冬霞に映る5篇の詩(22年12月)
木々の葉もすっかり落ち、冬が日に日に深まっていく頃、あさひてらすの詩のてらすには5篇の詩が届きました。
「冬霞に映る5篇の詩」、今年を締めくくる作品群を、世話人たちの講評とともにお読みください。
冬霞に映る5篇の詩 ・「靴」 ・「口約束」 ・日向の悲観者 ・春はまだまだ遠いけど ・巡る季節 |
「靴」 ヨコタ佑輔
わたしは靴を取り出すため 目の前の下駄箱を開いた 玄関という空間は不思議なところだ およそ長い間、この空間が大きな変化を遂げたことはない 誰もがここで靴を履き ここで靴を脱ぐのだ 故に何十年も経ってから 下駄箱を開くとき 昔の思い出が甦ることがある 取っ手に触れて戸を開くとき 靴を取り出し、土間の上に置くとき 扉を閉めてそこに座り、靴紐に触れるとき 数々の記憶がわたしの頭に浮かんでくる そうして玄関をくぐり 外に一歩踏み出すとき わたしは現代に帰る そうして得た心の安堵を一緒に連れ出す |
「口約束」 雪藤カイコ
ネット迷路の中 本音を探している 追いつけない光速度とわかっていても 覗き込まずにいられない 好きも嫌いも悲しみも憎しみも 笑顔でさえ愛想笑いと気づくには時間がかかる 追いつけない光を恨んでも 気の抜けた朝にはじかれる
題名の無い文字約束 題名が無ければ口約束と同じだと苦笑された 文字の意味を考える 見ている文字が魚みたいに白を泳いで 黒くても効力を無くし透明に近くなる
考え込む人は見えない存在になり 大声で笑う人だけが輪郭をつかむ
現実社会もネット社会も 見えない線でかき混ぜられて渦だけが残る 悪臭と錯覚するほどに 淀んだ光の中で 今日も果てない文字が 浮かんで消える |
日向の悲観者 長谷川哲士
どうか俺の心臓を視て欲しい ようやく動いているのかどうなのか
こんな風にして 胸室の扉を開けている
午後に観ていた落葉の見事 陽を浴みてうらおもてひらひらと 沈み落ちてゆく地へ溜まったほら
時少しく経ったのかどうなのか 夕陽は三百メートル先の白い家を射る 魂の欠片が家という箱の中で からんからんと鳴っているのが聴こえ
ようやく俺の心臓の事 わかって来た様だな連中は その動きぶりかさこそほらね
ふふふ鼓動は 俺の肉体の内奥から 外の世界をノックしているとんとん
オーラなんてものが見えるのですか グッとくるね中々やるねとは思うけど 現実の赤の勢力が 血液がががが外の世界 沁み入る様だ恐れ入ります
さあ行こうか 時を啜って心臓擦り減り 匍匐してゆく肉体と魂追い縋り 遅れたビートでこの心臓ドドンパする |
春はまだまだ遠いけど 野木まさみ
春はまだまだ遠いけど 眩しさに目を細め 見晴らした湖の 厚く張った氷上に 雛桃色の花を見つける
凍りかけたこま編みの 短いマフラーの ふさの先が 北風に吹かれて ハタハタと揺れた
首筋 赤くなっただろう
氷滑りが楽しくて 夢中になっていたのかな
兄さん待ってくれなくて 半べそかいて 追ったかな
今度はお家で遊ぼうと 息を切らして いたのかな
そんなに急いで いたのかな
いいこと待って いたのかな |
巡る季節 野木まさみ
跳ねる 駆ける 白の仔馬 春の芽吹き もうそこ
揺れる 光る 青の小枝 夏の気配 映して
しなる 実る 赤の木の実 秋の匂い まとって
渡る 帰る 黒の小鳥 冬の足音 聴いて
巡る巡る 季節は巡る いついつまでも |
|世話人たちの講評
・千石英世より
「靴」
地味ですが、しっかりとした、しっとりとした感受性のあらわれを有り難く受け止めました。「そうして得た心の安堵を一緒に連れ出す」のところ説得力あると思います。「安堵」、平凡だけど伝わってきます。この平凡がいいのだと、この「平凡」に詩があるのだと。
さて、「扉を閉めてそこに座り、靴紐に触れるとき/数々の記憶がわたしの頭に浮かんでくる」のところ、とくにいいですね。「触れるとき」がとくにいいですね。「結ぶ」ときではないのですね。どんな靴が並んでいたのでしょうか、だれとだれの靴がならんでいたのでしょうか、そんな想像をかき立てます。一点、下駄箱を開いたときの匂いはどうでしょう? 私などまずそれが連想されるタイプの人間なのか、お聞きしたかった点です。作品とは別のことかもしれません。失礼しました。
「口約束」
偽らざる本音が語られていると感じます。これが全部ではないが本音の一部ではあると。この偽りの無さが貴重だと思います。そこで思うのは、本音を取り囲んでいる他の部分、本音の周辺はどんな景色なのだろうということになります。想像します。本音の島はどんな海に囲まれているのか。「淀んだ光の中」、とありますが、そこを具体的に、短編ビデオ作品みたいに、一つ一つの物を景色を「淀んだ光の中」に映し出されたら見入ってしまうだろうと想像します。こわいと思います。こわいけど見たいと。
日向の悲観者
前半と後半に分かれている作だなと思いました。「夕陽は三百メートル先の白い家を射る」、ここどうしようもなく素晴らしい。この1行のある連、好きです。で、ここから作品は後半になるらしいと。つまり、ここまで、なんというか遠景で、ここから肉迫してゆく、迫ってゆく、リズムが変わる。激してゆく。低音でビートが効いてくる。そして最終連、「遅れたビートでこの心臓ドドンパする」。すごいです。良い作品ではないでしょうか。
春はまだまだ遠いけど
メロディーが聞こえてきます。コトバの音のメロディーだけでなく、イメージの並び、時間の流れ、いいですね。と思っていたら「兄さん」が登場してきて、お!でした。そして、「兄さん」のことも少し聞かせてほしいと思いました。書かれていないけど、一行目からそばにいたのかもしれない。可憐な作だと思います。
巡る季節
シンプルで澄んだ作ですね。これもメロディーが聞こえてきます。ご自分で曲をつけないのでしょうか。だれかが曲をつけたがるかもしれないですね。一点、秋のところ、「しなる」が、フォローできませんでした。直前の「小枝」が秋風にしなるでしょうか? それはともかく、さらりとしていて、好感度高の作とおもいました。
・平石貴樹より
・渡辺信二より
「靴」
発想がとても良い。
「昔の思い出」、「数々の記憶」の一つ一つも、
これから、詩となってゆくのでしょう。
「口約束」
誰が「苦笑」したのか、でも、それこそが強烈な現実の一つなのでしょう。
最後、読み間違いでなければ、文字を悪臭と錯覚するのですね。
日向の悲観者
「俺の心臓」を手玉に取る「俺」の手捌き、言葉捌きが、激しくも哀しい。
タイトル、日陰でないのが興味深い。
春はまだまだ遠いけど
金子みすゞと響き合う世界を切り開けそうですね。
巡る季節
確かに、いつまでも季節が巡る平和な世の中であってほしい。
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