ワルツと引っ越し
真昼の常緑樹は強い風にあおられ、いっせいにまばたく。冬の太陽は鋭角の光を放ち、あらゆる葉脈をなぞる。風が吹くたびに繰りかえされるこの光の運動をどう名づけたらいいか、ロータリーの中央に植えられた、名前のわからない木木を見ながら考えていた。
たとえば人を待つ時間や目的地までの移動、ある動作と動作のあいだの空白に、ふと何かを考えている。実務的なこともとるにたりない空想も、そのときどきによって内容や深さは違うけれど、考えるために考える、その思考の純度が高いように思う。考えていた事柄は忘れても、純度の感触はのこる。
バス停にはそれなりに人がいたので、おそらくバスはもう少しで来るだろうと、時刻表は確認せず並んだ。列の前後が揺れはじめたので、そういえば遅いと思った。そのとき自分が木を見ていたと、はじめて気がついた。あの葉の光、その光と光の隙間にあるここからは見えない空間、ひるがえると風がとおり抜け、とどまると影になるかもしれないあのあいだのことを詩と呼ぶのではないかと、やがてやって来たバスのなかで、感染症の影響で着席できないようになっている、運転席のうしろの一番前の座席を見ながら考えていた。
〈ともかく、〈思いつき〉は、たわいのない、気まぐれな着想やら考え方に過ぎないことが多いにしても、しかし、どんなに考え抜かれた論理も、出発は、ふとした〈思いつき〉、あの一瞬の啓示からはじまるのではないだろうか。〉(北川透『詩的レトリック入門』所収「〈思いつき〉からはじめて」より)
二十代の終わりに勤めていた書店が倒産したあと、再就職先を探さなくてはならなかったが、書店員としてふたたび正規雇用されることは難しいと覚悟していた。まずはフリーターとしてどこかの書店で働き、働きながら他の道を探ってもよいと思い、オープニングスタッフを募集していた新規開店の書店ですぐにアルバイトを決めた。
研修のために集められた一室で指定された席についたとき、わたしの目の前には北川透『詩的レトリック入門』(思潮社)があり、その水色の表紙をまじまじと眺めた。書籍の仕様の説明や、書皮をかける練習をするためのサンプルとして置かれたものだとわかってはいたが、サンプルにしては鮮烈にすぎた。頁をひらいてみたいという欲望と、倒産した郊外の書店ではこのような専門書をなかなか仕入れることができなかったので、都心の店はこんな本も手軽に取り扱えるのかという複雑な思いに入り乱れた。
新規開店の書店でアルバイトとして勤めながら、同僚との交流ははっきりと避けた。心づもりはしていたものの、倒産にともなう一連の余波からぬけだすのには時間が必要だったし、新しい人間関係を築くつもりもなかった。ありていにいえばやさぐれていた。
取引先である取次会社のMさんと親しくなったのは、ふだんの仕事で手にする新刊書籍だけでなく、戦後文学や古本の話などが幅広くできると何かのきっかけで知ったからだと思うけれど、ひねくれているように見えたわたしをMさんが気にかけてくれていたらしいということはあとで知った。
待ち合わせの湯島に、Mさんはよく新古書店の黄色いビニール袋を抱えてほくほくと現れた。見せてもらった袋の中には、小川国夫や芝木好子、李恢成や戸板康二などが入っていた。その場でいただいたル・クレジオ『海を見たことがなかった少年』や、川本三郎『今日はお墓参り』はいまも手元にある。そうしてたびたび行きつけの居酒屋へ連れて行ってもらい、文学や仕事の話をした。
そのMさんが定年退職を機に、ご家族の故郷である沖縄へ移住することとなり、送別会に混ぜてもらったことがあった。連絡をとってみたら出発の前日で、おまえ遅いよと言われながら知らない人ばかりの集まりに呼んでくださった。やはり湯島の居酒屋でひらかれた会合のために、あわてて用意した餞別が『陽気な引っ越し 菅原克己のちいさな詩集』(西田書店)と、『山之口獏詩文集』(講談社文芸文庫)の二冊だった。Mさんは二冊とも持っているかもしれないと思ったが、どちらもMさんに縁のあるものだったので選んだ。
