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文士が、好きだーっ!!

芥川的「恋文を他人に読んでほしいのかほしくないのか」問題!

「本おや」店主・坂上友紀さんによる、めくるめく文士の世界。「かっこいい系文士」の芥川龍之介の第2回もひきつづき恋文問題(文ちゃん宛て)です! 焼くべきか焼かざるべきか、それとも見られてもいいように書くべきか……。

 

意外なるギャップに始まった「芥川についてのあれやこれ」だったのですが、その後、知れば知るほど、こちらが人間不信になりそうな事実もあり……。というのも、たとえばこんな熱烈な恋文(前回)を送っていたわりには、求婚も文が初めての相手だったわけではなく、それはまだいいとしても、同時期に鎌倉の旅館の女将と良い仲だったとかーっ! そして結婚してからも、何人も愛人と呼べるような人をこさえていたことを知るに及んでは、自分の中である程度納得のいく答え(その答えが合っているかどうかなんて芥川本人に聞かねばわかりませんが、後ほど述べます!)が出るまでは、「あの恋文はなんやったーん!?」と若干憤りを覚えていたくらいでした。ところで文は(前回に挙げたのとは別の芥川の恋文について)「これは私が結婚する前にもらったものですが、私はときどき、主人の手紙も創作の一部であったかも知れないと思ったりします」ともおっしゃっています(『追想 芥川龍之介』より)。

文さんの意見に「そうかも」と同意したのは、芥川の診察もしていた斎藤茂吉の老いらくの恋における恋文を読んだときにも、「この恋文を読む対象は本当に相手だけだったのかな?」と疑問に感じたことがあったからです。特に茂吉の場合は、歌人として相当名声を博した後に書いた恋文だからこそ余計に……。「他の人には見せないで」と言っていたところで頭の片隅には、「もしかしたら第三者が(それも後世の)見る可能性があるかも」という考えが頭の片隅にはあったのではないかしらん。

芥川の場合、亡くなる間際に付き合っていた片山広子(ペンネームは松村みね子。アイルランド文学の翻訳者としても知られていましたが、彼女にアイルランド語を教えたのは、鈴木大拙夫人でした。先ほどの『因果の小車』といい、芥川の近辺には何だか鈴木大拙の影がある!?)に宛てて書いた詩(芥川没後に佐藤春夫が編纂して出した『澄江堂遺珠』に収録)などは、遺書である「或舊友へ送る手記」同様、多数の読み手ありきで書いたのではないかと思われる節多々ですが、まだ24歳だった当時の文宛てに書いた恋文は、どうだったのかなぁ……? この頃すでに執筆もしていたので、意識の片隅には(文以外の)「読者」の姿がちらついていたとしてもおかしくありません。『キッスキッスキッス』で取り上げられている芥川の恋文には、人に見せてもかまわない的なことも書いてあったので余計にそう思うのでしょうか。

ちなみに、他の恋文の中には、「この手紙は 文ちやん一人だけで見て下さい 人に見られると 決まりが悪いから」と書いてあるものも。そのひとつ前の文章には「何だか 気になるから ききます ほんとうに僕を愛してくれますか」なんてしたためてあるので、それは確かに小っ恥ずかしっくて、文ちゃん一人だけに読んでほしいであろうさー! と芥川に同意を示しながらも、約百年の後に全集(1997年岩波書店発行の『芥川龍之介全集 第十八巻 書簡Ⅱ』)に収録されちゃってる恋文の数々をせっせと読み漁っているファンがここにも一人おりますよ……!と心中そっと芥川龍之介に話しかけてみるのでありました。人気者はつらいでがす!

