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リベラルアーツの散歩道 ― 外国語と世界を歩く

そもそもリベラルアーツとは?

近年ビジネス本などでも目にする「リベラルアーツ」の在り方を解きほぐし、「リベラルアーツ」として「外国語」を学ぶ意味を探っていく、東京大学の「教養」を長年見つめてきた筆者ならではの本連載。リベラルアーツという言葉にもやもやしている方も、「英語」だけが外国語で正義なの?ともやもやしている方も必見です!

 

 前回は、アインシュタインとイチローのおかげで人生が変わったという学生の話をしました。彼は「リベラルアーツ」という言葉を知らなかったにもかかわらず、2人の名言に出会って無意識のうちにこれを実践していたのでした。

 では、そもそもリベラルアーツとは何でしょうか? 「大切なのは、疑問を持ち続けることだ」と言ったアインシュタインにならって、まずはこの素朴な疑問から出発してみましょう。

 若い人はあまり耳にしたことがないかもしれませんが、これは数年前から教育界やビジネス界で流行っているキーワードのひとつです。試しにネットで検索してみてください。たちまち何冊もの書籍がヒットするはずです。

 その中の一冊に、『リベラルアーツの波動 答えのない世界に立ち向かう 国際基督教大学の挑戦』(伊東辰彦・森島泰則共編著、学研プラス、2019年)という本があります。このタイトルに「答えのない世界」とあるように、確かに世界が直面している課題の大半にはこれといった唯一の正解があるわけではないので、私たちはいろいろな角度から問題を検討して、そのつどいちばん適切と思われる判断を下さなければなりません。そのために必要とされるのが、専門分野の垣根を越えた「リベラルアーツ」であるというわけです。

 「専門分野」なんて特にないのに、あるいはまだしっかり決まってもいないのに、いきなり「垣根を越えろ」と言われても……と思う人もいるかもしれません。でも、ここでイチローの言葉を思い出してみてください。「というのは、できる人にしかやってこない。 超えられる可能性がある人にしかやってこない」。

 垣根についても同じことが言えます。はじめから越える意思も力もない人の前に、垣根は現れません。何かを「越えよう」と思わなければ、壁も垣根も見えてはこないのです。そしてじつはこの「越えよう」という気持ちそのものがリベラルアーツなのだ、といえば、なんとなくわかっていただけるでしょうか。

 ちなみに国語辞典でこの言葉を引いてみると、『広辞苑』(第七版)には「自由な心や批判的知性の育成、また自己覚醒を目的にした大学の教養教育の課程」と書かれています。少し古めかしくて硬い感じのする定義ですが、ここで使われている「自由」「批判」「覚醒」といった単語が、いずれも壁や垣根を越えるために必要な要素を指していることは感じられるのではないかと思います。もしその感覚が少しでも味わえたならば、あなたはリベラルアーツに一歩近づいたと言えるでしょう。

 

第三回「「アルテス・リベラレス」から「リベラルアーツ」へ」はこちら

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著者略歴

  1. 石井 洋二郎

    中部大学教授・東京大学名誉教授(2015-19年春まで副学長をつとめる)。専門はフランス文学、フランス思想。
    リベラルアーツに関連した著作に『大人になるためのリベラルアーツ: 思考演習12題』『続・大人になるためのリベラルアーツ: 思考演習12題』(ともに藤垣裕子氏との共著、東京大学出版会刊)、『21世紀のリベラルアーツ』(編著、水声社刊)などがある。

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