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音声学者とーちゃん、娘と一緒に言葉のふしぎを見つける

もう少し深く音声学入門 〜ラッパーと声優の力を借りて〜

アンキキライ

前回の記事で、「調音点・調音法・有声性」の概念を紹介した。正直なところ、これらの概念はくせ者で、私の経験では「暗記させられそうになって、音声学を嫌いになってしまう学生」が少なくない。事実、学生時代の私がそうだった。そんな悲しい事態を回避するためにも、私の授業では、まずは「プリキュアの名前」を通して「調音点」に、「哺乳行動」の観点から「調音法」に親しんでもらっている。 

しかし、私自身は覚えさせるのは嫌いだが、国家試験対策や英語教職課程の免許を取得するため、暗記が必要となる人がいることも承知している。また、前回の記事で興味を持ってくれた読者もいるだろう。よって、今回の記事では、IPAを少しでも楽しく学べるための資料を提供したい。
 

音声学と日本語ラップ!?

まずは、日本語ラップの韻の分析からだ。大学院時代をアメリカで過ごしながら、日本語が恋しかった私は、常に暇さえあれば日本語のラップを聴いていた。そしてある日、閃いてしまったのである。もしかしたら、音声学の洞察が日本語ラップの仕組みに光を当てられるのではないか! 

日本語のラップの韻の踏み方にはルールがある。基本は「小節末で母音が同じになるように単語や句を組み合わせる」というものだ。実際の例を見てみよう。『MASTERMIND』という曲で、ラッパーのMummy-Dは: 

けっとばせ けっとばせ
けっとばした歌詞で ゲットマネー 

と歌っている。[kettobase]と[ɡettomanee]が韻の部分である。母音が[e], [o], [a], [e]で揃っているのがわかる。ここまでは一般的な日本語の韻の定義通りだ。 

では、子音はどうでもよいのか、というと、実はそうではない。上の例では、[k]-[ɡ]、[tt]-[tt] 、[b]-[m] 、[s]-[n]という子音のペアができている。2番目のペアは同一の子音なのでおいておくとして、他のペアの子音をじっくり発音してみて欲しい。[k]-[ɡ]は「軟口蓋」、[b]-[m]は「両唇」、[s]-[n]は「歯茎」で、すべて調音点が一致している! 

また、宇多丸が『バースデイ』で「バースデー [baasudee]」と「待つぜ [matsuze]」で韻を踏む。[b]と[m]は上記の通り、両方とも両唇音で、しかもどちらも有声音。次に[ts]は破擦音と呼ばれ、IPAでは独立したカテゴリーとして認めてはいないが、[ts]は[t]と[s]の連続に近いので、[s]と似た子音と考えて良い。[d]と[z]は、両方とも有声歯茎音である。 

最後の例だ。『Forever』でLIBROは「大招待 [daiɕootai]」と「最上階 [saiʑookai]」で韻を踏んでいる。子音のペアが3つ含まれているが([d]-[s], [ɕ]-[ʑ], [t]-[k])、これらは音声学的にどのように似ていると言えるだろうか。クイズ代わりに考えてみてほしい。 

もちろん、こうした自分に都合の良い例だけを集めても、学会では認められない。そこで私は、日本のラッパーたちの感性の鋭さを音声学的に証明すべく、日本語ラップの古典98曲に含まれる韻から何千にも及ぶ子音ペアを抽出して分析した。その子音のペアすべてについて、「調音点・調音法・有声性」を含めた7つの音声学的尺度を用いて「音声学的近似性」を計算し、「韻における組み合わされやすさ」との関係を分析した。この分析の詳細は、私の解説論文を参照してほしい。 

