「思考の型」をめぐって
近年ビジネス本などでも目にする「リベラルアーツ」の在り方を解きほぐし、「リベラルアーツ」として「外国語」を学ぶ意味を探っていく、東京大学の「教養」を長年見つめてきた筆者ならではの本連載。リベラルアーツという言葉にもやもやしている方も、「英語」だけが外国語で正義なの?ともやもやしている方も必見です!
全20回の連載もあと3回。7月に行われたシンポジウム「リベラルアーツと自然科学」から、改めてリベラルアーツについて考えます。
翻訳の話が3回続きましたので、そろそろリベラルアーツに話を戻しましょう。
去る7月2日、私が現在所属する中部大学では「リベラルアーツと自然科学」をテーマにシンポジウムを開催しました。パネリストは宇宙物理学者の大栗博司さん注1、進化生物学者の長谷川眞理子さん注2、認知心理学者の下條信輔さん注3の3名で、仏教学者の佐々木閑さん注4にもコメンテーターとして加わっていただきました。
詳しい内容はいずれ刊行される予定の書籍を見ていただくとして、ここではそこで大栗さんが提供した話題について触れておきたいと思います。
大栗さんは、数学にも自然科学にも一定の「思考の型」があって、それを身につけることはリベラルアーツの重要な核であるという話をされたのですが、そこで参照されたのは坂本尚志さん注5の『バカロレアの哲学』(日本実業出版社、2022年)という本でした。
フランスのバカロレアの「哲学」試験では、「労働はわれわれをより人間的にするのか?」とか「権力の行使は正義の尊重と両立可能なのか?」といった、すぐには答えることのできない抽象的な問いが出題されます。まだ十代の高校生がいったいどうやってこんな難題に立ち向かうのだろうと思うのですが、彼らはけっして何もないところから回答をひねり出すわけではありません。そうではなく、彼らは問いに応じた基本的な知識をもとにして、「導入、展開、結論」という構成に従って答案を書く訓練を学校で受けているのであり、試験では回答内容の独創性よりも、むしろそうした「思考の型」を身につけているかどうかが問われているというわけです。
「型にはめる」というと何か悪いことのように思われがちですが、ここで言われているのは、決まりきったことしか考えられないようにするということではなく、むしろ逆に、自由な思考を可能にするためにこそ「型」が必要なのだということです。日本ではしばしば「型破り」であることがいいことのように言われますが、「型を破る」ためにはまず、型を身につけていなければなりません。「自由」と「型」はけっして相容れないものではなく、たがいに補い合うものなのです。
こう考えてみると、外国語における「文法」についても同じことが言えることに気がつくのではないでしょうか。文法体系という「型」の制約があるからこそ、私たちは自由に、しかも他人が理解できるように、自分の考えを述べることができるからです。
その意味で、「思考の型」に支えられた数学や自然科学をリベラルアーツの核心とする大栗さんの主張は、外国語にもあてはまるものであると私は思います。
「第十九回 やわらかいアイデンティティ」はこちら
注1 専門は理論物理学。カリフォルニア工科大学教授・東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構長
注2 専門は行動生態学、自然人類学。総合研究大学院大学学長
注3 専門は知覚心理学・認知神経科学。カリフォルニア工科大学教授
注4 専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。花園大学教授
注5 専門はフランス現代思想・哲学教育。京都薬科大学准教授
2021年5月に行われた、中部大学創造的リベラルアーツセンター(CLACE)主催シンポジウム「リベラルアーツと外国語」が一冊の本になりました。
著者司会のもと鳥飼玖美子先生/小倉紀蔵先生/ロバート キャンベル先生を迎え行われた
刺激的なシンポジウムだけでなく、9名の豪華識者による論考も必見です。
『リベラルアーツと外国語』水声社刊
定価2750円 ISBN978-4-8010-0626-3