緑の芽生える季節の詩 後編 (22年5月)
「緑の芽生える季節の詩」の後編です。前編はこちらから。
緑の芽生える季節の詩 後編 ・「桜の赤ちゃん」 ・オカルトギャンブラー ・「あかさたな」 ・桜 ・美しすぎて |
「桜の赤ちゃん」 葉っぱ
近くの桜 今年も咲いているかなあ 歩いて見に行った
咲いていた! しかも根元から枝が生えていた その枝にも小さな桜の花がいくつか咲いていた 初めて見た すごいなあ 桜の赤ちゃん まっさらな緑の若葉 ああ 新しい命が始まったんだな
見上げれば青い空 淡い桃色の桜がいっぱいに広がっている そよそよそよ 春風があたたかい
「桜の赤ちゃん 元気に育ってね」 |
オカルトギャンブラー 後藤新平
パチンコ銀行からまとめてお金を下ろした事があった。 開店から閉店まで、1日5万円ペース、1週間で35万円下ろした。 それを資金にして、僕は二十歳の時に上京した。
今のパチンコ、スロットはデータデータの世界なのだろう。 僕は知らぬ間に、500円玉を投入した、モーニングに千円札を握りしめていた、古い人間になった。
アルバイトのお給料を全部ギャンブルにつぎ込んで、安酒を喰らっていた青春時代。
僕のポケットにはいつも文庫本が、 言葉が、寄り添っていた。 |
「あかさたな」 雪藤カイコ
数を数える 失敗した数 成功した数 何もしなかった数 溜息の数 深呼吸の数 やる気に満ちた数 数を数える
月日がきしみ音を上げながら泣いている 泣き声は風に乗って部屋を通りすぎる 顔にぶつかった風が少し痛くて涙がこぼれる
ため息が漏れる またひとつ、数が増え ん、まで行ったらもう一度 ひとり暮らしの小さな部屋で数が響く 泣かないで 見えもしないもうひとりの自分の声 慰められた数 支えるしかない数 笑ってみた数 強がってみた数 数を数える いつまでも ひとり数える |
桜
渇いた春の |
美しすぎて |
|世話人からの講評
・千石英世より
「桜の赤ちゃん」
詩想としてシンプルで高くて、とてもいいと思います。それに沿って流れ出て来るコトバづかいも素直でシンプルで名作に接近していると思います。最後の1行がやや気になるところ、高らかな詩想がここでクリシェに接近して低くなっているのでは? それと「桃色の桜」と「緑の若葉」は植物学的に、季節学的に、やや気になるところですが、つまり、染井吉野なんかの桜だと、花が咲くころ、緑の若葉はまだ萌え出ていないのでは? 気にする方が知識不足なのかもしれません。根元から生えている小さい枝に咲く小さい桜花の場合は、緑と桜と両方両立するのかもしれません。
オカルトギャンブラー
詩が基づく生活史自体が興味を引く面白い詩ではないでしょうか。タイトルも秀逸。その分、生活史にかかわる事実関係が読者に分かりにくいのは不可避なのでしょう。2連目がイメージしづらい。「お給料」は「給料」とした方が生活史をくっきり導入することにつながるような気もしますが、些末なことを言っているのかもしれません。そんなこと気にせず、あるがままの詩を感じることができます。詩を書き、詩を読む喜びがあると思いました。
「あかさたな」
切ないコトバたち。あかさたな! ん!
切ないです。
桜
コトバのリズムが満開の桜にふさわしくゆたかにゆれています。ゾクゾク来ますね。下から5行目の「わたしも」は必要だろうか。日本語における人称の問題は面倒な問題ですが、面白い問題でもあります。他の評者の方が何か月か前にこの問題、この欄に言及していましたね、それほど面倒かつ本質的な問題ですが、詩にとっても。
本作の場合はどうか。わたしに自信があって言っているわけではなく、そんな気がしたというほどのこととして受け取っていただければとおもいます。
美しすぎて
ギターの調べに乗りそうな詩です。最後の2つの連が先行の連とどう連絡するのか、これがギターの調べの歌ならここにトークが入ってほしいところ。連絡をつけてほしいところ。でも、コトバで言えないことなのかもしれない。それならギターの音色のみでカデンツアとして激しく弦が鳴るところではないでしょうか。それに相応するコトバは何か。あるのか。そんなことを思いました。
・平石貴樹より
「桜の赤ちゃん」
教科書に載せたい詩ですね!
オカルトギャンブラー
今回は回想がやや漫然としていると思いました。
「あかさたな」
半分フォークソング的で、半分そこを脱却していると思います。
桜
今まで無数に歌われてきた花のどれとも違うイメ―ジを描きとめました。
美しすぎて
きれいなコトバはともすると月並みにひびく気もします。
・渡辺信二より
閃きやメモが作品に変貌するには、熟成してゆく時間を待つ忍耐と、どこかで何かを諦めてゆく詩心が必要なのだろう。時間を糧として育つ経験から、じぶんに厳しく削り取り、それでも残る言葉たちが屹立する詩。自らそれを生みながら、詩人は、その作品の前にひれ伏すほかない。それはもはや、じぶんのものではないのだから。