ちゃおと池波正太郎
はじめに働いた本屋が閉店してから、今年でちょうど20年が経つ。
20年経ったよ、と一緒に働いていた同僚たちとのトークルームに書きこみをすると、ふだんはやりとりなどほとんどしないのに、もうそんなに経ったんだ、と当時の記憶でタイムラインがひとときにぎやかになった。
大学生といえばバイトするものと思っていたので、近所のコンビニエンスストアで働くことにしたが、経営者のパワハラに辟易し、やはり興味のある職種を体験してみようと、駅前の本屋にとびこみで電話をした。はじめてレジに入った日に店長から、これ那須旅行のお土産、と言われて温泉まんじゅうを手渡されたとき、ここならやっていけそうだと思った。
いま勤務している店舗に比べれば、何十分の一の広さの書店だったけれど、初心者にとって背表紙の羅列は果てのない森のようで、その隙間に自分がどんどん吸いこまれていくような気がした。検索機などなく、ネットも普及していないころのことなので、本の問い合わせには記憶ともっているだけの知識で答えるしかなかった。
はじめて受けた問い合わせは、池波正太郎の文庫だった。白髪の小柄な男性で、レジに向かってくる所作などの一連を、いまも覚えている。
とまどうことなく黄色い背表紙を案内できたとき、数式を正しく解けたときのような達成感と、自分がその数式の一部になれたような一体感があった。なにとの一体感、本との一体感だろうか。問い合わせに適切に対応できる・できたという体験は、書店員として長らく勤務するいまでも、自分のなかに特別な明るさをもたらす。
大学卒業後にその書店の社員になってから、倒産による閉店までは5年ほどだった。
親族経営の会社だったので、負債が明るみになってからはさまざまな出来事が起きた。ボイコット同然に退職する者もいたが、同僚も親族のひとりだったので、なんとか一店だけでも残せないだろうかと、結局閉店まで残った女性社員4人で、毎月請求書をつきあわせながら、夜中まで帳尻合わせのための返品作業をおこなった。
数円単位まで次月の請求額見込を算出し、払える金額まで何冊でも本の返品をする。そのころは返品伝票に印字される数字だけを追い、なるべく本を見ないように、記された言葉の意味を追わないようにしていた。
それでもいよいよ破産手続きをするしかないという事態になり、そのあとの手続きをスムーズにすすめるため、閉店の当日まで自分たち以外の従業員へもいっさい明かせないまま、前日の勤務についたとき、小学校低学年くらいの女の子から、「今月の『ちゃお』はありますか」と問い合わせを受けた。日が落ちきる前の夕方だったと思う。
店舗を閉めたのは3日だったので、前日のその日は2日ということになる。『ちゃお』、『りぼん』、『なかよし』の三大少女漫画誌の発売日はいずれも毎月3日なので、明日になれば最新号が出る。けれども彼女はいま出ているその号がほしいのだと言う。
在庫があったので案内すると、取っておいてもらうことはできますか、と尋ねられた。
取っておくことはできる。けれどできない。
明日閉店することがわかっていても、そのことを公言できないこの店で、手渡すことの不可能な『ちゃお』の取り置きを受けるのか、受けないのか。
いっそ彼女には「やめたほうがいい」と話してしまおうかとすら思ったが、彼女は悩んだ末になにかを思いなおして、そのまま帰っていった。
あの日の店内の、白々とした蛍光灯の明るさもよく覚えている。
トークルームで親族のひとりである元同僚が、〈もうわたしたち以外、誰も覚えているひとがいなくていいなあ〉とつぶやいたので、ああそうかと思った。
閉店した本屋のあとには、居抜きで別の書店が入り、あの場所に別の本屋があったことなど、覚えている人ももう少ないだろう。閉店を決めるまでの数々の揉め事も、慣れない交渉も、たくさんついた嘘も、毎月のように深夜までおこなわれた返品作業も、〈わたしたち〉以外誰も知らないし、覚えていない。
親族ではない自分は閉店後の残務整理を手伝ったのち、早急に働き口を探さなくてはならず、毎日のように深夜まで顔を合わせていた同僚たちと、あんなふうに簡単に会うことはなくなったが、親族である彼女にとっては、「家」と「仕事」が分かちがたく結びついていたので、そのあともしばらく大変な時期がつづいた。
チェーンの書店で働くことになった自分は、規模こそ違えど、仕事内容は個人経営の書店とそう変わらないことを知り、ひそかに驚いていた。もっと楽にいろんなことができるのではと思っていたが、基本的にはどんな本屋も、ひたすら人の力で動いているのだった。
書店員として店頭に立つとき、黄色い背表紙の並ぶ低い本棚や、『ちゃお』の女の子が去ったあとの白いリノリウムの床と、地続きの場所にいまもいることを、ときどき強く感じる。
あのとき渡せなかった『ちゃお』を手渡すために書店員をつづけている、なんてことは微塵も思っていないけれど、書店の閉店をノスタルジーでくくられるのも、「それでも本が好き」という書店員や読者の善意になにかと還元しようとするやり方にも、そうした語り口にも、もううんざりだ、とはずっと思っている。そこに本があり店があるなら、わたしはそれをひらきたい。できればもう二度と閉めたくない。それだけのことだ。それだけのことのために、自分がどうあるべきかをいまも考えている。
『何を読んでも何かを思い出す』 大塚真祐子
言葉で何かを思い出すとき、目の前の日常は意識の裏に隠れるけれど、消えたわけではない。ただ、自分の身体がどの地点にあるのかわからなくなって、ふたたび言葉を手がかりにする。日々はそうしてめぐる。読むこと、書くこと、女性として生きるということなど、言葉をとおして見えた景色を綴ります。