下図が結果である。横軸は、簡単に言うと「子音の近似性」で、右に行くほど近似性が高まる。正確に言うと、それぞれの子音のペアにおいて7つの音声学的指標のうち、何個が共通しているかを示す。縦軸は「日本語の韻の中で組み合わされる相性の良さ」を示す。正確に言えば、「観察値を期待値で相対化したものをさらに対数変換した数値」だが、この計算を無理に理解する必要はないだろう。図から読み取れる大事なことは、「似ている子音のペア」ほど「日本語ラップの韻において、組み合わされる頻度が高い」ということだ。例えば、[d]-[z]は、音声学的にとても似ていて、韻で組み合わされる確率が高い。逆に、[ɕ]-[w]はほぼ音声学的な共通性がなく、韻で組み合わされることがほとんどない。
 

子音の音声的近似性と韻での組み合わされやすさ

ある本職のラッパーにこの分析を披露したところ、「なんとなく感覚として持ってはいたけど、言語化できていなかった」と言ってくれた。調音点など音声学で使われる概念は、声を使った仕事をしているプロの感覚を明確化出来るのだ! 興味がある人は、ぜひ自分なりに好きなアーティストの韻を分析してみてはいかがだろうアイコン

ちなみに、「韻において、似た子音が組み合わされる」のは日本語だけではない。例えば、ラップという音楽を世に広めたThe Sugarhill Gangの『Rapper’s Delight』という古典では、stopとrockとで韻が踏まれている。語末の[p]と[k]は、どちらも無声破裂音である。何を隠そう、私の日本語ラップの韻の分析も、英語や他言語の韻の分析に感化されておこなったものなのである。
 

『声優さんと楽しく学ぶIPAシリーズ』

ラッパーの次は声優さん。IPAの暗記が必要な人のために、YouTube動画を作成させてもらった。この動画では、声優さんが3つの声色(「必殺技風」「萌え声」「ツン声」)で、日本語と英語に現れる音の名前をすべて読んでくれる(例えば、「無声両唇破裂音」「有声歯茎鼻音」など)。それぞれの名前が発音された5秒後に、正解の記号が表示され、私がその音について解説を加える。サンプル音声を以下に用意した。 

必殺技

萌え声

ツン声


ちなみに、録音現場に立ち会った上の娘は、声優さんの演技にがっちりハートキャッチされた。教材を作りながら娘も楽しめる、素晴らしい時間だった。
 

IPAカード

さらに、IPAを楽しんで学ぶために開発したのが「IPAカード」である。「神経衰弱」「カルタ」「7並べ」「ババ抜き」といったゲームができ、その過程で、楽しく自然にIPAに親しむことができる。それぞれのカードが一つのIPA記号に対応しており、実際の音を聞くことができるQRコードもついている。付属のブックレットで、具体的な遊び方を解説している。注文はこちらから。


IPAカード

IPA表(子音)

ここまで来てIPAにますます興味が湧いてきた人がいる……と信じたい(涙)。そこで、IPAの子音表をご披露しよう。この表を見れば、すべての音について「調音点」「調音法」「有声性」が一目でわかる。また、この表に慣れ親しんでおくと、英語に限らずどんな言語を学ぶ際にも助けになる。 


IPAの子音表(肺からの呼気で出される音に限る) 
© International Phonetic Association 

横軸が調音点、縦軸が調音法だ。同じセルに2つ記号が入っている場合、左が無声音、右が有声音である。灰色のセルは、生理学的に考えて発音が不可能だと考えられている。白い空欄は、まだ発見されていない音が入る場所で、音声学者たちは、これらに入る音がどこかの言語で使われていないか、日々調査を続けている。ロマンを感じるではないか。この点では、音声学者は新種の生物や昆虫を探す学者たちとなんら違いはない。 

ちなみに、下の娘は1歳7ヶ月ごろ、キティちゃんを見ると、上のIPA表にはない(大人が言語音として使うとは未だに確認されていない)「歯鼻音」を発音していた。 

歯鼻音


また、10ヶ月あたりで、両唇を使って息を吸い込む「両唇吸着音」なる音も発音していた(この音を使う言語はアフリカでのみ確認されている)。 

両唇吸着音


我々夫婦は、歯鼻音も両唇吸着音も会話で使っていた覚えはないので、娘が親の真似をした可能性はゼロだ。おそらく口のどの部分をどう動かしたらどのような音が出るのかを、自分で色々実験していたのだろう。この意味で「子どもとは科学者なのだな」と実感した。
 

