第二外国語なんていらない?
近年ビジネス本などでも目にする「リベラルアーツ」の在り方を解きほぐし、「リベラルアーツ」として「外国語」を学ぶ意味を探っていく、東京大学の「教養」を長年見つめてきた筆者ならではの本連載。リベラルアーツという言葉にもやもやしている方も、「英語」だけが外国語で正義なの?ともやもやしている方も必見です! 全20回の連載も今回で折り返し。もう一歩「外国語」の存在について考えます。 |
前回は「実用英語」と「教養英語」という区別について考えましたが、これはしばしば「英語だけ学べばいいか、第二外国語も学ぶべきか」という問いに重なってきます。
だいぶ昔の話ですが、この問題をめぐって理系のある先生と言い争ったことを思い出しました。その先生が「フランス語でバルザックなんか読んでも、学生には何の役にも立たないでしょう」と言われたので、私が「いや先生、英語だけがぺらぺらしゃべれてもだめなんじゃないですか」と言い返して少し険悪な雰囲気になったのですが、今にして思えば、まったく幼稚なケチのつけあいをしたものです。
英語だけでいいという人たちは、どんな仕事をするにしても英語力は今や不可欠なのだから、まずは実践的英語力の養成に力を注ぐべきである、そもそも英語さえじゅうぶんにできないのにそれ以外の外国語を勉強する余裕などないし、その必要もないと主張します(いわゆる「第二外国語不要論」です)。
これに対して第二外国語も学ぶべきであるという人たちは、言語は単なるコミュニケーション・ツールではなく、その国や地域の社会や文化と切り離せないものなのだから、英語以外の外国語も学んで世界の多様性に目を開くことが重要なのだと主張します。
私自身は長年フランス語教育に携わってきましたから、どうしても後者の立場に味方したくなるのですが、いずれにしてもこの論争は古くからあるもので、平行線をたどったまま今後もなかなか交わりそうにありません。
しかしここで気になるのは、どちらの主張をする人の頭の中にも、英語といえばもっぱら「役に立つ」実用言語であり、それ以外の外国語は「役に立たない」教養言語であるかのような思い込みがあるのではないかということです。つまり「実用か教養か」という二項対立の発想が、そのままここでも繰り返されているような気がするのです。
でも、そんな区別など無意味であるということは、前回も述べた通りです。大事なのは英語だけ学ぶか第二外国語も学ぶかということではなく、何語であってもいいから、その学習過程を通して自分の頭を柔らかくすることであり、これまで知らなかった考え方に触れて自分の世界を広げることにほかなりません。
「第十一回 複言語主義をめぐって」はこちら
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