ワルシャワと夜中の台所
生家には本棚がなく、読んだ本は学習机の下にある、作りつけの棚に並べられた。すると眠るとき、枕元から椅子の向こうの背表紙を、ちょうどながめることができた。
ナツメ球の暗さに目が慣れると、背表紙もゆっくりと見えてくる。赤いゴシック体で『キュリー夫人』と印字された小学生向けの伝記には、下に夫人の小さな顔写真があった。その白黒の顔写真が、子どもの自分にはなにより怖かった。幼いゆえ、本を捨てるとか売るとかいう発想はまったく浮かばず、ひたすら毎晩キュリー夫人の落ちくぼんだ瞳と見つめあう恐怖と、しずかに闘っていた。
一度だけ、背表紙を裏にするという妙案を思いつき実行したが、昼間のうちに母の手によって、背表紙はきちんと揃えられていた。引き出しや戸棚など見えないところにしまうことも考えたが、目の前になくとも、そこにあの背表紙が「ある」ことをだれよりも自分が知っており、その重みに自分は耐えられそうもないと感じた。
ワルシャワの冬の暗さ、パリでの屋根裏暮らし、ラジウムの青い光、どれも伝記をくりかえし読み、キュリー夫人の目や皮膚になって体験したが、彼女の功績と小さな顔写真の恐怖は、自分のなかできっぱりと切り離されている。フェミニストの先駆者とされていることはのちに知ったが、自立し、独立した女性のイメージは、たしかにキュリー夫人によって、幼い自分に自然と植えつけられたかもしれない。
ナツメ球の微かな明るさは、闇を黒に、光を白に変えて、想像をどこまでも加速させる。キュリー夫人の視線から目をそらしながら、一方でナツメ球に硝子玉を透かすのが好きだった。
硝子玉は光をその内にとじこめて、中の気泡を星のようにいくつも浮かびあがらせた。硝子玉の内側には入れないけれど、想像でならいくらでも入ることができる。硝子玉の気泡の間を、惑星を旅する宇宙飛行士のように泳ぐ。
そのうち、家族が寝静まったあとの部屋で、布団に隠れて本を読むことをおぼえた。暗闇でたどる活字は、昼間の活字よりも尖っていて、その意味を少しだけ強くしているように見えた。身体を横向きにして、二段ベッドの柵へ本を斜めに立てかけると、ナツメ球の頼りない光が、ひらいたページにまんべんなく届く。てきめんに視力が落ちそうな行為だけれど、いまもときどきなら、視力検査で0.8くらいの結果は出すことができる。
夜のキュリー夫人はおそろしく、硝子玉の夜は待ち遠しかった。キュリー夫人の伝記は、高学年になり不要と判断され、他の本とともに廃品回収に出された。本に囲まれた職場で働き、本の山にあふれた部屋で暮らすようになってからも、灯りを消して、暗さに慣れた背表紙がぼんやり浮かびあがってくるのを待ちながら、キュリー夫人の伝記を思い出すことがある。
そういえばいま、目の前に見える谷川俊太郎『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』という詩集は、この白い背表紙が夜の闇に浮かびあがるのをただ見ていたいがために、長らく持っているのだと思う。
『何を読んでも何かを思い出す』 大塚真祐子
言葉で何かを思い出すとき、目の前の日常は意識の裏に隠れるけれど、消えたわけではない。ただ、自分の身体がどの地点にあるのかわからなくなって、ふたたび言葉を手がかりにする。日々はそうしてめぐる。読むこと、書くこと、女性として生きるということなど、言葉をとおして見えた景色を綴ります。