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あさひてらすの詩のてらす

桜東風の詩 後編(22年3月)

桜東風の詩 後編」です。

前編はこちらから。


桜東風の詩 後編

・舞いあがる群れ

・ウクライナの人々に

・ロシアの兵士へ

・「鍵」

 

舞いあがる群れ

麻未きよ

 

とつぜん宙にさざめきが起きて

勢いよく舞いおりてくる鳩の群れ

公園の端の閑散とした見晴らし台で

活気の渦が 目の前の微睡をかき消した

いつの頃からか全く見かけなくなっていた

日常にありふれて親しんだ鳥たちは

数十年もどこに隠れていたのか

ここは見慣れた過去なのかしらと

近くて遠い 長い振幅へ

中心をさがしもとめる

 

あの頃わたしたちは

この場所で子ども達を遊ばせ

母おやという立ち位置に馴染めないまま

幸せを感じていた

いったい誰に語りかけていたのだろう

教えられたとおりを 疑いもせず

我が身かわいさ 安心安全の呪文を唱え

世間になぞらえ 言い含めるようにして

 

複雑すぎる社会 知識も意志も乏しく

なにひとつ手に負えないとさえ思えても

拡がりゆく

切り立つ台地の上

せかいを自分で築く その意味が

木々の梢を融かす二月末の太陽の輪に

何気なく焦点を吸い込ませ眩んで止まった

 

いちめんに沸き起こる羽ばたきが

仰け反るほど空気を押して

群れは舞いあがる わたしを蹴って

いま世界中の平和の祈りを覆う大空へ…

金色の夕焼けを旅立っていく

気圧された感触は華やかに躰へ沁みてくる

あたらしく知る幸福のように

 

ウクライナの人々に

なすてん

 

素朴な人々の暮らし

短い夏の太陽を喜び

麦の穂揺れる秋の実りを分かち合い

雪と氷の冬には互いにあたため合いながら

小鳥さえずる春の訪れを忍耐強く待っている

 

豊かでなくとも家族が一緒にいられること

温かいスープとパンで笑い合えること

誰にも邪魔されないはずのささやかな幸せ

 

それなのに

どうして

そんな素朴な暮らしまで奪われなければならないのか

たった一人の独裁者の妄想と暴走

民主主義を築こうという道の途上で

すべてが一夜にして

理不尽な暴力によって

粉々に打ち砕かれてしまった

 

真冬の寒空の下

地下鉄のホームに集まり凍える人々

着の身着のまま幼い子を抱き国境を越える母親

行き場なく家にこもり恐怖に震える老いた人々

 

なぜ!  なぜ!  なぜ!

 

平和の鳩たちよ

世界中からウクライナへと

一斉に駆けつけよう

あの独裁者の暴挙を

翼の羽ばたきで蹴散らそう

 

奪われた平和をもう一度

ささやかな幸せをもう一度

一日も早く取り戻そう

 

助けにいこう

駆けつけよう

あなたたちは大切な友

かけがえのない友

一緒に立ち上がろう

もう一度手を取りあたため合おう

愛しい友よ

 

ロシアの兵士へ

なすてん

 

あの兵士は

愛する祖国を守ることが

愛する家族を守ることが

自分自身の使命だと

心から信じていた

 

彼の命は

あの日  無残に砕け散った

愛する祖国を守るためでもなく

愛する家族を守るためでもなく

たった一人の独裁者と

それに追従するひと握りの愚か者のために

 

何のために

兄弟に対して

銃をむけさせられたのか!

何のために

兄弟たちを

爆裂音で恐怖に陥れたのか!

 

砕け散った彼の命は

未だ埋葬されることなく

愛する家族に知らされることなく

真っ暗な闇の中に

置き去りにされている

 

音信が途絶えた家族は

眠れぬ夜を過ごしている

 

ずっとずっとずっとしばらくして

彼の死が知らされる

母親は泣き崩れる

愛する息子は

わが誇りであった息子は

なぜ こんな形で死なねばならなかったのか!

