I ♡ BUNSHI の続き!
『夢の本屋ガイド』という本に寄せていただいた文章「 |
ところで、「作家」「文士」「文豪」と、書くを物する人を表す多くの言葉があり、その違いは何かと言えば、大きな枠組みとしてまず「作家」があり、その中に「文士」が、「文士」の中に「文豪」があるのではないかと考えます。
これは私の勝手な自己解釈ですが、「作家」って「家を作る」と書きます。ということは、誰かにとっての家(拠りどころ)となるようなものを生み出せる人が「作家」と呼ばれるに足るのではないか、と。ちなみにふたたびの『小学館国語大辞典』によると、「詩歌、小説、絵画などの芸術作品の制作者。特に小説家。」とともに「財産をたくわえて立派に一家を興すこと。」という意味もあり、「立派に一家を興す」という意味においては、ちょっとだけ近しいものがあるやもしれません。私が思うのは主に精神的な意味においてですが、実際財産なければ家は成せずーっ!!
と話がズレましたが、「文士」は「剣士」みたいに、侍と同じく(というか、「士」という漢字が「侍」という意味を持つので)、それひとつ(侍なら剣、文士なら文)で世を渡っていく!と志しているというイメージが強く、「作家」の中でも特に文に秀でていると自他共に認められねば「文士」と名乗ること能わず(しかし、作家自らが「文士」と名乗ることは元々あまりなかったようで、メディア側から読者への伝わりやすさも含めて「文士」という言葉が使われ出した気配あり)!
そして「文豪」は「文士」の中でもトップクラスな「文士」の中の「文士」! 文士オブ文士となるわけですが、何をもって「トップ」かは、何をもって「文学」とするのかと同様、読み手側に委ねられるべき問題だと思うので、誰を「文豪」に位置づけるかは、読者個々人の胸の内次第である!と論じたいのでありました☆
「文豪」であり「文士」であり「作家」である人はいても、「作家」であり「文士」であり「文豪」であるかどうかは、書き手の文に対する姿勢と読み手の好みによるのだと思います。昔の作家だから「文士」や「文豪」であるわけでも、年を重ねたからとて「文士」や「文豪」になれるでもない。たとえば鱒二は最初から井伏鱒二という名の文豪なのであり、20代でも文豪だし、90代でもやはり文豪である、と言いたい! ちなみに芥川が『羅生門』を発表したのは、23歳の時です。若い! でもやはり彼もまたBUNGO!
『新潮日本文学アルバム39 菊池寛』(新潮社)。文藝春秋社を作った男・菊池寛だけに、錚々たる面子と一緒に写った写真も多く収録されています☆ 中には、『羅生門』出版記念会の際の写真もーっ☆★☆(若かりし頃の芥川龍之介のど真ん前に、若かりし頃の谷崎潤一郎が座っていて、加能作次郎ほかがテーブルを囲んでますっ! なんとも豪華な顔ぶれーっ!!)
と、「作家」「文士」「文豪」については、そういう風に捉えているわけですが、肝心の「文士」の話をもう少し詳しくすると、「文士」とひとつに括ってしまうとそれのみですが、その実、「かわいい系文士」から「かっこいい系文士」、「シティーボーイ系文士」……などなどに分けることができそうです☆
「かわいい系文士」とは、「青春とは心の若さである(by サミュエル・ウルマン)」の語句が表すような、いくつになっても心のトキメキを忘れないかわいらしい文士たち(長生きした人に多い)のことで、たとえば井伏鱒二や室生犀星がそれにあたるのではないでしょうか。
で、「かっこいい系文士」は、かわいいところがあってもそれを隠してカッコつけてる(心も体も青春まっさかり!な)印象があります。かわいいと言われるのが恥ずかしいと思っている「男子」的な人たち……。芥川龍之介とか織田作之助とか。実際、「かっこいい系文士」の中には「かわいい系」になる可能性もあったのに、その前に早死にしてしまった人も多いなぁ……涙!という感も。
ちなみに、わりと長生きしてもかわいい系には走らず「お色気系文士」と言いますか、ご老体になっても色気を失わなかった人たちもいて、たとえば永井荷風や谷崎潤一郎などがそうで(「かわいい系」の室生犀星も色気を失っていないのですが)、また谷崎のウエッティ感を少し軽くしたところには福永武彦なども挙げられましょうか……!
