I ♡ BUNSHI!
『夢の本屋ガイド』という本に寄せていただいた文章「 |
「文士」……それは、なんと心ときめく言葉なのでしょう☆★☆
「文士」に興味がある方もない方も、その言葉からまずイメージするのは「和服のおじいちゃん!」ではないかと思われます☆ 無論「女文士」ならおばあちゃんだし、芥川龍之介や織田作之助のように、30代と若くして亡くなった「青年」の姿も、人によっては「文士」という言葉から連想されるかもしれません!
私の場合「文士」と聞けば、井伏鱒二が大好きなため、写真嫌いの鱒二が「この人ならOK!」と写真を撮るのを許したという幾人かの写真家が撮ったうちの「頬に手を添えて、はにかむカワイイ鱒二像」(キュン!)がすぐに思い浮かびます。が、たとえばノーベル文学賞を受賞した時の和装でおでこ全開な川端康成の写真(川端康成の髪型はこのときに限らずいつもおでこは全開)や、原稿を取り散らかした部屋に座り込んで原稿を書く坂口安吾の姿などは、見たことがある方も多いのではないでしょうか。
しかし実際のところ「文士」とは何を意味し、いつ頃から使われていたのかを調べてみれば、その始まりは存外古く……。小学館の『日本国語大辞典』によると、中国では春秋戦国時代(紀元前770年から秦により統一される紀元前221年まで)にはすでに使われていて、日本でも『続日本紀』(平安時代初期に編纂された)には記載されている、という衝撃の事実が発覚!
なんとなく私、「文士」って明治・大正あたりから使われ始めたのかな?と勝手に思っていました。なぜなら、日本近代文学の担い手のうちの有名な作家(学者だった夏目漱石やその弟子で物理学者であった寺田寅彦など)がそもそも「学士」であることが多く、「学士」から「文士」が派生してきたように捉えていたためで、「学士」は明治あたりから、「文士」は明治・大正あたりから使われだし、昭和の時代には「文士」という言葉が一般的に定着していたのではないかしらん、と推察していたのです。
その推論は「いつから」ということも含め間違っていた……と言えば、間違っていた!
春秋戦国時代や平安時代における「文士」は、「武官」に対しての「文官」という意味合いで使われていた言葉です。一方、私が日々胸をときめかせている「文士」が意味するのはむしろ、「明治・大正あたりから使われだして、昭和に定着した言葉なのかなー?」から想像されるところのもの。つまり、「学士」から派生してきたような「文士」=「小説家・作家」であり、その姿かたちとしてパッと頭に思い浮かぶのが冒頭で取り上げた「和服のおじいちゃんズ!」なのであります☆
では、そんな「和服文士」のイメージが定着してくるのはいつ頃からなのか。と言えば、戦後の時代がメインとなってきます。この頃、写真や映像が普及していくなかで、グラビア(文芸誌の口絵写真など)やテレビ(CM含む)において、たとえば「文化的なるもの」のシンボルとして、あるいは多少「頑固一徹であること」のシンボルとして!?、姿を見かけることが多くなった「文士」たち。今回、語りたし!!と思っているのは、文官であるところの「文士」ではなく、剣の腕一本で勝負している剣士のように、「文の腕一本で勝負している文士!」のことなのでございます☆
(左)頑固文士の心を開かせる力を持った(!?)写真家・田沼武能さんの『文士の肖像』(新潮社)には、実に103人(2人の文士の写真もあるので、厳密に言えば104人!)もの文士・女文士の肖像が収録されています☆ この方、こんなお顔なのーっ!?のオンパレードでオススメ!
