朝日出版社ウェブマガジン

MENU

あさひてらすの詩のてらす

正東風(まごち)の詩 後編(22年2月)

「正東風(まごち)の詩 後編」です。前編はこちらから。


銀色粒子

リリーユカリー

 

あたたかいお湯に包まれて

わたしはふやふや夢をみる

天井に立ち昇る水蒸気も

そこから落ちる水滴も

小さな水の粒子を映す電灯も

さっき使ったせっけんも

湯船に浸かった体のかたまりも

すべては化学反応でできている

 

今頃遠いどこかの星で誰かの意志とは関係なく

化学反応が起こってる

 

ふかふか布団のトンネルにもぐりこんで

わたしはりらりらを夢をみる

雨粒から光の音が聞こえるような

ダイヤモンドの雨が降る

赤い土の地平線に青い夕日が落ちてゆく

明るい空に三つ子の太陽が昇っては沈む

 

窓の外は土や葉っぱに染み込むような

しっとり静かな雨の音

ぐらぐらゆらめく極彩色の世界で

銀色粒子の夢をみる

 

「犬と走る」

葉っぱ

 

夜中ふと目がさめて テレビをつけると 

アイスランドの一面真っ白な世界

犬たちは懸命に足を動かしてそりを走らせる

雪の上も氷の上もひたすらに

本当は凍えて寒いだろう かじかんでいるだろう

それでも進む 前に 前に

 

そりが止まった

すると犬たちはいっせいにブルブルふるえだした

やっぱり冷たかったんだ 寒かったんだ

だけど人はまた号令をかけた

犬たちはまた走り出した

「エーイ エイエイ」

むちの代わりに号令で犬たちは進んでいるらしい

そのあとに聞こえない「オー」が聞こえた

そうだ 号令はきっと「エイエイオー」のかけ声にもなるだろう

「エイエイ」って言われても 自分で「オー」をつけてみよう

 

氷の国の犬たちに 大切なことを教えてもらった 午前3時

 

雪と空振
麻未きよ

 

底冷えに 年が明けて

月の半ばに警報がながれる

「空振」という言葉をはじめてきいた

衝撃波が大洋を超えて

はるかな沿岸の海をもち上げる

という不可思議な現象は

またひとつ身近なできごとへ

そうっとすみやかに置きかわる

解説を見聞きして

わかったとしても

たとえ何もわからないときでも

 

 

月の初めは雪がつもって

時間の流れをセーブした

あかるく閉じた

昼のおおきな円柱のなか

空気も鼓動も純白にけぶり

騒ぎはじめる

おびただしい雪片はかろやかに

とめどない大群でやってきて

これまで見えていた景色に

一斉リセットをかける

 

雪面に穿たれたまま

すべてを落とした木々が

温もりをはらんで仄めいていた

わたしと犬とで踏みしめた足跡

ただ前へ進むために

行きも帰りも散らかしてあるく‥

雪の広場の向こうから

埋もれながら駆けて来た

まだ七ヶ月というその犬は

夢見るようなあどけない目で

座って初雪を食べていた

 

新築九区画

関根全宏

 

キャベツ畑の向こう側に

新しく建った家が見えてきた

テニスコートほどの裏手には

裸の木がきれいに立ち並んでいる

 

その先にあった古いアパートは

つい先日取り壊され

一瞬で更地になった

思いのほか大きなアパートだった

 

重い荷物を持ち直しながら

ぼくは彼女にそのことを教えた

彼女はただ頷き

石ころを蹴飛ばすと

それは不規則に飛び跳ね

側溝に堕ちていった

 

それはぼくたちふたりの命だった

一年前の今日

彼女の涙に祝福された命

曲線を描きながら

ふわふわと飛んで消えていった

風船のような異物

 

キャベツ畑の向こう側に

新しく九軒の家が建った

彼女はまだ見ていなかった

その新しい住人を

その先にあったアパートの跡地を

 

 

|世話人からの講評

・千石英世より

銀色粒子

清らかな詩、こころが洗われるようです。うるうる来ます。来てます! 「三つ子の太陽」がよくわからないが、わからなくていいのだと思わせます。太陽は今日から三つ子なのだと。

「犬と走る」

シンプルで力強い詩。「氷の国の犬たちに 大切なことを教えてもらった」、この素晴らしさ! 読者である私もまた「大切なことを教えてもらった」の感を抱きます。それは語り手が「エイエイ」にあえて「オー」を補ったから、このあえてに詩は宿るのでしょう。 

雪と空振

三つの時間が三つの連に分けて書かれています。この三つを貫く棒のようななにか、そこをもう少し強い棒のように感じさせる工夫があればという感想です。「昼のおおきな円柱のなか/空気も鼓動も純白にけぶり」が素晴らしい。この素晴らしさがその可能性を示しているように感じます。

新築九区画

小説的な深みのあるシチュエーション。映画の一シーンともみえます。出だしの鮮やかな景色の提示がそうさせるのでしょう。そうだとすると最終場面に「裸の木がきれいに立ち並んでいる」「テニスコートほどの裏手」ももう一度目にしたい。何か主人公たちの心象を反映する風景だったわけだから。となると「裏手」は景色を提示している視点からすると新築の家々の手前にある? この遠近を切り取れば場面の暗示性は増すのでは? しっとりとした、だが厳しさのある作だと思います。

 

・平石貴樹より

銀色粒子

 むずかしいですね。ちょっと焦点がむすびにくいかも。

犬と走る

 さわやかですが、エイエイのあとのオーってそんなに大事とは思いませんでした。

雪と空振

 後半がやっぱりいいですね。

新築九区画

 どうせならもうちょっと物語情報がほしかったです。

 

・渡辺信二より

日本的な自我、日本的な自称、とは何なのだろう。

その変幻自在さは、いろんな文脈で指摘されているが、多分、他国文化の比ではない。「私」、「わたくし」、「あっし」、「あちき」「あたい」「わたし」、「あたし」、「ぼく」、「僕」、「おれ」、「俺」、「おのれ」「せっしゃ」「自分」「てまえ」「こちら」「オイラ」「わし」「わい」「わて」「おれっち」「おいどん」、・・・・これでもまだ不足なのだろう。「ミー」まであげられるかもしれない。

では、変幻自在すれば、他者無しに自足できるのか。あるいは、誰を他者と同定して世界を再構築するのか。そこが詩への問いであり、これに解を示すのも、詩の仕事の一つなのだろう。

 

バックナンバー

ジャンル

お知らせ

ランキング

閉じる