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リベラルアーツの散歩道 ― 外国語と世界を歩く

明晰な言語・あいまいな言語

近年ビジネス本などでも目にする「リベラルアーツ」の在り方を解きほぐし、「リベラルアーツ」として「外国語」を学ぶ意味を探っていく、東京大学の「教養」を長年見つめてきた筆者ならではの本連載。リベラルアーツという言葉にもやもやしている方も、「英語」だけが外国語で正義なの?ともやもやしている方も必見です!

全20回の連載も後半戦。もう一歩「外国語」の存在について考えます。

 

 前回は「寛容」という言葉にひそむ無意識の「上から目線」について述べましたが、ここで外国語に話を戻すと、言語同士のあいだにもなんとなく上下関係があると考えている人は案外多いかもしれません。

 もちろん、現在、圧倒的に重要と思われているのは英語だと思いますが、それは比較的最近のことであって、昔は必ずしもそうではありませんでした。特に私が専門としているフランス語についていえば、これこそが世界で最もすぐれた言語であるという通念が広く共有されていた時代があったのです。

 「明晰でないものはフランス語ではない」という言葉は、どこかで耳にしたことがあるのではないでしょうか。これは18世紀のリヴァロールという人がベルリン・アカデミーの懸賞に応募して受賞した「フランス語の普遍性について」という論文に見られる一節ですが、そこではフランス語だけが理性の秩序に従った合理的な構文を有しており、その点で他のあらゆる言語に優越するということが述べられています。

 現代の私たちから見れば、まあなんと独りよがりの自文化中心主義かと思うのですが、当時はこうした主張が(パリではなく)ベルリンのアカデミーで高く評価されたばかりか、その後もヨーロッパ全体で客観的真理として受け入れられてきたのです。じっさいロシアの文豪トルストイの長編小説、『戦争と平和』などを見ると、19世紀の帝政ロシアでも、上流階級の社交界ではフランス語が貴族の教養として広く共有されていたことがうかがえます。

 文法構造が合理的である(そのこと自体も根拠はありませんが)からといって、フランス語が他の言語より優れているなどと結論づけるのは、いくらなんでも暴論でしょう。けれどもこれを笑って済ませることができないのは、私たち自身もこれに似た発想をしてしまうことがしばしばあるからです。

 たとえば「日本語はあいまいな言語なので暗示やほのめかしに向いている」といったことがまことしやかに言われるのを耳にしたことはないでしょうか。確かに日本語には遠回しの表現がいろいろありますが、これは別に日本語に限った話ではなく、英語にもフランス語にも同様の婉曲表現はいくらでもあります。

 言語には確かにそれぞれ違いがありますが、一般論として、ある言語がそれ自体として他の言語より明晰であったりあいまいであったりすることはないはずです。単なる「差異」を「優劣」と混同してしまったリヴァロールと同じ過ちを犯さないよう、根拠のないこの種の思い込みから私たちの思考を解放することも、リベラルアーツの役割のひとつと言えるでしょう。(4つの『制約』については第四回第五回第六回第七回をご参照ください。)

  第十五回 朕は猫なりはこちら

(次回は8月10日の更新予定です。)

 

 昨年5月に行われた、中部大学創造的リベラルアーツセンター(CLACE)主催シンポジウム「リベラルアーツと外国語」が一冊の本になりました。
著者司会のもと鳥飼玖美子先生/小倉紀蔵先生/ロバート キャンベル先生を迎え行われた
刺激的なシンポジウムだけでなく、9名の豪華識者による論考も必見です。
『リベラルアーツと外国語』水声社刊 
定価2750円 ISBN978-4-8010-0626-3

 

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著者略歴

  1. 石井 洋二郎

    中部大学教授・東京大学名誉教授(2015-19年春まで副学長をつとめる)。専門はフランス文学、フランス思想。
    リベラルアーツに関連した著作に『大人になるためのリベラルアーツ: 思考演習12題』『続・大人になるためのリベラルアーツ: 思考演習12題』(ともに藤垣裕子氏との共著、東京大学出版会刊)、『21世紀のリベラルアーツ』(編著、水声社刊)などがある。

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