「井吹の詩 前篇」(21年11月)
朝晩すっかり冷え込むようになってきたこの頃、皆さまいかがお過ごしですか。
「詩のてらす」には今月7篇の詩が届きました。「井吹の詩」前後編でお送りします。
「井吹の詩」前篇 ・姉さんの日々(リリーユカリー) ・エアポケット(麻未きよ) ・成長と分配(田中はじめ) ・想いをそろえて(後藤新平) ・アウトサイダー(関根全宏) |
リリーユカリー
「死んだら人はどうなるの?」 時々姉さんにきいてみたくなる
姉さんの部屋 いつも寝てたベッド 壁にかかった旅行写真
「私はかわいそうな人なんかじゃない」 まだ少し元気だった頃台所で言った 包丁と声が悔しさで一瞬うわずって 何も知らない子供たちは テレビの前ではしゃいでた
痩せてゆく身体と比例して 感性は研ぎ澄まされていくよう 細い糸のような命は キラキラ光ってみえた
あの日台所で どんな言葉を返したんだろう でも誰よりわかってた 病気と真っ向勝負で闘う姉さんが 世界一カッコよかったから
もうすぐ姉さんが逝った冬がくる
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エアポケット 麻未きよ
昼光は刻々移ろい 日暮れを迎えた
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成長と分配 田中はじめ
首が寒い ではない 首筋が寒い いや 首筋も 懐も 寒いのだ
そう 無い 無いんだ いくらおまえが箪笥に向かって泣いたって 無い袖は 振れない 質草は もう 戻らない
年老いてゆく妻こそ 叫んでくれ 怒ってくれ
あいつら 今は ただの悪ふざけしてるだけで 無い無い、のない いない いないばあ って 最後に顔を出すなら いいのだが |
想いをそろえて 後藤新平
何が幸せか、1通の「不幸の手紙」が僕の人生を決定づけた。 身体で言葉の魔力に導かれ、なるように祈り続けながら。
想いをそろえるように生きて来た。 負けるもんかと東京を睨みつけて来た。 言葉にできない、言葉が存在した。 映画が、音楽が、文学が、僕自身だった。
彼女が僕の背中を押して、僕は彼女に背中を押されて、立っている。 未来には必ず彼女が居て、僕は安心して、いつもどおり仕事をする。
父と母が愛し合って僕らが生まれた。 僕と彼女も愛し合って、そして新しい命を守るために。 |
アウトサイダー 関根全宏
煌々とした街のなかで 僕がいるところだけが 膜で覆われている いつどこにいたって そうなんだ 僕は常に内側にいる
外側ではいつも 僕の知らない人たちが喋っている 車が行き交う 遠くで電車が走る 木の葉が擦れる 死んだあの人の声がする でも 僕の周りの空気は震えない 道路工事の光が眩しい
僕らはみんな 目的をもって動いている 僕は今日も 明かりが消えた家に戻る |
|世話人からの講評
千石英世より
「姉さんの日々」
すっきりとしていて、しみじみとしていて、言いたいことがすっと言えている作、そんな感じで読み終えました。姉さんの日々の、その周辺にあったもの、姉さんがさわっていたもの、たとえば「台所」といった具体的なもの、そうしたものやことをもっとたくさん数え上げていけばもう少し長い詩ができる、それも読みたいなと思いました。下から3行目2行目の言い方を自分流の言い方で言うとどうなるのかしらと想像もしたくなりました。ところで姉さんと子供たちの血縁関係は? 母子? 年の離れたきょうだい?
「エアポケット」
「突風に湧きたつ木の葉」以降終わりまでの詩行、好きです。それに先立ちそれを呼び込む詩行のイメージがつかみにくかったです。宇宙船からの帰還の場面でしょうか。TVのお天気番組における台風の到来かとも想像しました。ともあれ「突風に湧きたつ木の葉」以降がすばらしい。詩の実質、詩の可能性を感知します。
「成長と分配」
風刺詩の面白さ、深さを感じさせます。「箪笥」と「質草」がちょっと昭和すぎではないかとおもいましたが、そこをいうと風刺のしぐさが弱るのかもしれません。それと関連するのか、終わり方がいつもとちがって(?)淡泊ではないでしょうか。グイグイ行けよ! もっと! グイグイ来いよ! という感想です。でも、リズム感はいつものリズムで詩を感じさせるリズムとなっており、しっかり、がっしりしているなと好感を抱いております。
「想いをそろえて」
第2連目「想いをそろえるように生きて来た。/ 負けるもんかと東京を睨みつけて来た。/ 言葉にできない、言葉が存在した。/ 映画が、音楽が、文学が、僕自身だった。」ここ深く共感します。おれもそうだったと思わせられました。その間なにがあったのか、「彼女」はどんな言葉で背中を押してくれたのか、くれるのか、詩にして聞かせほしいと思いました。「愛」のなかみを!
「アウトサイダー」
全3連の作。一般論ですが、詩作品を読むのは行から行へ、連から連へ旅する感じににているなあ、と個人的に思っているものですが、本作は短い旅だったの感がありました。2連目から、さらに旅に出るのはどうでしょか。旅のおわりは、変わらず「明かりが消えた家に戻る」のだとしても、古来、歌枕をたずねる旅を敢行する歌い手は絶えません。歌枕は比喩的に言っているにすぎなくて別に「奥の細道」をイメージしていっているわけではないのですが、また、これも比喩ですが、季節を超え、関所を超え、歴史を超えて旅するといったイメージで「内側」「外側」を旅する、いや通過するのも、擦過するのも旅であろう、詩行であろうという感じのことなのですが。
・平石貴樹より
「姉さんの日々」とてもいいです。が、「比例して研ぎ澄まされていく」はあまりにもクリシェかなあ。
「エアポケット」「散らばった意識」の混乱ぶりを描いて迫力があります。
「成長と分配」みなぎる怒り。共感にたえません。
「想いをそろえて」気持ちは伝わります。舌たらずな感じだけど、そのほうがいいのかもしれません。
「アウトサイダー」閉塞感のもっとも基本的なイメージだろうと思います。
・渡辺信二より
「詩のテラス」から展望できるのは、生命の、人生の、魂の、真摯に思索し試行する様であろう。
おのおのが、じぶんの現状を真摯に分析し、じぶんのたてた誓いをなお志向するのであれば、伊東静雄ではないがたとえ我らの常態が貧窮であるとしても、さらにひたむきにほのぼのと具象に生き、滑稽なほどの惨めさも耐えよう。それらが言語化されることで、新たな地平がさらに展望される。それは、言葉の豊穣を信じているからだろう。新たな地平に、幸福があるのか、家の明かりはなお消えたままであるのか、次第に明らかになるだろう。
残りの2編は後編に続きます。こちらからどうぞ。