(右)マ・ス・ジッ! マッ・スッ・ジッ!! とまるでアイドルに声掛けをするような気持ちで叫びたくなる、「マイ・フェイバリット井伏鱒二」、御年54歳の時の肖像がこちら!(同書より) 鱒二はこの後まだまだご存命&ご健勝だったので、なんなら50代半ばにして「壮年期」と言っても差支えがないくらいです☆
……と、やたら熱く語っておりますが、子供の頃から本を読むことは大好きでも、いわゆる(小説家・作家であるところの)「文士」(以下、特に注がなければ、「文士」が指すのはこの意味合いの「文士」に統一させていただきます☆)の書いた作品には、国語の教科書で触れた程度のものでした。にも関わらず、今や「文士とはこうである!」と主張するのもやぶさかではないうえ、「好きな作家は?」と聞かれれば、「井伏鱒二に室生犀星!(外国の作家なら、バルザックにアポリネール!)」なんて即答する始末☆
一体、いつ頃からこんな文士好みになったのかしらん?と自分の読書遍歴を振り返れば、本屋を始めた約10年前が、ターニングポイントだったような気がします。新刊書籍だけではなく古本も扱う店にしたのが、事の始まりだったのではないかしらん? (……と、やたら連発しているこの「かしらん」は、小沼丹の口癖(書き癖?)で、素敵に記憶に残るため、真似して使いたくなるのでした☆)
毎日お客様から様々な本をお売りいただくうちに手に取ることが増えたのは、それまであまり読んでこなかったような、大正・昭和に出版された日本人作家の本が多く……。それらのかっこいい函装に惹かれることもありましたが、重厚そうな見た目どおりに内容も小難しいのかな?と思いきや、いざ読んでみたらば意外や意外、びっくりするほど読みやすく、かつ面白い作品が多いではないですかーっ!!
と、衝撃を受けたのが運命の分かれ道だったのかどうかはわかりませんが、いつの間にやらすっかり文士たちの顔を見分ける(著者近影など)ことができるようになっているくらいには馴染み、最近では「文士が好きだー!」と全力で叫ぶことすら、やぶさかではなく!
なんとなれば、昭和以前の文士たちが書くものには、身近に材をとった随筆や(私)小説が多いため、「作品を知る・好きになる」イコール「それを書いた人への興味」に繫がって当たり前。ゆえに、作品から好きになったのに、気づけば文士その人について書いてある随筆や評論などを読み漁ってしまうこともしばしば……。
また、そういった文学の性質(作品と著者が近しい)と、写真や映像技術が発達していく時代が合わさり、文士のブロマイドや日常写真が載った本も昭和の時代にはたくさん出されていたのが、これまた心憎いくらいに、文士その人への興味に拍車をかけていくという……!
そんなん読むしかないやんかー!
と、雄たけびを上げつつ、林忠彦さんや田沼武能さんといった「文士撮らせたらこの人!」な写真家の書く「文士のこぼれ話」にも触手が伸びていくのでした☆
もちろん作品ありきで読みつつも、たまに文士の写真から「きっとこんな小説を書くに違いない!」という偏見に基づき著作を紐解けば、当たることも微妙にハズれることもあり、それがどちらであっても楽しくて……!
文士の文学を読むにあたり、文士たち自身を知ることは、とても大事!とあらためて感じるのでした。
基本は作品ありきです。しかし、こんなに魅力たっぷりな文士たちのことを知らないのはもったいなすぎるうえに、彼らのことを知ったからこそより深く、その作品が味わえる、というのはまぎれもない事実だと感じています。
そんなこんなで、気になった作家とその周辺の作家(室生犀星に立原道造に堀辰雄に福永武彦……や、井伏鱒二に河盛好蔵に小沼丹……など)をどんどん読み進めていくうちに、「好きかも?」「好きかも!」「間違いなく、好きーっ!!」と、文士自身とその文学にハマリにハマって今に至ります。
たとえば室生犀星の自伝的長編『杏っ子』の場合、主人公の名前は「平山平四郎」(=室生犀星)ですが、作中に芥川龍之介や堀辰雄などの名前が普通に出てくるし、実際あった出来事に近いことが小説として書かれているのだと思われます。こういうことも当時の文芸作品の中ではよくある話なのですが、そうなってくると事実を知っているからこそ小説がなお一層楽しめる、ということにも。
また、さらに言いたいのは、「事実は小説より奇なり」はやはり正しくて、「マジですか?!」と突っ込みたくなるような出来事が、文士の周りではまま起こっている……!
のならば、「難しそう!」とか「面白くなさそう!」といった想像はあくまで想像にすぎず、読んで初めてわかる親しみやすさ、そして喜怒哀楽を含んだ意外なほどの面白さがたくさん詰まっているんだということ、そして、人を知るとさらにその作品が深く楽しめるということを、声を大にして訴えたい気持ち……!
そうです! 私は叫びたい!!
I ♡ BUNSHI ーっ!!!
というわけで、いざ、めくるめく素敵文士の世界へ突入していきたいと思いますっ☆★☆