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何を読んでも何かを思い出す

入院とバッタの脚

 21時に消灯すると、隣のキヨミヤさんは自分のベッドの上の蛍光灯をぱちりと点けた。22時になれば蛍光灯も消さなければいけない。キヨミヤさんの点けたカーテン越しの薄い明るみで、わたしは毎夜本を読んだ。

 入院したばかりのカトウさんは、自宅から持参したという薬を何度も数えていた。見回りの看護師にマイペースで同じ説明をくりかえすので、前に同じベッドにいたモンジさんもおしゃべりだったけれど、カトウさんは周囲を苛つかせるタイプの、困ったおしゃべりだということに気がついた。カトウさんはその後も未明に看護師を呼びつけたのち、暗い病室でひとり容赦なく蛍光灯を点け、薬を整理していた。

 病室は8人部屋で、わたしが入院していた一週間のあいだに4人入れ替わった。病室でも廊下でも、すれ違うのは自分よりずっと老年の患者ばかりだった。ナースステーションに近い一室は、おそらくほぼ動かない患者でうまっていた。同室で、左隣のベッドのキヨミヤさんと右隣のモリさんは、口調や話の内容から比較的若いと思われたが、それでも歳上だったはずだ。院内では人の顔を、なるべく見ないようにしていた。顔を見てしまうと、この空間が記憶に残ってしまう。入院患者というのはどこか境界線上で輪郭があやういところがあるので、人の姿でこの場所の印象を、残さない方がいいと思った。

 まさか入院することになるとは思わなかった。深夜、腹痛の予感で目覚めてから激痛まであっという間だった。腹痛には慣れている自覚があったが、歴代の痛みでも上位にくることは間違いない、出産の痛みを上回ることも明らかだった。

 白みはじめた部屋で、自分のなかから赤いものが流れだしていることに気がついた。さらさら、さらさらとなんの抵抗もなく流れつづけるのを見ながら、学生のころカラオケで安い赤ワインを飲みつづけ、路上で介抱してくれた友人に、ワインしか出てこなくてきれいだったと言われたことを思い出した。

 翌朝訪れた近所の病院で、腸炎と診断された。さらに症状がひどくなる可能性があるので、入院の必要があると検査後の処置室で言われたとき、隣のベッドに横たわる患者の家族が、静かに諭されていた。

…どうしても栄養をとらせたいと仰るなら、胃ろうという選択肢もありますが、正直に申しあげて、ここからさらに眠ったような時間が増えて、体の機能は閉じていく状態にあると思います。こちらに来ていただいても同じことのくりかえしになるかと…

 入院の支度ができたらすぐに戻ってきてねと言われ、ぴこん、ぴこんと規則正しく響く電子音を聞きながら、少し途方に暮れた。

 はじめに左隣のベッドにいたミウラさんは、ピンクのカーテン越しに手を何度も伸ばしてきた。手つきがあまりに激しいので悪意があるのかと思ったが、外を見たいのか外に出たいのか、とにかく無意識に近い状態でカーテンに触れているのだとわかった。ミウラさんが自力で起きあがる様子はなかった。カーテンから触れられる距離に自分の収納台があったので、ない体力をふりしぼって手前に寄せた。噛み癖があるようで、痰を吸いに来る看護師がときどき悲鳴をあげた。

 施設から来て、施設に帰っていくようだった。退院の日、家族が用意した洋服が厚手のものだったらしく、ちょっと暑い…ミウラさんだいじょうぶ?という看護師の会話が聞こえた。ミウラさんの返事はなかった。

 

 窓際のベッドはおしゃべりなモンジさん→カトウさんと、気難しい感じのナガヒサさんだったので、入院中いちども窓の外を見ることはなかった。それでも夕暮れが近くなると、隣の病室からおかーさーん、と老年の男性の声が響くので、そろそろ夕食だなと思った。おかーさーんのナカヤマさんは、頻繁にだれかを罵倒しており、何を言っているのかは聞き取れなかったが、声は隣までよく届いた。