挙げ出すと本当にキリがないのですが、文ちゃん宛ての恋文は他にも「早く文ちやんの顔が見たい 早く文ちやんの手をとりたい」と言い、「今 これを書きながら 小さな声で『文ちやん』と云つて見ました 学校の教官室で大ぜい外の先生がゐるのですが 小さな声だからわかりません それから又小さな声で『文子』と云つて見ました 文ちやんを貰つたら さう云つて呼ばうと思つてゐるのです」と妄想を全開にしていたり(大正7年)、結びの言葉として「ボクを思い出して下さい」や「暇があつたら返事を書いて下さい」なんていじらしいことを頻繁に書いているのでございます☆ それが芥川の恋文です!


さておき、茂吉の恋人と芥川文とで違うところは、双方ともに相手に「死後、この手紙は焼いてくれ」と頼まれていながら、前者は途中まではきちんと焼いていたものの、その話を耳にした周りの人たちから「そんなことをしてはいけない」と言われた意見を聞き入れて焼かずに取っておいた結果、茂吉の没後、まあまあな数の恋文が公開されている……。一方後者は、「主人とは生前、どちらが先に死んでも、お互いの手紙は、棺の中に入れるようにと約束をいたしておりましたので、私はその約束どおり、出棺の時、うさぎ屋の主人谷口喜作さんに頼んで、棺の中に、とり交したお互いの手紙と、主人の『へその緒』とを一緒に入れておきました」(前掲書『追憶 芥川龍之介』より)結果として、芥川の文宛ての手紙は書いたうちのだいたいのところが燃えているらしいのが大きな違いです。

それでも残ったものは、芥川のあに図らんや(もしくは望むところだったのか)全集や研究書などに収録され、しかも、全集が出し直されるごと、その量も増しに増している! 私が完揃いで持っている全集は、自殺してすぐの昭和2(1927)年から刊行された全8巻のものと、1990年代に刊行された全24巻のもの(ともに岩波書店刊。1970年代にも岩波書店から全集は刊行されており、他に筑摩書房版の全集も。やっぱり人気者!)なのですが、この二つを比べても、後に出された全集のほうがプライベートな部分が相当赤裸々に……! 自分が好きな文士の人柄が出ている手紙って、やっぱり相当面白いので、どうしても読み漁ってしまいます。特に、人となりと作品とのギャップが著しい場合、「この人、本当は一体どんな人だったの……?」という知的好奇心なのか単純にワイドショー的興味なのかがむくむくと生じてしまい、とにかく気の済むまで調べまくってしまう……。


一番左は昭和2年刊行の『芥川龍之介全集』で真ん中は平成7(1995)年刊行の『芥川龍之介全集』。文ちゃん宛のやばさ増し増しなお手紙は平成7年版に収録されています。紙質やフォントは昭和2年版が好みだけれど、内容的には平成7年版が充実。ともに岩波書店刊。また一番右の本は、芥川が亡くなってから40年ほど後に、文夫人がその思い出を語った『追想 芥川龍之介』(筑摩書房)。表紙は文夫人お手製の「ネクタイ」で芥川のお気に入りだった模様です☆

ごめんなさい!と思いつつも、そんなヨコシマな理由をきっかけに、気づけば手紙だけでなくその作品までも(随筆も小説も論考も)俄然読むようになった芥川なのですが、いろいろ読んだ後の最終的な結論からすれば、この人は「真面目」、それも「生真面目」な人である!!にたどり尽きました☆ ……が、作品の形式(小説、詩、俳句、随筆など)や、時代(世の流れというよりも、「芥川の」青年期、そのあと、晩年、といった意味での「時代」。といっても享年僅かに35歳)により、作風や雰囲気が結構違うような印象も受けます。一方で、「なんだかんだ言っても根っこは同じ!」と思う部分も多く見受けられるのですが、さまざま読むなかで「際立っている!」と感じた芥川の性質がいくつかありますので、次回、挙げていきたいと思います☆

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著者略歴

  1. 坂上友紀(さかうえ・ゆき)

    2010年から11年間、大阪で「本は人生のおやつです!!」という名の本屋をしておりましたが、兵庫県朝来市に移転して2022年の春に再オープンしました☆

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