朝日出版社ウェブマガジン

MENU

文士が、好きだーっ!!

きちんと言いたい龍之介!!

「本おや」店主・坂上友紀さんによる、めくるめく文士の世界。少し間が空きました…が今回も芥川龍之介の最大の特徴「公平な目線」についてさらに掘り下げていきます!恋愛(不倫)と文章と、それがどのように表れていったのでしょう。

 

多くの本を読み、多くの友人を持ち、「公平な目線」でもって人生を歩んでいた芥川龍之介。こういう人が、「愛人をたくさんもった」のはどういう了見!?と思われるところではありますが、それはきっとこういうことではないかと推察します! すごく良いように捉えるならば、「そういう気持ちになったから、彼は行動に移しただけ」なのです。不貞行為が「良いこと」か「悪いこと」かは一概には言えない。しかし、生じた気持ちとは真面目に向き合いたい。だから、不倫する気持ちを小説に活かすためにしたとか、そういうことではなかったのではないでしょうか。

妻からすればまあまあ最悪の夫です。でも、「恋愛をすること」と「家庭を蔑ろにすること」は彼の中ではイコールでなく、それぞれ違うベクトルの話なので、「愛人がいた」一方で、「家庭も大事にした」のです。そのあたりは、芥川の中でなんらの矛盾もなかったのではないかと考えます。家庭が嫌になったから愛人を作ったのではない、という。ある種とってもタチの悪い男だぜー!

そして、本を読むことと経験することを、芥川はほぼ同義として捉えていたのではないかとも思います。私にとってもほぼ同義なのですが、本を読んで知り得たことも真実である一方で、たとえ本にAと書いてあることでも、自らの身で持ってBと経験したならば、本に書いてあるAと同時にBも真実になるという……。芥川が自分自身の結構グダグダな恋愛をどう感じていたかといえば、おそらく自分でも最悪やな、と思っていたのかな、と。でも、そこは認めながらも、たとえば「僕はこの人が好きだ」と感じたなら、それは倫理観とか立場とかで変わるものではない(気持ちの問題だから)ので、素直に行動してしまう、的な……。

だから、罪悪感とかはもちろんあって、罪悪感はあったとしても、あるひとつの恋愛を「自分」「相手」「妻」それぞれの立場から見れば、そのうちのどれが正しいとも悪いとも言えない、みたいに自分のことなのに客観的に捉えていたのではないでしょうか。「男の身勝手」とかそういう話と一緒のようで、なんだか違うような気色あり。畢竟「公平な目」を持つのも良し悪しだな、と考え込んでしまうというか……。とにもかくにも、生じた気持ちに対して真面目に接してはいます。結果、身勝手に見える行動(不倫)を取りながらも、不倫するその心はと言えば、「自分の気持ち」に真面目に向き合った結果、「自分の意思」以上に、「自分も当事者の一人であるひとつの恋愛」にとって一番「公平な態度」でありたい、みたいなふうに考えていたのかもしれません。

というか、不倫する多くの方がそのように言ったり考えたりするのかもしれませんが、芥川の場合、世間体のためというより、やはり公平でありたいがためなのです。無論、芥川のやったことを素晴らしいと言うわけではありませんが、きっと彼は作品に生かしたくて不倫をしたわけではない。一方で、「不倫してしまったならそのことも作家として書かざるをえない」部分もあるため、本人としては「私小説を書いているつもりではないのに」特に晩年において私小説と評されるような作品が多いことも、同じところに端を発していそうです。

さておき、「公平な目を持つ」人は、「公平に、間違いのないように伝える」感覚をいつも研ぎ澄ましているように感じます。理性よりも感情を優先させるのも、このあたりに理由がありそうです。頭ではいけないことと分かっていても、自分がそのとき思っていたことを過(あやま)たずきちんと伝えるほうを優先してしまう、と言うと良いように解釈しすぎでしょうかー! けれど、恋愛から離れてこの「公平に、間違いのないように伝える」感覚を突き詰めた結果、生み出された芥川晩年の素晴らしき評論「文藝的な、餘りに文藝的な」がめちゃ素晴らしいので、遺憾なく褒め称えていきたいと思います☆

『百鬼園随筆』と『続百鬼園随筆』(ともに新潮文庫)の表紙絵はまさかの芥川龍之介! 特に『百鬼園随筆』の、百閒先生の鼻の穴からエクトプラズムのようにもう一人の百閒先生が出てきているところ、しかもぐるぐると出てきているところが、本質を突いていて素晴らしすぎます!

