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音声学者とーちゃん、娘と一緒に言葉のふしぎを見つける

せっかくだからしっかり音声学入門 〜子育ての視点を添えて〜

さて、子育てエピソードを交えながら、色々な言葉にまつわる話をしてきたが、驚くなかれ、ここまで読んでくださった方々の頭の中には、すでに音声学の肝となる概念が入り込んでいる。

せっかくみなさまの好奇心の扉をこじ開けた(?)のだから、少し体系的な音声学入門の話をしよう。今回の記事は、今までよりも少し専門的に感じるかもしれないが、子育ての観点も盛り込んで、できるだけ楽しく読めるように努力したつもりだ。

とある国際機関の規則目録

「国際音声学会」という国際機関があるのをご存じだろうか? 実はこの機関により、地球上の言語で使われる音声すべてに記号が割り振られている。いわゆる「発音記号」だが、正式には「国際音声記号」と呼ばれる。英語ではinternational phonetic alphabetで、IPAと略される。音声学者の会話を盗み聞きすると「IPA! IPA!」と連呼していることがあるが、別にビール好きな訳ではない。

IPAで音を表すときは、[s]のように、[ ]で囲む約束になっている。IPAを使うと、アルファベットでは書き取れない音も記号で表すことができるので便利だ。例えば、「(キュア)フェリーチェ」の最初の音は[ɸ]で表す。両唇が丸まって摩擦が起きる音で、英語の[f]に近いが、[f]は上の歯と下の唇を使うので少し異なり、[f]と書くわけにはいかない。そういう音にもIPAの記号がちゃんとある。

国際音声学会では、言語で使われる音声を3つの基準で定義する。「調音点」「調音法」「有声性」の3つで、最初の2つは前の記事で紹介した。

調音点=口のどこで発音するか
調音法=どうやって発音するか
有声性=声帯が振動しているか

 [p]を例にとろう。[p]は両唇を閉じて発音するので「両唇音」である。しかも、口も鼻も閉じているので、発音時に口腔内(口の中の空間)の気圧が上がる。その結果、口の閉じを開放すると破裂が起こるので、「破裂音」だ。そして声帯は振動していないので、「無声音」となる。全部まとめて「無声両唇破裂音」と呼ぶ。

「まさか、これを覚えろと?」と思った読者も多いだろう。安心してほしい。私は覚えるのも覚えさせるのも嫌いだ。音声学会をクビになるのを覚悟で言えば、私自身はIPAを全部覚えていない! 「音声学=IPAの暗記」と思われている節もあるので、ここは胸を張って言ってしまおう。

一方で、IPAや調音点などの概念は、「暗記」は必要ないものの「理解」はしておくと、色々と便利なことがある。特に英語や他の外国語の発音に磨きをかけたい人は、調音点・調音法・有声性の概念に親しんでおくだけでも有用である。また、歌うのが好きな人も、これらの概念を理解すると「鬼に金棒」だとプロの声優やボイストレーナーが太鼓判を押してくれた。「いいまつがい」「空耳アワー」「早口言葉」なども音声学的に理にかなっているものが多いので、これらが好きな人は、調音点などを学ぶことでもっと楽しむことができるだろう。さらに、これらの概念は、次々回の記事で分析する「子どもの言い間違い」の理解にも役に立つ。


というわけで今回の記事では、IPAの基礎を解説する。IPAをより詳しく学びたい好奇心旺盛な読者のみなさま、次回の記事もお楽しみに。

調音点:どこで発音しようかしら

まず下図(左)に顔の断面を模式図で表してみた。色々な器官の名前が出てくるが、今の時点で覚える必要はない。日本語で重要な調音点は「両唇りょうしん」「歯茎しけい」「歯茎口蓋しけいこうがい」「硬口蓋こうこうがい」「軟口蓋なんこうがい」「声門せいもん」の6種類だ。下図(右)はMRIで撮影された口腔の断面図に、主な調音点のおおよその位置を記してみた。英語はもう少し多くの調音点を使うのだが、ややこしくなるので、日本語の調音点に限っている。

顔の断面の模式図(左)/MRI図で確認する調音点(右)

口の前から後ろのほうにかけて「調音点」を解説していこう。「両唇音」は両方の唇を使って出す音だ。みなさまには既におなじみ「赤ちゃんが得意で、プリキュアの名前によく登場する音」である。次に、英語の[f]や[v]は、上の歯が下唇に当たるので、「唇歯音しんしおん」と呼ばれる。よく「唇を噛む」という表現が使われるが、噛む必要はない。歯は添えるだけ。

英語のthの音([θ]や[ð])は、舌先が歯の間に添えられる。これらの音を「歯音しおん」と呼ぶ。さらに口の奥に入っていこう。上の歯裏側の根元部分を歯茎しけいと呼ぶ。「サ」の母音部分である[a]を発音せずに、子音部分の[s]を発音する口の形で一旦動きをとめる。そのまま息を吸い込んでみると、冷たく感じられる部分がある。そこが歯茎で、 [s]や[t]が典型的な歯茎音だ。次に

