乙女子・犀星、覗いてるっ!!
「本おや」店主・坂上友紀さんによる、めくるめく文士の世界。「乙女」「変態」「生活」の3つのキーワードで紐解く「かわいい系文士」の室生犀星、今回はいよいよ「変態」編!! 犀星さんはなぜ「覗く」のか!の真相に迫ります〜。 |
続きましての犀星の「変態性」についてでありますが、随筆の中にも、小説や詩の中においてさえ、このことは最もわかりやすい形で顕われていると思います。一番わかりやすいのは晩年の傑作のひとつ『随筆 女ひと』においてです。目次がほぼすべてを語ってしまっていますが、その目次の三つ目にあたるタイトルが
手と足について
なのです。犀星に慣れ親しんでいる人にとっては、「あっ、きたな!」です。そうなのです! 犀星は(特別なる)足フェチ……。実のお孫さんである洲々子(すずこ)さんまでもが、萩原朔太郎の孫・朔美さんとの対談の中で「祖父の晩年の随筆に『女ひと』というのがあります。好き勝手に女の人のことを書いている作品です。この『前橋公園』(筆者注:犀星が朔太郎を前橋に尋ねたときに書いた詩)の一節にも『街のおとめの素足光らし』とありますが、若い頃から女の人の足かい!と思いました。亡くなるまで足が好きだったのですね」なんておっしゃられていらっしゃるくらいに、年季の入った足フェチ男……。(『萩原朔太郎と室生犀星 出会い百年(前橋学ブックレット4)』より)
「手と足について」の次の目次が「童貞」で、次が「二の腕の美しさ」……。わぁ、ブレない! 本領発揮!! と感嘆の思いでいっぱいですが、まだまだこれだけでは終わらないのが室生犀星。九つ目に至っては「君は一たい何を言っているのだ」なのでございますっ!!
まさにそれ、私がアナタに言いたい一言―っ!!
と、はしたなくもテンションはマックスになってしまいます……。
しかし、この包み隠さない感じがなんとも犀星らしい!の一言に尽きるのです。そして、(それが時に変態チックな趣味嗜好であろうとも)自分が心から美しいと思うものを愛でるときに彼の駆使する表現の、匂い立つばかりの豊潤さたるや……!(余談ですが、『随筆 女ひと』の新潮文庫版の解説は森茉莉で、この文章もまた最高!)
本が手元になくて原文にあたれなかったのですが、宮城まり子が『淳之介さんのこと』の中で、犀星の家(軽井沢の別荘だったか、金沢の家だったか、覚えていません)に遊びに行ったとき、部屋に通されてお喋りをしていたら、後から訪ねてきた人がいる。犀星を見ると、そっと隠し小窓を開けて外を覗き、「ああ、誰々が来た」。これまで何度も遊びに来ていたにもかかわらず、その隠し窓の存在にこれまで宮城まり子は気づいたことがなくて、「こういう覗き見によって『随筆 女ひと』のような傑作が生まれたのね」と納得する、といったような場面が出てきます。
宮城まり子は前述の森茉莉(森鷗外の娘)同様、犀星にとても気に入られていた「美しい人」なのですが、犀星の変態チックなのに乙女チックでもある所以は、この「開けっぴろげ感」にもあるのではないかと思われます。隠し窓から覗いている姿は隠すのが普通なのに、それを気の置けない人の前では(もしかしたらうっかりしていただけかも?しれませんが)さらけ出しちゃうところが犀星っぽいのです。女子校出身者から言わせてもらうと、秘められたようで実はそうでもない女子校の中、みたいな感じ!
山口蓬春による装幀も美しい『随筆 女ひと』に『随筆 続 女ひと』(ともに新潮社)の扉の題字と著者名には、これまた可愛らしい犀星自らの文字が使われております☆ この可愛さが明らか変態チックなところを中和しているような気がする今日この頃ですが、初版本に付箋をつける勇気は、やっぱりないのでありました。
美しいものが好き、なのだけれど、じゃあなぜそれを「覗くのか」というと、悲しいかな、自分は美しくない!と犀星自身が思っていたからです。今なら渋おじ、イケオジなのにねぇ(真正面よりも斜めから推奨!)。時代もあったのでしょうか、とにかくモテなかったみたいです。ゆえにコンプレックスは募る一方……。
前掲書『萩原朔太郎と室生犀星 出会い百年』の中の同じく洲々子さんの言葉として「祖父は自分の顔についてよく書いていますが、晩年まで自分の顔にコンプレックスを持っていました。写真で見るとよくわかりますが、えらの部分がとても張っています。中野重治さん曰く、『犀星は鮴に似ている』と。〔中略〕お友達の朔太郎さん、龍之介さん(筆者注:芥川)はイケメンですからね。なおさらコンプレックスに思ったのでしょう」とあります。きっとこれ、淡々と語られたのだろうなー、と、その淡々ぶりを想像しながら「写真で見るとよくわかりますが、えらの部分がとても張っています」を声に出しつつ再読すると愛おしさとおかしみとが同時に込み上げてきてしまうのですが、それにしても中野重治にしたところで、なんて言い草なのでしょうか!