福永はお色気もあるけれど、むしろ「シティボーイ系文士」という名が一番ふさわしいかもしれません。ちょいちょい田舎育ちながら、シティを知らないと書けないような文学だな、と読むだに思います。あと、モテなければ辿り着けない方向の文学!とも思います(ああ、偏見の嵐!)。
そんな福永武彦に影響を与えた堀辰雄は、病気療養から軽井沢に移り、最終的にはサナトリウム文学の第一人者みたいに捉えられることが多いですが、もとを糺せば福永以上に生粋の「シティボーイ系文士」です。理由は堀の出生地や当時としては流行の発信地だった浅草などが舞台の初期短篇にも明らかです。
……と細かく分類していけばきりがなく、一人の文士がいくつもの系統に属することもある(というより、ひとつの系統だけー!という人は滅多にいない)わけですが、私としては「かわいい系文士」に最も惹かれます! なので、好きな文士のツートップが、前回にも挙げた「井伏鱒二と室生犀星!」となるのでした☆
それぞれのかわいさにはもちろん違いがありながら、人としての「かわいらしさ」に辿り着くまでの紆余曲折もあわせて、この二人が最も好きだなぁ!と感じるのですが、時によりけり「今日はこんな気持ち!」といった心の動きに合わせて、どの文士のどの作品を読むかを選択していけば、さらに一層、文士の世界を楽しめること請け合いですっ☆
令和に変わり二年も経った今、なぜあえて(主に昭和時代の)「文士」の話なのか、と言われれば、一番の理由はもちろん「今がいつであっても、好きなものは好きだからーっ!!」。ですが、インターネットもこれだけ普及し、行ったことがなく、また一生行くこともなさそうな「世界の裏側」の路地ですら、見ようと思えばネットを介して見たりもできる世の中でふと疑問に思うのは、一見、すごく世界が広くなったようでいて、しかしそれ本当に広くなっているのかしらん?ということです。
結局、自分の手足が届く範囲で起こる出来事しか自分にとってのリアルではないわけで、それは一見狭いようですが、その実しっかりその目を凝らしていれば、ミクロであることと、マクロであることの共通点が見えてきます。たとえば「自宅の庭」という、自分の手足が届く範囲の行動でもって、南方熊楠(突然、文士ではなく粘菌学者を出しちゃいましたが!)は世界レベルの新発見をしています。彼の夢中になっていた菌類は、めくるめく細胞分裂を繰り返すようで、延々見ていても(細胞レベルでは)どんどん変わっていってしまう。そのことを知っていれば、今までなんとなく目にしていたコケやキノコひとつとっても、こちらの見かたが変わるというものなのです。目に映るすべてのものを細胞レベルで見続けることは難しくとも、結局はどこまで深く見ているか、が大事なのかなと感じます。
今ここで取り上げようとしている文士たちも、私小説に近いような出来事だったり、同じ題材を違う方向から幾度も書くなど、何ならひたすら自分の部屋にこもって、書くべきこと、伝えるべきことを、コツコツコツコツ書き続けていた方が多い。しかし、その非常に狭いところ(題材として、また実際の肉体が置かれた場所=部屋の中、という意味においても)から生まれてくる深みや真理のようなものが、現代に生きる私の心に、時代すら超えてリアルに響いてくるわけで、その事実を前に、そんなに遠くのことを知る必要も、たくさんのことをする必要もそもそもないのではー?というか、たくさんのことを見ることと、ひとつのことを見続けることは、結局のところ同じだなぁと感じるのでありました☆
だから今、私は叫びたい! 筆一本で食べていた人たちへのリスペクトとともに叫びたい!!
I ♡ BUNSHI ーっ!!!
というわけで、導入部だけでもはや2回分が終わってしまいましたが、次回からいよいよ、大好きな素敵文士たちの一人ひとりについて、書いていきたく思いますっ☆★☆