朝日出版社ウェブマガジン

MENU

リベラルアーツの散歩道 ― 外国語と世界を歩く

何よりもまず音楽を

 近年ビジネス本などでも目にする「リベラルアーツ」の在り方を解きほぐし、「リベラルアーツ」として「外国語」を学ぶ意味を探っていく、東京大学の「教養」を長年見つめてきた筆者ならではの本連載。リベラルアーツという言葉にもやもやしている方も、「英語」だけが外国語で正義なの?ともやもやしている方も必見です!

 全20回の連載も終盤。引き続き翻訳について考えます。

 

 前回は日常的な決まり文句を翻訳することの困難さを見てきましたが、文学作品、特に詩の翻訳ともなると、そのむずかしさはまた別物です。第12回(「詩的である」ということ)でも見た通り、詩においては情報の正確な伝達よりも、意味の多様性や重層性のほうに力点があるからです。

 それだけではありません。もともと詩というのは口に出して音読されることを想定して作られたものですから、言葉のリズムや音調も同じくらい重要です。

 19世紀フランスの詩人、ポール・ヴェルレーヌに「秋の歌」 « Chanson d’automne » という有名な作品があります。その冒頭部分の原文は « Les sanglots longs/des violons/de l'automne/blessent mon cœur/d'une langueur /monotone.» というものですが、試しにこれをある翻訳サイトで日本語に変換してみると、「秋のバイオリンの長いすすり泣きは、単調な苦痛で私の心を傷つけました」という文が得られました。

 これは確かに、かなり忠実に「意味」を伝える訳文になっています。でもフランス語をある程度学んだことがある方は、ぜひ原文を口に出して読んでみてください。すると、この短い数行の詩句の中で「オ」([o] [ɔ])や鼻母音の「オー」の音が執拗なまでに反復されて、全体に物憂げな雰囲気をかもし出していることが感じられるでしょう。

 つまり、ここでは用いられている単語の音韻そのものが、詩句にこめられた憂愁や悲哀などの感情を表す重要な要素になっているわけです。

 ちなみにこの詩は、西欧の詩をいち早く翻訳紹介したことで知られる上田敏(びん)の訳詩集『海潮音』(1905年)に、「落葉」というタイトルで収められています。「秋の日の/ヴィオロンの/ためいきの/身にしみて/ひたぶるに/うら悲し」という書き出しの一節は有名ですから、どこかで耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。

 この訳文も、もちろん「オ」や「オン」の音を忠実に反映しているわけではありません。けれども少し注意して読んでみると、「身にしみて」とか「ひたぶるに」とか、必ずしも原文に直接対応する単語が見当たらない言葉が使われていることがわかります。

 上田敏は、このようにあえて原文にない言い回しを用いることで、詩句の意味を正確に再現して伝達することよりも、言葉の音楽的な響きが漂わせている物悲しい空気を訳詩の日本語に吹き込むことのほうを優先したのではないでしょうか。

 ヴェルレーヌ自身は「詩法」という作品の冒頭で、「何よりもまず音楽を」と歌ったことでも知られます。上田敏はこれに応えて、まさにこの詩から聞こえてくる音楽を翻訳したのだといえるでしょう。

第十八回「「思考の型」をめぐって」はこちら

 

  昨年5月に行われた、中部大学創造的リベラルアーツセンター(CLACE)主催シンポジウム「リベラルアーツと外国語」が一冊の本になりました。
著者司会のもと鳥飼玖美子先生/小倉紀蔵先生/ロバート キャンベル先生を迎え行われた
刺激的なシンポジウムだけでなく、9名の豪華識者による論考も必見です。
『リベラルアーツと外国語』水声社刊 
定価2750円 ISBN978-4-8010-0626-3

 

 

バックナンバー

著者略歴

  1. 石井 洋二郎

    中部大学教授・東京大学名誉教授(2015-19年春まで副学長をつとめる)。専門はフランス文学、フランス思想。
    リベラルアーツに関連した著作に『大人になるためのリベラルアーツ: 思考演習12題』『続・大人になるためのリベラルアーツ: 思考演習12題』(ともに藤垣裕子氏との共著、東京大学出版会刊)、『21世紀のリベラルアーツ』(編著、水声社刊)などがある。

ジャンル

お知らせ

ランキング

閉じる