 

母親は底知れぬ嘆きの中で

偉大だと信じきっていた国の指導者が

ただの独裁者だと知る

 

愛する息子よ

なぜ 私は気づかなかったのか!

あんな男のために

愛しいおまえを差し出してしまった

 

愛する息子よ

帰ってきておくれ!

 

母親の悲しみは

張り裂けた胸の痛みは

生涯けっして癒されることがない

 

「鍵」

雪藤カイコ

 

心配性なのでしょうか

きつく、それはきつくしてしまうのです

鍵を、鍵を何度も確認してしまうのです

犯罪者の手錠の鍵が外れると大変でしょう?

理屈はそれとまったく同じなのです

心配性なのでしょうか

 

とても愛おしいのです

やっと、やっと自由になれたんですもの

鍵を、素敵な鍵を手に入れたんですもの

自分を守りながら生きていきたいでしょう?

理屈はそれとまったく同じなのです

とても愛おしいのです

 

泣いていても叫んでいても目の前にいる

愛すべき人がどこにも行かないようにするには

鍵がとても必要になるのです

心配性なのでしょうか

とても愛おしいのです

だから鍵をしなくては

いろんなところに鍵を

 

 

 

|世話人からの講評

・千石英世より

舞いあがる群れ

第一連の結び「ここは見慣れた過去なのかしらと/近くて遠い 長い振幅へ/中心をさがしもとめる」がドキッとします。ふかいノスタルジーと湧きあがる鳩の羽ばたきの対比がすばらしいと感じます。とくに「ここは見慣れた過去なのか」がドキッとします。最終連もすごくいい。「わたしを蹴って」が決定的にいいと思います。以上の読後感は書き手の強い生き方を感じさせます。が、その強さは一孤の強さ、孤独ではないけれども、ひとりの歴史を刻んだ一個人の人生の強さ、ということを思わせるのですが、そこから世界平和への思いがどうつながるのか、「あたらしく知る幸福のように」の素晴らしい〆の一行と直前の3行のつながりの間にはもう少し何かがあるにちがいないと思いました。

ウクライナの人々に

現在の歴史情況への反応として共感をもって読みました。ほんとに今日3月6日現在、今後どうなるのだろう、そんな不安に駆られます。歴史は動いているのですね。地響きをたてて。

ロシアの兵士へ

死者と残されたもの。残されたものは泣き声を上げるしかないのでしょうか。それも理不尽な戦争です。「母親の悲しみ」は、いつか怒りにかわるのでしょうか。怒りと理不尽、悲しみと理不尽、理路をつくしてこの感情の奥に分け入っていくにはどうすればいいのか、そんなこと可能なのかと焦ります。この世紀にこんなことが起ころうとは! こうした混乱を抱え込んだひとが多いのではないでしょうか。私もその一人なのですが。

「鍵」

切実な叫び。でも、一緒に「鍵」をかけて、一緒に「鍵」をあけるということが始まれば、いつか一緒に「鍵」を壊して、ついには一緒に「鍵」という「鍵」を海に捨ててしまう日が来るという予感が感じられます。「自分を守りながら生きて」それが人を「守りながら生きて」いくことにつながっていく日が来るという予感が感じられます。「心配性」なのではなく、その出発点に立っている自覚の念押しなのだと感じました。

 

平石貴樹より

舞いあがる群れ 

最終連とてもいいと思いました。

ウクライナの人々に・ロシアの兵士へ 

こういう叫びも、むかしから詩の役割の1つですね。

「鍵」 

第3連「愛すべき人が」のところどうして「愛する人が」でないのか、ずいぶん考えてしまいました。

 

渡辺信二より

言葉は社会的なものであり、詩は社会へ責任を持って発言すべきと痛感される。

「鳩」と「鍵」と、その比喩するものや、象徴する内容は異なるにしろ、「とても愛おしい」ものへの強い強い思いが作品に表現されている。そして、そのものが奪われることへの不安や怒りがよく伝わる。

平和を願い、空へ舞がある鳩は、わたしたちであり、安心安全を保証する鍵もまた、わたしたちである。


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