実用英語と教養英語
近年ビジネス本などでも目にする「リベラルアーツ」の在り方を解きほぐし、「リベラルアーツ」として「外国語」を学ぶ意味を探っていく、東京大学の「教養」を長年見つめてきた筆者ならではの本連載。リベラルアーツという言葉にもやもやしている方も、「英語」だけが外国語で正義なの?ともやもやしている方も必見です! |
外国語といって私たちがまず思い浮かべるのは、やはり英語でしょう。経済面でも文化面でもグローバル化がますます進行しつつある現在、これからの時代を生きていくには英語をマスターすることが必須であるというのは、今や多くの人たちの共通了解になっているような印象があります。
ところで英語教育が話題になるとき、決まってもちだされるのが「実用英語」と「教養英語」の対立です。これまでの日本の英語教育は「読むこと」に偏った教養英語が中心で、中学高校を通じて6年間勉強しても全然しゃべれるようにならない人が多かった、だからこれからはもっと会話を重視した実用英語に力を入れ、外国の人と自由に話ができるようにしなければならない、といった話は、もう何度となく繰り返されてきました。前回扱った「文法は悪だ」という考え方も、その延長線上にある発想でしょう。
でも、考えてみればあくまで英語は英語であって、実用英語と教養英語の二種類があるわけではありません。たとえば日本語について、私たちはいちいち「実用日本語」と「教養日本語」といった区別をするでしょうか?
と、ここまで書いてふと、いや、案外本気で区別している人もいるのかもしれないと思い当たりました。2018年7月に文部科学省が告示した高等学校の国語の新しい学習指導要領では、「論理国語」と「文学国語」という選択科目の区別が設けられているからです。具体的な教材として、前者はたとえば契約書や説明書など、後者はいわゆる文学作品を想定しているようなので、これはまさに「実用」と「教養」を分ける考え方です。
こうした方針に対しては各方面から多くの批判が寄せられていますので、これ以上は触れませんが、私が何よりも危惧するのは、英語であれ日本語であれ、あたかも実用的側面と教養的側面を切り離せるかのように考えてしまうと、言葉というものの多面性や重層性が見失われてしまうのではないかということです。
言うまでもないことですが、契約書や説明書が純粋に論理的な言葉だけで書かれているわけではありませんし、文学作品がもっぱら情緒的な言葉だけで書かれているわけでもありません。そもそも言葉というものは多かれ少なかれ両方の要素をあわせもっているのであって、これらを明確に分けることは不可能なのです。
ですから外国語を学ぶにあたっても、「実用か教養か」などといった区別を意識することなく、バランスのとれた学習方法で取り組んでほしいと思います。それがけっきょく、外国語を自分のものにするいちばんの近道なのではないでしょうか。
第十回 「第二外国語なんていらない?」はこちら
【お知らせ】
昨年5月に中部大学にて行われたシンポジウム「リベラルアーツと外国語」が
一冊の本になりました!
著者司会のもと鳥飼玖美子先生/小倉紀蔵先生/ロバート キャンベル先生を迎え行われた
刺激的なシンポジウムだけでなく、9名の豪華識者による論考も必見です。
『リベラルアーツと外国語』水声社刊
定価2750円 ISBN978-4-8010-0626-3