鮴(ごり)とはその音からのイメージ通り(大きくはないけれど)、ゴツい印象の魚。師匠である犀星(堀辰雄らと一緒に創刊した『驢馬』でも大概お世話になっている)をして、鮴に例える中野重治よ……! 本人に直接言ったのだろうか。だとしたら、繊細な心を持っていた犀星のこと、深く傷ついたのではないのかなぁ、といろいろ心配になってくるわけですが、そんなこんなで犀星は自分に自信がないから「近づく」のではなく「覗く」のです。しかも乙女心を持つがゆえにいろいろと妄想してしまい、その妄想の羽ばたきこそが、犀星の作品群における素晴らしい表現と結びついていったのです……!
非モテ万歳☆ 良いこと尽くし!
……は言いすぎかもしれませんが、満たされすぎていると文学というのは生まれにくいような気がします。だって、現実生活において大体のところ不満に思うところがなければ、そもそも紙の上で物語る必要なんてそうそうない、ということになってくる。だから、たとえば犀星の場合だったら「母が欲しかった……!」とか、「美しくありたかった……!」みたいな飢餓感がやっぱりまずあって、その鬱屈したものが立派に昇華したとき、誰の追随も許さない「彼の文学」が作られたのだと思うのです。文士が文士たる所以です。文で戦っているのです!!
犀星はハングリー精神も強い(物によっては「復讐の文学」とも呼ばれています)のですが、基本は「耽美」(美に価値を置き、夢中になること)であり、そのもろもろのバランスがゆえに、ハングリーだからとて石川啄木にあらず(啄木はモテた)、また耽美だからとて谷崎潤一郎にもあらず(谷崎は成功の時代が長い)の、唯一無二の存在です。それは他の文士たちにも個々として言えることではありますが。
と、本来「生活」のところで語るべきハングリー感をここに持ってきてしまったので話は前後してしまいますが、犀星の「美しいもの好き」の中の「ひと」の部分についても、語っておかねばなりません!
これはまさに「覗き見」とも繋がってくるのですが、犀星の軽井沢の家の庭には、数多の美少年が休憩した木の椅子、(勝手に名付けるならば)「美少年の昼寝椅子」があったそうなー。そこでよく居眠りをしていた筆頭が、美少年として名高い詩人の立原道造(美しいまま亡くなりました。享年24歳)で、「〔中略〕立原は午前にやって来ると、私が仕事をしているのを見て声はかけないで、その木の椅子に腰を下ろして、大概の日は、眼をつむって憩(やす)んでいた。〔中略〕三十分も書きつづけて庭に眼をやると、立原は長い脚をそろえて、きちんと腰をおろしてやはり眼をつむっていた。いつ来ても睡い男だ、そよかぜが頬を撫で、昏々と彼はからだぐるみ、そよかぜに委せているふうであった」とあります(『我が愛する詩人の伝記』より)。
本当に執筆していたのかな? ずっと覗いていたのではないのん!? なんて邪推してしまう理由のひとつは、この美しいものを静かに見ていた時の犀星もまた心安らかに憩んでいたのであろうな、とうなずけるくらい、この文章を読んでいるときには天気の良い日の軽井沢のそよ風を感じるからで、そしてなんだかとても幸せな気持ちになってきてしまうからでございます☆
美少年の微睡を、壊すことなく静かに「見守って」いたんだなー。……まぁ、めっちゃ見てたんですかね!?と、うっすら確認したくなってしまうのは、この軽井沢の家には、やはり美少年だった堀辰雄(犀星の弟子)や件の中野重治なども遊びに来ていたことがあり、なんなら居眠りもしていったであろうし、そして「美少年の昼寝椅子」は犀星の執筆部屋から覗ける場所にあった、という事実に基づいて想像していくと……。
容姿にコンプレックスを持っていたという犀星的に、妖精のような人たちの眠り(やら行動やら)を自分のようなものが妨げるなんて言語道断! という気持ちがどこかにあって(そのあたり、「覗き」の第一人者!?である谷崎潤一郎とは、同じ行為でもなぜするのかの理由が違ってくる)、それが「そっと見守る=覗きの行為」に繋がったのかな、という結論にたどり着いてしまうのです。そして、そんなふうにいろんな人や物を覗いてくれたおかげで、『随筆 女ひと』をはじめ多くの素晴らしき作品が、後の世に残されることになったのでありました☆ 犀星さん、覗いてくれて本当にありがとーっ!!