銀紙に包まれた清酒がうやうやしく出され、Mさんがひとりひとりに注いでいった。どなたかが歌謡曲の本を持っていて、その中から一曲をMさんが歌うことになった。Mさんはわざとらしくぴんと背すじを伸ばして笑いをとると、目を閉じて歌いはじめた。
君に逢ううれしさの
胸に深く
水色のハンカチを
ひそめる習慣(ならわし)が
いつの間にか
身に沁みたのよ
涙のあとを
そっと隠したいのよ
『水色のワルツ』
作詞 藤浦洸
作曲 高木東六
忘れないうちにと餞別をさしだすと、やはりMさんは二冊とも持っていたが、その場にいた全員で『陽気な引っ越し』の見返しに寄せ書きをすることになった。
本が廻ってくるのを待つあいだに、隣の方と菅原克己の話や、巻末に収録された小沢信男の文章について話していると、あなたの話はMさんからよく聞いていました、と言われた。知らなかったと答えると、まあ、ああいう人だからね、とその人は笑った。
一周廻って戻ってきた『陽気な引っ越し』の、数々の筆跡をながめてからMさんは、あんがとございまーす、と言い鞄に本を丁寧にしまった。もうこれも着ないんだよお、と取次会社のロゴの入った、くたびれた作業着を取り出してMさんも笑っていた。
〈やさしくて、ふしぎな詩たち。これを書いた菅原克己は、やはりやさしくて、すこしふしぎな人でした。丸い眼鏡をかけて、当惑そうな笑みをうかべ、胸が平らで突風が吹いたら羽がはえて飛んでゆきそうな。酒が好きで、酔うと箸でタクトを振って、みんなで古い流行歌を唄って大笑い。どこかさびしそうでとても陽気なおじさんでした。〉(『陽気な引っ越し 菅原克己のちいさな詩集』所収「陽気なビックリ箱」小沢信男 より)
二十歳を過ぎてすぐ家を出たのは、恋人と暮らすためだった。コンビニエンスストアで早朝のアルバイトをし、大学の授業のあとは本屋で働き、本屋の仕事のない日は家庭教師のアルバイトをしていた。
駅から伸びる大通りを少しそれた、路地の行きどまりにアパートがあった。洋室の出窓を開けると、すぐ目の前が線路だった。電車が通過するたび轟音がして部屋が揺れた。夏は暑すぎ、冬は寒すぎるロフトはほどなくして本棚の代わりとなり、品ぞろえのいい近くの古本屋で買った恋人の思想書も、わたしの古い漫画もごちゃまぜに積み重ねられた。部屋に備え付けの小さな冷蔵庫にはおそろしいほどの霜がつくので、ときおり食品をたいらげて冷蔵庫の中身を空っぽにすると、電源を切り一日がかりで霜を溶かした。
その部屋のユニットバスに、小指の先ほどの蝸牛が這っていたことがあった。シャワーを浴びながら、クリーム色の壁をゆっくりと這う小さな蝸牛をみとめた。二階にある部屋のいったいどこから蝸牛が入り込んだのか、見当もつかなかった。その蝸牛をどうしたのか、たぶん部屋にいた恋人に逃がしてもらったのではないかと思うけれどおぼえていない。浴室の蝸牛を見て、これはまるきり吉原幸子の『無題』ではないかと思ったのか、あとから『無題』という詩に触れて、これはあのときの蝸牛ではないかと思ったのかも思い出せない。ただ、いまでもときどき深夜の浴室で、『無題』の一連とその余白、余白ほどの蝸牛の小ささを思い出す。
よふけの ひとりの 浴室の
せっけんの泡 かにみたいに吐きだす にがいあそび
ぬるいお湯
なめくぢ 匍ってゐる
浴室の ぬれたタイルを
ああ こんなよる 匍ってゐるのね なめくぢ
おまへに塩をかけてやる
するとおまへは ゐなくなるくせに そこにゐる
おそろしさとは
ゐることかしら
ゐないことかしら
(現代詩文庫56『吉原幸子詩集』(思潮社)所収「無題」より一部
『何を読んでも何かを思い出す』 大塚真祐子
言葉で何かを思い出すとき、目の前の日常は意識の裏に隠れるけれど、消えたわけではない。ただ、自分の身体がどの地点にあるのかわからなくなって、ふたたび言葉を手がかりにする。日々はそうしてめぐる。読むこと、書くこと、女性として生きるということなど、言葉をとおして見えた景色を綴ります。