 普通に食べていたのに「このお菓子には生姜が入っていますね」と言われた途端に下痢をするって、あなた……。思い込みが強いというか、なんともまぁ……なエピソードなのですが、この素直な感受性がもっとポジティブ方向に働いていれば、自殺することもなかったのではないのかなと思わなくもなく……。
そして、芥川が画家に向いていると考える理由としても、この素直すぎる感受性をもっと自由な想像力のほうに働かせていれば、ものすごい絵が描けたんじゃないかという推測によります。そして「間違いのないように、公平な目線で」というのを、むしろ揺るぎないデッサン力のほうで発散していけばよかったよねー! しかも、芥川の自殺の理由のひとつであった「ぼんやりとした不安」にもしも「形をつける」ことができていたなら、少しは不安からも解消されたんじゃないのかなー? と、想像してみるわけですが、もしも芥川がもう少し生命力が強くて胃も丈夫で何でも食べられる人であったのならば、それこそ「妖怪」に形を与えていった水木しげるさんのように、太く長く生きられたのかもしれません。案外、この二人は似ております。お互い、河童も好きだしなぁ!
最後に、芥川最初期にして最も彼の心持ちが現れていると感じられる随筆「大川の水」に触れて、芥川の話はおしまいにしたいと思います☆
自分はどうして、こうもあの川を愛するのか。あのどちらかと言えば、泥濁りのした大川のなま暖かい水に、限りないゆかしさを感じるのか。自分ながらも、少しく、その説明に苦しまずにはいられない。ただ、自分は、昔からあの水を見るごとに、なんとなく、涙を落したいような、言いがたい慰安と寂寥とを感じた。まったく、自分の住んでいる世界から遠ざかって、なつかしい思慕と追憶との国にはいるような心持ちがした。この心もちのために、この慰安と寂寥とを味わいうるがために、自分は何よりも大川の水を愛するのである。
(略)
この三年間、自分は山の手の郊外に、雑木林のかげになっている書斎で、平静な読書三昧にふけっていたが、それでもなお、月に二、三度は、あの大川の水をながめにゆくことを忘れなかった。動くともなく動き、流るるともなく流れる大川の水の色は、静寂な書斎の空気が休みなく与える刺戟と緊張とに、せつないほどあわただしく、動いている自分の心をも、ちょうど、長旅に出た巡礼が、ようやくまた故郷の土を踏んだ時のような、さびしい、自由な、なつかしさに、とかしてくれる。大川の水があって、はじめて自分はふたたび、純なる本来の感情に生きることができるのである。
(『羅生門・鼻・芋粥』角川文庫)
……むむむ! この文章を読むと、芥川龍之介が生まれ持った感性(たくさんの知識を身につける前の本来の性質)が、身近な自然に寄り添うものであることがよくわかります。もし、そのまま朝から晩まで「読書三昧」な日々に突入せずに過ごしていたら、と思う一方、でもそれではやっぱりあの鋭い眼差しの日本を代表する作家「芥川龍之介」は生まれなかったんだよねぇ、と思いながらも、あまりにも早い死を悼まずにはいられないのでありました。
……しんみりしてしまった! そして、言いたいことが山盛りてんこ盛りでたいへん長くなってもしまいましたが、兎にも角にも結論づければ、「かっこいい系文士」改め、「生真面目系かっこいい系文士・芥川龍之介!」としたいのでありました☆★☆