「サ」「シャ」「サ」「シャ」「サ」「シャ」

と繰り返し発音してもらうと、「シャ」の方が微妙に口の奥で発音されるのがわかるだろうか。「サ」の時と同じように、「シャ」の母音部分である[a]までいかずに、子音部分で口の形をとめて、息を吸い込むと、冷たく感じられる部分が「シャ」の調音点。この子音は「歯茎」と「口蓋」に渡って発音されるため(下のMRI図参照)、「歯茎口蓋音しけいこうがいおん」と呼ばれ、記号には [ɕ]を使う。口蓋こうがいとは「口の天井部分全体」のことだ。


歯茎口蓋音である「シャ」行の発音。rtMRIDBの権利者より許可を得て転載。

ちなみに、日本語の「シャ」の子音[ɕ]と英語のshの子音 [ʃ] を比べると、2つの音は似たように聞こえるが、実は多少異なった位置で発音されるので、後者を「後部歯茎こうぶしけい」と呼んで区別する。実際に日本人が英語を発音するときに、[ʃ]の音が十分[ʃ]っぽく聞こえず、それが日本人なまりの原因の1つとなる。なまりの緩和には、英語のshを発音するときに無理して舌の位置を調整しようとするよりも、意識して唇を丸めると効果的だ。


次に、自分の舌で口の天井を前から後ろになぞってほしい。前のほうは堅いと思う。その部分を「硬口蓋こうこうがい」と呼ぶ。硬口蓋の代表的な音は、「ヒ」の子音部分だ([ç])。「ヒ」の口の形をして息を吸い込んで冷たくなる部分を感じてみよう。硬口蓋音は、お母さん言葉に頻出し、例えば「おかな」を「おちゃかな」と言ったりする。この現象については後の記事でじっくりと。

さらに口の奥をなぞっていくと、途中で柔らかい部分が現れるだろう。そこが「軟口蓋なんこうがい」だ。軟口蓋は、風邪をひいたときに腫れて痛くなる部分でもある。[k]が代表的な音だ。幼い子には口の奥で発音するのが難しいことがあるらしく、時々、軟口蓋音を別の子音で代用してしまう。下の娘は、「みん」を「みん」と言っていたことがある(当時、2歳後半)。妻と私のお気に入りは、上の娘が4歳の時に発した「いこち(いこち)」だ。アメリカに住んでいた時は、margarineと言っているのに、mardarineと聞こえるお子さんと仲良く遊んでいた。


口の奥(軟口蓋)での閉じ

一番奥の調音点が「声門」で、日本語では「ハ行」の子音[h]が発音される。ただし、「ヒ」の子音は硬口蓋で、「フ」の子音は両唇で発音される。このように、同じハ行の子音でも、隣にどんな母音が来るかで発音が変わってしまう場合がある。これは「音韻変化」と呼ばれる現象で、子どもの言い間違いと絡めて、次々回の記事でじっくり解説する。

調音法:どうやって発音しようかしら

次は、調音法をリスト形式でご案内していこう。

破裂音はれつおん:唇や舌によって口が完全に閉じられ、鼻から空気が抜けることもなく、発音時に口腔内の気圧が上がる。閉じが解放されるときに破裂が起きるので「破裂音」と呼ぶ。 [p]が典型。

摩擦音まさつおん:唇や舌によって口が非常に狭められ、空気の乱流が生じて摩擦が発生する。遠くの花に水をやる時にホースの口を手でつぶすと水が遠くに飛ぶが、摩擦音はこの状態によく似ている。 [s]が典型。


[s]発音時に行う歯茎での「寸止め」

「摩擦が起きる程度に口を狭める」というのは意外に難しい。喩えるならば、剣道での「寸止め」だ。よって、赤ちゃんは摩擦音が発音できるようになるまで時間がかかる。下の娘は、3歳になる直前まで「ん」を「ん」と発音することがあった。ちなみに、胎内で聞こえる母親の血流の音は摩擦音に近いらしく「赤ちゃんに摩擦音を聞かせると泣き止む」という説を聞いて実際に試したことがあるが、うちの娘たちは、そんな甘っちょろい方法では泣き止まなかった。

鼻音びおん:唇や舌によって口は閉じるのだが、鼻へ空気が抜ける。

 [mmmmm]や[nnnnnn]のようにハミングを続けながら、鼻をつまんでみると急に苦しくなる。これらが鼻音だ。風邪や花粉症などで鼻が詰まっている時も、きれいに発音できなくなる。ちなみに「ガ行」の音を鼻にかけて発音する「鼻濁音」([ŋ])も鼻音である。せっかくだから、本場の鼻濁音を妻に発音してもらった。下の音声で堪能してほしい。妻の出身は東北で、義理の親は、音声学者として聞き惚れてしまうほど綺麗な鼻濁音を出す。前回述べたように、哺乳時に音を出すと、鼻から空気が流れるので自然に鼻音になる。