 斜め向かいの病室のマエザワさんは、ひとりで歩きたいという衝動を我慢できず、いつも部屋のそばで転んで助けを呼んでいた。だれかっ、と叫ぶ男性の声をはじめて聞いたとき、錯乱によるものなのか、本当に助けを求めているのかわからなくて、とりあえずナースコールで状況を伝えた。助けに行こうかと思ったが、自分も患者だと思いなおしやめた。そのころまだ入院していたモンジさんは、いち早く様子を見に行っていた。いちどは頭を打ったようで、看護師に叱られながら検査室に運ばれていった。

 花も見舞いもなかった。どちらも感染症予防のため禁じられていた。看護師と話す以外、病室にはなんの会話もなかった。

 横になるとカーテンレールを天井から支える、細いV字の鉄柱がよく見えた。消灯のあとは廊下の明るさで影が天井に伸びて、跳躍前のバッタの脚のようになった。

時間がわたしを見ていた。入院したばかりのころは、そろそろ子どもを起こす時刻だとか、新刊のダンボール箱が届くころだとか、外の出来事で一日をはかっていたけれど、それをしなくなると、時間は時間であるというだけで表情があった。時間の顔を見るのが、わたしは楽しみになった。

時間は数値でも長さでも約束事でもなく、ただ時間のためだけに流れており、少し離れた場所で本当はいつもわたしを見ているのだった。そのことに気がつけば、わたしはいつでも時間を見つめかえすことができた。身体ひとつ分の空間に、見つめあうわたしと時間だけが息をしていた。

同じ病室にヨウちゃんと呼ばれている婦人がいた。起床の6時になると看護師が回ってきて、あら、ヨウちゃん笑ってる、かわいい、などと言った。ヨウちゃんは食事に介助が必要で、看護師に話しかけられていることが多かったけれど、ヨウちゃんの返事はまったく聞こえなかったし、動く様子もなかった。ヨウちゃん笑ってる、の日もあれば、ヨウちゃんどうしたの泣いてるの、の日もあって、静かなヨウちゃんが今日はどんな表情をしているのだろう、と離れたベッドでぼんやり想像した。いちど洗面台から戻ったときに、ベッドまわりのカーテンが開け放たれていて、上半身を起こしたヨウちゃんの顔を見てしまいそうになったことがあった。白髪をうしろにまとめた細い輪郭を目にとめて、そっと視線を下げた。

 短くて5日、長くて2週間と言われた入院は、なんとか短い方ですんだ。退院後、経過観察のための外来診療で、待ち時間に寺田寅彦『科学歳時記』(角川ソフィア文庫)を読んでいると、病院についての随筆があった。

〈しかし朝の五時ごろにいつでも遠い廊下のかなたで聞こえる不思議な音は果して人の足音や扉の音であるか、それとも蒸気が遠いボイラーからだんだんに寄せてくる時の雑音であるか、とうとう確かめる事ができないで退院してしまった。〉(「病院の夜明けの物音」〉

 入院病棟に静寂はなかった。あちこちで誰かが声をあげ、看護師の足音は四方八方から聞こえるようだった。病室は生活というより、生きている身体そのものの音であふれていた。腹の音、腸の音、関節の音、咀嚼、皮膚を掻く、出ない痰、寝返り。

受付の前で職員に止められている患者がいた。入口に車を停車するのも困るし、診察も押しているので対応できない、と制服を着た女性の職員はあからさまに苛ついた様子だったが、どうしても先生に御礼を言いたい、と無理やり診察室の扉を開けようとしているのはあのカトウさんだとふいに気づいた。カトウさんは何だかわからないたくさんの紙袋を提げたまま診察室の扉を開け放ち、大声で礼を述べると、職員に頭を下げながら足早に去って行った。

 


 

 

 

 

 

 

 

『何を読んでも何かを思い出す』  大塚真祐子

言葉で何かを思い出すとき、目の前の日常は意識の裏に隠れるけれど、消えたわけではない。ただ、自分の身体がどの地点にあるのかわからなくなって、ふたたび言葉を手がかりにする。日々はそうしてめぐる。読むこと、書くこと、女性として生きるということなど、言葉をとおして見えた景色を綴ります。

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著者略歴

  1. 大塚真祐子

    文筆家・元書店員。毎日新聞文芸時評欄、出版社「港の人」HPにて「まばたきする余白ー卓上の詩とわたし」連載中。
    執筆のご依頼はこちら→ komayukobooks@gmail.com

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