桜東風の詩 前編(22年3月)
寒さが厳しかった先月。メディアでは、作家たちの訃報や、北京オリンピック、そしてロシアのウクライナへの侵攻が報じられました。 みなさんにとって、世界が変化していく姿を肌で感じざるを得ないひと月になったのではないでしょうか。
そんな中、あさひてらすの詩のてらすには7篇の詩が届きました。桜東風の詩。前後編でお送りします。
桜東風の詩た 前編 ・「ひとり暮らし」 ・春のまえ ・「ひと粒」 ・ミル |
「ひとり暮らし」 雪藤カイコ
チッたたた 黙るだけでいい 音がする 私以外の人間の音 機械の音 ひとりじゃないと感じたければ 黙るだけでいい
ギッかかか 天井から横から 音がする どこか遠くの気配 脈打つ音 ひとりだけど孤独ではないんだ 玄関から前から
心を励ます言葉をかき集める めいっぱいの空想と好奇心で
深呼吸 窓の外 空 雲 ビル 鳥 楽しむ心は確かにある スッととと 私の中で音がする |
春のまえ 伊東とも
思うに
いつだって春のまえだ やさしい人が亡くなるのは
緑のいぶきが そこらじゅうに たちこめるまえに
あたたかさにむかって 心が傾きはじまるまえに
うす青い春の空を見あげるまえに
亡くなってしまう
春がせめてもうすこし 深まれば
悲しみは 溶けやすくなっただろうか
そのかわり 春のまえの透明さが ひときれの固体となって
そしてそれは やさしい人の記憶そのもので
溶けることのないかけら |
「ひと粒」 雪藤カイコ
期待してはいけない 水色の空が奇麗でも 吐くため息が淡くても 胸が躍っているのは私の中なのだ
なんて
言い聞かせては顔が緩む 鼻歌の音色に酔いしれる 騒々しい隣人も気にならない 充満する甘い空気に微笑みかける
ふふふ
期待してはいけない 赤いリボンを結んで 手のひらサイズの想い 収まりきらなくて溢れ出していく
ひと粒 たったひと粒に込めた気持ち ハート型の好きが届けばいい あの人の心に届けばいい |
ミル 後藤新平
僕はかつてミルと同棲していた。 ミル、と言うのは実家で飼っていた メス猫だ。 僕が28歳で精神病を発症してからの 数年間、同じ部屋で生活を共に。
ミルは捨て猫だった。 典型的な捨て猫で、雨の中、段ボー ル箱の中で震えていた。 ほんの小さくて、ミルクを与えると 美味しそうに飲んだ。 で、ミルクからミルクに。
まだ小学生だった姉2人と僕、父と 母、ミル。 懐かしい。 晩年には僕と同棲していたが、僕は 寝てばかり、ミルは呆けてトイレに 行こうとしても辿り着けず床に漏ら す有様だった。
力尽きた晩、ミルは僕と母の頬を、 猫特有のザラリとした舌で舐めて逝 った。 母の枕元には立って、じっと見つめ ていたという。
ミル、ありがとう。
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|世話人からの講評
・千石英世より
「ひとり暮らし」
いいですね。全体ほっこりして、でも、ぎゅっと凝縮があって。各連はじめの一行がイイし、最後の2行「スッととと/私の中で音がする」はみごとにキマッテて、しかもユーモアと広がりがあっていいですね。
春のまえ
さりげないタイトルがすごい。中身と切り結んでいる。それに1行目、生きている、とても生きている。なぜ生きていると思うのだろうかと考えこんでいます。これもさりげなさなのかなとも思うし、いやいや、それ以上の、なんだろう、ふっきれなのだな! 全体の行の運びもキレがあって喰い込んできます。ふっきれ、でもふかい悲しみの歌なのですね。
「ひと粒」
可憐な恋歌、ラブソング。春の羽衣のたゆたい。酔いしれました。
ミル
終わりから6行目「力尽きた晩、ミルは僕と母の頬を、/猫特有のザラリとした舌で舐めて逝/った。」ここでグッときました。動物と人間は飼い主とペット以上の関係なのだと納得します。両者は生き物の同士なのだと思いいたります。人間側がかってに思っているだけでなく、動物側も思ってくれていると思えます。でも、あの日拾われなければどうなっていたのか、そこまで考えてしまいました。
・平石貴樹より
「ひとり暮らし」
孤独をはねかえすのは空想力ということでしょうか。大賛成です。
春のまえ
そのとおりだと思います。秀作ですね。
「ひと粒」
恋の歌、きれいなメロディに乗りそうですね。
ミル
動物のふしぎな力をよく捉えていると思います。
・渡辺信二より
人は、死者を通して、死とつながり、死を垣間見る。
死とは、全く、ひとりのものだが、しかし、ひとりで死んでゆくわけではない。
生き残されるものもまた、愛にしろ感謝にしろ、
おのれの一部を死に捧げることで、死と死者とにつながる。
後編はこちらから