「ウフフ」の鱒二と申しますっ!!
大阪で「本は人生のおやつです!!」 |
とにかく鱒二はかわいい! 井伏鱒二は、かわいいのだっ!!
ということを、まずは声高らかに宣言することから始めたいと思いますっ☆★☆
「井伏鱒二」と聞けばまず思い浮かぶのは、「山椒魚」や「黒い雨」の作者であること。そして太宰治の師匠であること……といったあたりやもしれません。
もちろんそれはその通りで、そうなると「どうかわいいの?」となるかもしれないので、まずは彼が一体どんな文士だったのか、その作品やお人柄や見た目について、語っていきたく思います!
井伏鱒二のかわいさは、実は一目瞭然です! それはなにかというと、ずばり、フォルム(見た目)! 文士、文豪、というと厳めしく感じるかもしれないですが、そのずんぐりむっくりとした外見は、よく見ればまことにキュート! かわいらしさもバッチリ伝わるかと思うのですが、もともと写真嫌いの鱒二さんではありながら、心許した幾人かの写真家が撮った肖像では、見ているこっちがなんとも「ウフフ」になってしまうような、かんわいらしーい笑顔を見せてくれているのですっ☆★☆
私のお気に入りの鱒二スナップは、『井伏さんの横顔』(彌生書房)のカバー写真! まさに「ウフフ」としか言いようのない笑顔をされてらっしゃいます☆ そして、色んな鱒二写真を集めるうちに、「ウフフ」の笑顔以外にもお気に入りのスナップが見つかっていくわけですが、『文士の風貌』(福武書店)の口絵写真の鱒二もすごい! それは、なんとなく心頭滅却して「無」状態になっていらっしゃるかのような、目をつぶった鱒二(しかし、さらによくよく見ると、笑いを堪えてらっしゃるかのようにも見受けられる!)の頭の上に猫が乗っている、という摩訶不思議な衝撃の一枚なのです。ちなみに鱒二は猫を飼ってらっしゃいました☆
『井伏さんの横顔』(彌生書房)。もはや多くは語らない!! かわいさバズーカ級の鱒二さんですっ☆★☆ ……好きだーっ!!
ああ、そして今では写真だけではなく「井伏鱒二」という字を見ただけでも、何だかとても幸せな気持ちになってしまいます! それは、笑い声に例えるなら「ウフフ」であり「ヘヘヘ」(対談集においては、ジワジワとした笑いが込み上がってきて、ププーッ!と吹き出してしまうこともままありますが……!)。そしてこの「ウフフ」感は、実は鱒二の良さを伝える時には非常に大事なエレメンツのひとつで、見た目だけではなく、彼の小説、随筆、詩、そしてエピソードと、そのどれもに共通している素敵なところなのでありますっ! 大袈裟すぎず、ちょっとイイ、のが鱒二の最大の魅力!
なんなら鱒二の詩のひとつに「寒夜母を思ふ」という作品があるのですが、冒頭「今日ふるさとの母者から/ちょっといいものを送つて来た/百両のカハセを送つて来た/ひといきつけるといふものだらう」で始まります。
「ちょっといいもの」が大事な人から思いがけず届いて、「これでひといきつける」。……なんて、ちょっとシアワセではないかーっ!となるのですっ☆
そして、いいではないかー!となっているところに、「ところが母者は手紙で申さるる/お前このごろ横着に候/これをしみじみ御覧ありたしと/私の六つのときの写真を送つて来た」。
「お前最近横着なってへんかー? 六つの時のお前のかわいさを見てみい!」と母は言う。しかし、(次に続くのが)「私は四十すぎたおやぢである/古ぼけた写真に用はない/…(以下略)」
もう、ププーッ!となってしまうのです! たしかにね! たしかに四十すぎのおやぢが六つの自分を見て初心に帰るのはちょっと難しい。……といった事実関係以上に、このあたりの書き方とかお母さんとのユーモラスなやり取りが、私にはもう、そのまま鱒二の良さや魅力を表しているような気がして仕方がないのです。ちなみにこの詩はこのあと、この寒い中、写真よりドテラをくれよ、おいら夜に原稿書いてんだ、となって、母は母で、小説など書いているよりさっさと田舎に帰ってきて土地や祖先を愛し、そして積立貯金をしなさい(まさかの!)、となります。
現実的な鱒二・母。しかし、実際のところこの時鱒二はすでに小説家として名を成しているのですが、田舎にいる母的には、いつまで経っても頼りない子どもでしかない。そういう自分と母との関係を「寒夜母を思ふ」という題で書き、「悲しいかなや母者びと」で締めくくっている。そのなんとも言えない悲しさと愛おしさとが余韻としてあるのも好きなのですが、とりあえず最初の入り方がオモロすぎるー!