芥川最晩年における評論「文藝的な、餘りに文藝的な」(昭和2年発表)にはその「公平な目線」や「間違いのないように」への気配りが、すべてのセンテンスにおいて、顕著に表れています。もはや神経過敏(芥川自殺の理由は「僕の将来に対するただぼんやりとした不安」という遺書の言葉に明らかなのですが、不安を抱えた理由のひとつは明らかに神経過敏)も最高潮なゆえに、こんなに「しつこく」論を展開していったのかもしれないのですが、個人的には「文藝的な、餘りに文藝的な」における「簡単には物事を断定しない慎重な芥川の論の進め方」が、ものすごく好きで信頼できます。始まりの数行を以下に引用します。


一「話」らしい話のない小説
 
僕は「話」らしい話のない小説を最上のものとは思つてゐない。従つて「話」らしい話のない小説ばかり書けとも言はない。第一僕の小説も大抵は話を持つてゐる。デツサンのない畫は成り立たない。それと丁度同じやうに小説は「話」の上に立つものである。(僕の、「話」と云ふ意味は単に「物語」と云ふ意味ではない。)


……に始まるのですが、人によってはすごくまどろっこしく感じるかもしれません。しかし「正しく言おう」、「間違いのないように伝えよう」という感がありありと分かるのが良いのです。また、最後の「(僕の、「話」と云ふ意味は単に「物語」と云ふ意味ではない。)」という一文がその念の入れように拍車をかけてもいるのですが、ちょっとでも勘違いを起こしそうな要素があれば、それを全部潰してくれる念の入れようなので、間違わず理解できるのです。先ほどの引用文の少しあとには、

「話」らしい話のない小説は勿論唯身邊雑事を描いただけの小説ではない。それはあらゆる小説中、最も詩に近い小説である。


と述べ、


実は「善く見る目」と「感じ易い心」とだけに仕上げることの出来る小説である。


と言い、次に、叙情詩に重きを置きつつも、


僕の小説を作るのは小説はあらゆる文藝の形式中、最も包容力に富んでゐる為に何でもぶちこんでしまわれるからである。若し長形詩の完成した紅毛人の國に生れてゐたとすれば、僕は或いは小説家よりも詩人になってゐたかも知れない。


……と論は続いていくのですが、詩人の芥川の詩をたくさん読んでみたかったー! 芥川の書いたものの中では「筋のあるほうの小説」、たとえば「羅生門」や「鼻」などよりも、私は断然「大川の水」みたいな随筆や、妻である文の兄(芥川の友人)への手紙に書いた短歌、


川やなぎ薄紫にたそがるる汝の家を思ひかなしむ

ヒヤシンス白くかほれり窓掛のかげに汝をなつかしむ夕

夕潮に春の灯うつる川ぞひの汝の家のしたはしきかな


みたいなほうが好きです。芥川、詩人になれば良かったのにー。(というか、一番なれば良かったのに!と思うのは、「画家」ですが……。次が「学者」でその次が「詩人」でさらにその次が「文士」、と勝手に思っています。ところで新潮文庫の『百鬼園随筆』や『続百鬼園随筆』の表紙カバーの百閒の絵が芥川筆と知ったときの驚きたるや……! 百閒その人の特徴の捉え方がなんとも絶妙です!!)

バックナンバー

著者略歴

  1. 坂上友紀(さかうえ・ゆき)

    2010年から11年間、大阪で「本は人生のおやつです!!」という名の本屋をしておりましたが、兵庫県朝来市に移転して2022年の春に再オープンしました☆

ジャンル

お知らせ

ランキング

閉じる