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何を読んでも何かを思い出す

鋏とサンルーム

 朝、食卓に置き忘れた鋏の切先がこちらを向いている。それだけのことに立ちつくす。霞がかる青い空も、間断なく吹く埃風も、狂ったように咲きそろう躑躅(つつじ)にも見覚えがあるのに、これまでと何かがきっぱりと違っている。言葉を置き去りに、身体だけがどんどん透きとおるようで、こういうとき、本当は少しだけ留まるべきなのだ。昨晩、紅茶の封を開けたZWILLINGのキッチン鋏の刃の前で、おそらくは。

 

 エスカレーターの先を降りる人の、携帯電話の画面がふと消える。消えたので、右手のそれが携帯電話の画面なのだとわかる。彼女が直前まで何を見ていたのかを想像する。家族からのメールかもしれないし、帰りの電車の時刻を調べていたのかもしれない。

 改札をぬけ、ロータリーに向かう足が早まるのは、バスの沿線にある私立学校の生徒たちが長蛇の列を作るためだが、彼らは春休みから戻らない。今ならいちばん後ろの席に、いつでも座ることができる。

バスの窓はつねに開けられ、ひらいた窓のかたちの風が、車内のそこらで混じり合う。車窓から見えるガソリンスタンドは廃業し、ひとつの看板もなく、ただの白い建造物になっていた。平らな屋根の下を燕が横切ったので、巣があるのかもしれない。

 

 職場の近隣はどこもテイクアウトのみだ。社内の休憩所も狭いので、昼食は外でとることにしている。いつもの食堂なら入ることができる。あとから入ってきた老婦人は離れた席に座り、白ワイン、あと適当におつまみをお願い、と注文した。

 交差点の角のところに老人ホームがあるでしょう、じつはわたし、あそこに住んでるの。こんなの怒られちゃう、不良老人よね。毎晩日本酒をロックで飲むのよ、そう、強いの。今日はね、なんだかもう息苦しくなって、抜けだしてきちゃったのよ。

 何度か食堂を訪れているらしい婦人は、店の女性と談笑しながら、あらたに注文したご飯少なめのカレーをたいらげると、定食のおかずだけを包んでもらい、店を出ていった。

 

 祖母もそうだった。93歳まで小さな本屋を営み、3年前に亡くなった祖母は、閉店後に手書きの返品伝票を切りながら、毎晩缶ビールを飲むのが一日の、唯一の楽しみだと言った。

見たところ、それはビールではなく発泡酒だったけれど、お勝手から和室へとあがる階段の下にはいつも一箱、キリンのパッケージが隠れていた。たまに土産として2、3本持たせてくれることもあった。

かと言って、祖母が酒を飲む姿を見た覚えもあまりないので、それは本当に、ひとりの楽しみだったのだと思う。伝票はカーボン紙をはさみ複写するタイプのもので、あんたの働いてるところみたいな、大きな本屋はこんなのもう使わないでしょう、とよく言われた。

本屋は楽じゃない、ともよくこぼしたけれど、祖母が本や本屋という仕事について、至言とか思想とか、教訓めいたことを語るのを一度も聞いたことがない。本屋は祖母にとっての生業であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 

 4月、感染症の拡大はやまず、政府は緊急事態宣言を発令した。人々は外出の自粛を促され、多くの書店が短縮営業、もしくは休業している。勤務先の書店も休業中だ。

 休業しているが物流は動いており、人の目や手に触れない雑誌や書籍が、日々届けられている。週に数日出社して、閉ざした店内でそれらの商品をひらき、並べる。人のいない店内での作業はめずらしくないが、誰にも見られることのない棚を作るという経験は、これまでに一度もなかった。

店内には営業中と同じく、ジャズの有線放送が流れている。どうせ休業しているのだから、好きにチャンネルを変えてもいいのだと思ったが、結局いつもどおりでいいか、となった。50分になると、知らない女性の声で「お得なポイントカード」の案内が、自動でアナウンスされる。