あとは、顎が外れた人を見てしまった時のことを書いた詩(「顎」)もジワジワと面白く、また詩「逸題」の中に、「春さん蛸のぶつ切りをくれえ/それも塩でくれえ/酒はあついのがよい/それから枝豆を一皿」という章があるのですが、「春さん蛸のぶつ切りをくれえ」「それも塩でくれえ」でその「くれえ」の二重奏で笑いが止まらなくなってしまうのです。もちろん、ジーンとくる詩も本当に多々あるのですが、なんかちょっとツボに入ると笑いが止まらなくなる詩も実に多い。
そしてまた、『川釣り』(岩波文庫)という釣りに材を採った本があり、数多の文士たちとお喋りしまくっている『井伏鱒二対談集』(新潮社)がある。
本名・井伏「満寿二(ますじ)」であるところをわざわざ「鱒二(ますじ)」にしたくらいの釣り好きで、『川釣り』ではそんな彼が魚釣りに出掛けた時の小話(随筆メインで小説も収録)が満載なのですが、本来釣り上手なのに、誰かと行くとどうも釣果が挙げられない。読んでいるこちらもびっくりするくらいに、いつも魚が掛からない。えっ、なんでなん……?と思わず突っ込みたくなるほど、何も起こらないままに物事が進んでいく。(釣れないことを)恥ずかしがるでもなく茶化すでもなく、ただただ淡々と書き綴られる、見せ場なき見せ場を読み進むうち、「鱒二さん、平気そうでいて内心恥ずかしがったりしてるのかな?」とか想像しだせば、クスクス笑いが止まらなくなるのです!
鱒二の(特に)随筆やエピソードには、そういったクスクス感の強いものが多く……。もちろん、真面目なのだってありますが、根本的にユーモラスなので、よく考えればかなりヒドイ状況である時でも、何だかププッと笑っちゃうのでありました。
『井伏鱒二対談集』も同じくで(というか、対談における笑いはユーモラス感がさらに強くなる)、収録されているトップバッターが深沢七郎であるところからしてもはや面白いニオイしかしませんが、うち永井龍男(井伏鱒二の才能を最初期に認めた、元文藝春秋の編集者でのち作家)との対談の中で、当時、文壇の大御所であったところの志賀直哉の家に友達と遊びに行った青年・永井龍男が「志賀直哉のニオイを嗅ぐ」というエピソードが出てくるのです。
教科書に出てくる偉人のような雲の上の存在である文士って、一体どんなニオイをしているんだろう、という(知的……?)好奇心が永井青年をそのような行動に走らせたわけですが、もっと面白おかしく伝えようとすればできるエピソードも、井伏鱒二と永井龍男(二人は存在としてなんだか似ている)の手にかかれば「ちょっとこんなことがありましたよ」的な出来事になる。しかし、ひそやかに伝えられれば伝えられるほど、想像するだに面白くなってきて、この対談を聞いていたスタッフさんたち(編集者やカメラマンなど)も、忍び笑いが止まらなかったんじゃないかなー?なんて、容易に想像できるのでありました。お茶目なおじいちゃんたちの手腕がすごい!(ちなみに、どんなニオイだったのかは明らかにされておりません 笑!)
さて、私が鱒二にハマったのは、落とし穴に落ちるように一度にドスン!とではなく、一速ずつギアをチェンジしていくかのごとくドンドン加速していって、最終的にはトップギアとなり、そのままフルスピードで鱒二街道を駆け抜けている!といったような状況なのであります。次回は上記でちょっと書いた『川釣り』の話から☆(続く)