鼻濁音(かがみ)


はじき音:舌によって口腔が一瞬閉じるのだが、その閉じが非常に短い。日本語の「ラ行」の子音( [ɾ])が典型。

ちなみに、音階を言葉で表現するときには「ラリラリララ〜♪」と「ラ行」を使うことが多い。「ラ行」の子音は短いため、母音がはっきり聞こえるからだ。音階は母音にのるものだから、「ラ行」はぴったりなのだ。また、非常に短く発音するためには舌を素早く動かさなければならないので、子どもにとって「ラ行」は難しい。結果として、「ラ行」を長めに発音してしまい、「ダ行」に聞こえてしまうことがある。下の娘が「トイ」を「トイ」、「テ」を「テ」と発音してしまっていたのが良い例だ。

トイレ

ラテ


接近音せっきんおん:唇や舌による口の狭めが緩やかで、肺からの空気がなめらかに流れる音。「ワ行」の[w]が一例。

有声性

有声性とは「声帯が振動しているか」「していないか」という区別である。声帯は喉頭(いわゆる、喉仏)に入っていて、人間は、肺からの空気を口に流す途中で、声帯を振動させることで声を出している。よって、空気が自然に流れる「鼻音」「はじき音」「接近音」および「母音」は、基本的に「声帯が振動する有声音」である。また、濁音である「バ行」「ダ行」「ガ行」の子音である[b], [d], [ɡ]も有声音だ。一方、「パ行」「タ行」「カ行」の子音である[p], [t], [k]は、声帯が開いていて振動を起こさない。これらを「無声音」と呼ぶ。

「有声音」と「濁音」には、密接なつながりがあって、「濁音」はすべて「有声音」だ。しかし、「有声音」すべてが「濁音」な訳ではない。「鼻音」「はじき音」「接近音」は濁点がつかないけれど、有声音である。これらの音は、対応する無声音がないので、わざわざ濁点を使って有声音であることを示す必要がないのである。

また、日本語では「パ行=[p]」を「半濁音」と呼ぶが、これは音声学的には間違いで、[p]は混じりっけなしの無声音だ。「半濁音」という音声学的におかしな用語が成立してしまったのは、日本語が歴史的に変化していった過程で生まれた歪みのせいである。

無声音を発音するためには、声帯を積極的に動かして大きく開かなければならない。そのため、赤ちゃんは[p], [t], [k]などの無声音をはっきり発音できないこともある。逆に、声帯を意識的に動かさなくても、自然な状態で肺から口に空気を送ると、声帯は勝手に振動してくれるので、子どもにとっては有声音の方が自然に発音できる。下の音声では、娘は「かーちゃん」と発音しようとしているのだが「がぢゃん」のように聞こえるだろう。

かーちゃん


もしお子さんの無声音がたどたどしくて有声音のように聞こえてしまっても、声帯を開く練習をしていると思って、優しく見守ってほしい。


左:声帯の閉→開(写真)/ 右:声帯の構造(
誠文堂新光社 刊『子供の科学』2021年11月号より イラスト:プラスアルファ)

最後に

今回は専門用語の連発で少し疲れたかもしれない。繰り返すが、暗記は必須ではない。暗記が嫌いでも、音声学のことは嫌いにならないでください。

次回は、「調音点」などの概念が便利であることを示すために、日本語ラップの韻の分析を披露しよう。また、IPAをもっと知りたい!という読者のために、様々な追加資料を提供しようと思う。

本日の妻からの一言

「トイデ」も可愛いけど、やっぱ「ドウタン」かな。「〇〇タン」って可愛いよね。

今回のクイズ

自分でいくつか音を発音してみて、その音の調音点や調音法を考えてみましょう。答えは次回の記事で。

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著者略歴

  1. 川原繁人

    1980年生まれ。1998年国際基督教大学に進学。2000年カリフォルニア大学への交換留学のため渡米、ことばの不思議に魅せられ、言語学の道へ進むことを決意。卒業後、再渡米し、2007年マサチューセッツ大学にて言語学博士を取得。ジョージア大学助教授、ラトガース大学助教授を経て、2013年より慶應義塾大学言語文化研究所に移籍。現在准教授。専門は音声学・音韻論・一般言語学。研究・教育・アウトリーチ・子育てに精を出す毎日。著書に『音とことばのふしぎな世界』(岩波科学ライブラリー)『「あ」は「い」より大きい!?:音象徴で学ぶ音声学入門』(ひつじ書房)など。

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