 

 カーボン紙をはさんで複写する返品伝票なら、はじめて働いた書店でしばらく使用していた。地元では名高い、郊外にある親族経営の書店で、学生アルバイトから社員になり、のべ7年ほど勤めたが、無理な出店がたたって破産した。

 経営が危ないことが明るみになってから、経営者の娘ふたりと経理の知識のある女性社員とで、請求書を細かく確認し、毎月締め日近くには夜中まで大量に返品を作る日々がはじまった。台車のハンドルのここまで、単行本なら9つの山、文庫なら16の山を作って正味いくら、と伝票の合計金額を見なくても、そのころはだいたい把握できた。

同年代というだけで性格も嗜好もまったく異なるのに、この4人は不思議と息が合った。この本屋が閉まるということは、一緒に働く経営者の娘たちが路頭に迷うかもしれないことを意味するわけで、なんとか店を残す術を見つけたいと思っていた。

 返品伝票の合計金額を見て、まだ足りないあと何万、あと何冊、と棚から本を抜いていくのは、当たり前だが容易なことではなかった。売場のラジカセを使い、4人がそれぞれに持ち寄ったCDをかけながら、作業することもあった。

 マリリン・マンソンのあとに、カーティス・メイフィールドやジャミロクワイが流れた。スガシカオのあとには往年の中山美穂も、Fishmansも流れた。

 返品を作り終えると、深夜のジョナサンで卓をかこんで、ミニサンデーを食べた。ジョナサンの窓からは、さっきまで作業をしていた店舗が見えたが、暗いので返品でがら空きになった棚までは見えない。駅のシャッターがゆっくりと閉まる音が聞こえた。

 

 思いがけず時間ができ、購入したものの読んでいない本をひらくなどというふるまいも、少しだけできた。

『武田百合子対談集』に収録された深沢七郎との対談で、武田泰淳が亡くなる際に入った病室が〈サンルームみたい〉だったという話があり、サンルームのことを思い出した。

 

 小学生のとき、遊びにいったこずゑちゃんの部屋がサンルームだった。一軒家にサンルームを建て増して、そこを自分の部屋にしてもらったのだと、こずゑちゃんは言った。こずゑちゃんのサンルームで占いの本を読んだことを覚えている。あふれんばかりの陽だまりの中で、ふたりともあまりしゃべらず、黙々とこずゑちゃんの蔵書をめくった。

 こずゑ、という名前はこずゑちゃんが春生まれだからだろうか、風に揺れる緑の梢を見てつけたのだろうか、誕生日占いのページをめくりながら、そんなことを考えた。

 

〈それでそういう部屋に移れたんだけど、南側が天井から続いた壁がなくて、全部硝子なんですよ。サンルームみたいな部屋なのね。明るくって、カーテンがずーっと付いてましてね。そのカーテンを、向い側の病棟のほうから中が見えちゃうし、武田はそういうときに開けておくのは嫌いな人だから、あたしは閉めていたんです。そうしたら、夜中でも昼間でもカーテンは開けておいてくれと言うの。薄いカーテンで、閉めても外の光はちゃんと入るのに、開けておいてくれって。〉

(『武田百合子対談集』(中央公論新社)所収「武田泰淳の存在 深沢七郎×武田百合子」より)

 

  

 

 

 

 

『何を読んでも何かを思い出す』  大塚真祐子

言葉で何かを思い出すとき、目の前の日常は意識の裏に隠れるけれど、消えたわけではない。ただ、自分の身体がどの地点にあるのかわからなくなって、ふたたび言葉を手がかりにする。日々はそうしてめぐる。読むこと、書くこと、女性として生きるということなど、言葉をとおして見えた景色を綴ります。

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著者略歴

  1. 大塚真祐子

    東京郊外の書店での勤務を経て、2006年より三省堂書店で勤務。人文書、文芸書などを担当。現在『本の雑誌』にて、「新刊めったくたガイド」の、日本文学の紹介ページを連載中。

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