IPA表(母音)

次に母音表である。母乳の回で触れたが、母音を定義するためには「舌の高さと前後」、それに「唇の丸まり」が重要になる。 

IPAの母音表  © International Phonetic Association

横軸が舌の前後、縦軸が舌の高さを表す。同じ場所に2つの記号がある場合、右は唇が丸まる円唇母音、左は非円唇母音である。隣合わせになっていない記号は、 [ʊ]を除き、どれも非円唇母音だ。 

日本語に比べて英語は母音の数が多い。例えば、beedとbidは、前者が[i]で、後者が[ɪ]という母音を持つ。この2つの母音は、日本語話者には、前者が「長い『い』」後者が「短い『い』」というように長さが異なる同じ母音に聞こえてしまう。しかし、本当は長さの違いでなく、質的に異なる。また、日本語では「あ」のように聞こえる母音も、英語では複数あり、[æ](cat)、[ɑ](hot)、[ʌ](cut)のように少なくとも3種類存在する。方言によってはもっと種類がある。しかし、英語のアルファベットには母音に対応する文字がa, i, u, e, oの5つしかないので、スペリングだけを見ても発音の違いがわかりにくい。IPAならそれぞれ違う記号があるので、この問題は起こらず、より正確な英語の発音を知ることができる。国際音声学会は、色々な言語を対象としてIPAを使った書き取り法をガイドブックにまとめている。大修館から翻訳本
も出版されているので、外国語学習に興味がある人は、ぜひ参照してみると良いだろうアイコン

50音表とIPA

日本語の50音および濁音+半濁音をIPAで表すと、以下のようになる。ただし、これは私の流儀で、どの音にどの記号を充てるかは諸説ある。英語の発音記号を見たことがある人は少なくないと思うが、日本語をこのように表すと新鮮に感じられるかもしれない。この表は、日本語教師を目指す人には有用だと思う。 


あまり見慣れない記号もありそうなので、以下に説明をつけておく。 

[ɕ] =無声歯茎口蓋摩擦音 
[ç] = 無声硬口蓋摩擦音 
[ɸ] =無声両唇摩擦音 
[j] =有声硬口蓋接近音。ローマ字と違って、yを使わないことに注意。IPAでは、[y]は母音を表す。 
[ɾ] =有声歯茎はじき音。[r]は別の音(「ふるえ音」)に使われる。 
[ɴ] =有声口蓋垂鼻音。語末の「ん」の音(上の娘は[ɴ] でなく[m]と発音する)。 
[ɡ] =有声軟口蓋破裂音。 
[ʑ] =有声歯茎口蓋摩擦音 

理由は定かではないが、「歯茎口蓋」という調音点はIPA表に含まれておらず、「その他の子音」という例外的な扱いを受けている。日本人音声学者としては、正直悔しい。

その他便利なオンライン資料


IPAの全体像を知りたい人は、公式ウェブサイトを参照するとよい。インディージョーンズよろしく新種の音が発見された暁には、この表が更新されることもある。 

自分でIPAを打ちたい人は、こちらのオンラインキーボードが便利だ。 

英語のWikipediaには音付きのIPA表がある(子音母音)。 

John Eslingが開発した無料の「iPA」というiOSアプリを使うと、IPA表から実際の音声が聞け、その発音の仕方も動画で観察できる。 

南カリフォルニア大学では、IPA表から、それぞれの音の発音の仕方をMRIで確認できる資料を提供している。 

おっと、少し子育てから話が離れてしまったか。次回からは、また子育ての話に戻ろうと思う。 

本日の妻からの一言
 

ラッパーとも声優さんともコラボですか。次は自宅にスタジオでも作りますか? 

今回のクイズ 

自分の名前を
IPAで書き取ってみましょう。 

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