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あさひてらすの詩のてらす

早波に戯れる10篇の詩 (24年5月)

 今月のタイトルにある「早波」とは、5月頃に打ち寄せる強い波のことを言います。テレビやSNSに目をやれば、引き続き、落ち着きのない日々に見えますが、詩のてらすに投稿された11篇の作品たちは、そんな状況をよそに、言葉の中にそれぞれの世界を持っているように感じます。ぜひご一読を。


 

 早波に戯れる10篇の詩

・雀

・ルーズな坂

・雨曝し

・此処にある光

・たんぽぽ

・届く

・日当たりの良い部屋

・わたしとあなた

・頸動脈

・斜光

 

七海独

 

指一本で折ることが出来そうな枝の先に

器用にとまる一羽の雀

 

自由に鳴いて

自由におしゃべり

 

灰色の空もなんのその

 

そよぐ春風に身を委ね

 

人間などとは無関係

 

ああ、せめて

 

私もそこに

とまりたい

 

カレンダーなどめくらずに

 

ただそこで

 

ただそこで

 

ルーズな坂

草笛螢夢

 

転がる速度は 人其々ですが

あなたの思う程

この坂の傾きは早く

速度が付く 傾き加減になっていますよ

 

面戸くさいと いつも思う事が多くなる程

きっとその時は

既に 車止め程度でも

停められないかもしれない

 

上り坂と下り坂

どちらを向いているか言わずとも

判っている筈と思います

 

一体気づいて止められる日が 今からでも

何が原因だったかと気付いて貰えると

止められる事と思います

 

ブレーキレバーを

少しづつ強めに引こうと思うことです

多分 振り返った道の轍に

はっきりと残っていますから

 

雨曝し

七海独

 

暴風雨。

わたしは無力で部屋の中。

 

窓外に一羽の鴉を見た。

 

のびのびと羽を広げている、

わたしの憧れが空を翔ぶ。

 

傘も

レインコートも

レインブーツも

要らない。

 

ただ空を見たいだけ。

ただ自然を受け入れたいだけ。

 

雨に濡れ、鼓動が染みる。

狭い籠の中、鼓動が枯れる。


 

此処にある光

野木まさみ

 

たくさんの花びらを連れて春の嵐は過ぎ去り

おろしたての帽子も持って行った

 

白い点のように湖上に浮いていた帽子は

数日後には見えなくなり

代わりにやって来た長雨を

宿の窓からいつまでも見続けた

 

旅先での時間は物事を深刻にすることは無く

空っぽになった清々しさが

辺りを取巻いていた

 

雨のあとの凪いだ湖を

生まれて初めて櫂を手に取り漕ぎ出す

かすんで立つぐるりと密集する木々

沈黙し澄む水面

 

私は櫂を漕ぐ手を止めず

こどものように服を脱ぎ捨て

翠玉の水の中へ深く深く潜っていく

いつかずっと昔に置き忘れたものを

取りに行くのだ

遠くぼんやりと やさしく淡く光るもの

 

やがて太陽が高く昇り

眩しさに 帽子が無かったことを思い出す

−いつも注意深い人が−

微笑みがこみ上げ

今この瞬間に確かに照りつける陽光を

後頭部に強く感じながら岸へ戻る手を早めた

 

四月の微風が襟元のレースの間を繍っていく

 

たんぽぽ

花 詩子

 

黄色の花が

道の狭間も気にせずに

誇らしげに上を向く

 

ここが居場所と咲誇る

 

通り過ぎては

心が何度も振り返り

染まる程に見つめている

 

 

選べる事が選べるばかりに

不自由の中に舞い落ちる

 

振り返っていたのは

自分の足跡

 

 

陽を求めては

まだ咲けない自らの

足跡を眺めていた

 

筒路なみ

 

指が開く、小窓の向こうで揺れる

名も知らない枯れ草たち

機械ごし、残像の残らない光源を

片目瞑って覗く私

 

枯れ草はもう、緑には染まらず

沈む赤は、青に戻らず黒へ歩む

 

何を描きますか

例えば、景色に吹く、色のない風だとか

何をそこに入れますか

例えば、木に止まっていたはずの烏だとか

 

描きたいのは、見えないものです

ないものじゃなく、そこにあるもの

見てもらえなかった緑を

ちゃんと見上げなかった青を

できたはずの、私の心ごと

 

手をのばせば、風がなでてくれます

かざした指が、光を透かします

届いています

今、一番、精いっぱいに

 

陽当たりの良い部屋

長谷川哲士

 

陽が昇り 顔洗い 飯を喰らう

髪が抜ける 記憶も抜けていく

水道の元栓 壊れ 水ぽたり

抜ける するする するするするの合唱が 

どこからでしょうか 聞こえ

別の世界へ 旅立とう として

朝から 麦酒の栓を こんこんしてから

開けて 呑む そして 絶望者のまね

何となくまた寝る 職を休む 間抜け者

時は滑り もう 西陽が俺を呼んでいる

 

わたしとあなた
はちママ

 

わすれてない? だいじなこと

 

わすれてる。 だいじなこと

 

わすれないで だいじなこと

 

わすれないよ だいじなこと

 

頸動脈

七海独

 

それに触れる。

首のそれに触れる。

 

安堵感。

 

どんな未練も、過去も未来も含まない。

ただ脈打っているだけ。

 

新緑に満ちた空虚な時間は

それが切れれば終わる。

自由を極めた真っ青な空は

それが切れれば終わる。

 

緑と青と赤。

光の三原色が混ざり合う時。

 

終わる。

 

斜光

小村咲

 

ただ突き動かされるままに

言葉の素朴を揺り動かしては

真っ直ぐに歩いて来た

もうそこへ

辿り着くしかないという

夕暮れの波浪

水の素粒子は名を変えて

そこらかしこに存在している

 

暖色と寒色の汀に漂う海猫

描く曲線は優しく

鋭い視線を残しゆく

鳴き声を一筋

確かに響かせて

 

景色は

描こうとするものではなく

ただそこにあるものなのだ

乾いた筆を海水に浸し

クルクルと振れば

空中に円となり

踊りながら雫は

やがて海に還る

 

水の境界線は勢いよく迫り

物言わず去ってゆく

残された石灰岩の欠片が

小さく光る

とある休日の

ひとりごち


 

|世話人たちの講評

・千石英世より

素直な気持ちがコトバになっていて、共感を、そして切なさをさそいます。「カレンダーなどめくらずに/ただそこで/ただそこで」のところ特にぐっときます。最後のリフレーン「ただそこで」も効いていますね。コトバがシンプルなのが素晴らしいとおもいました。

ルーズな坂

仮名と漢字の塩梅に推敲の余地ありと感じました。この塩梅は個人の好みのほかに時代や環境の好みもあってなかなかルール化はできないのですが、そこが、詩の活躍場所でもあるとおもっていいのでは? どうでしょうか?

雨曝し

前作の美点を維持し、しかし、内容は複雑なものを扱っています。チャレンジしていますね。タイトルが意味深いし、最終連が謎を残し、少し怖い感じがしますが、最終連に、「鼓動」の中身の暗示がほしいのですが……。いや、ないほうが良いのかも……。これで打ち切りにする、謎を残す、のほうが良いのかも……。でもこの部分にチャレンジがあるのは変わらない!

此処にある光

仮名と漢字の塩梅は、ヒト夫々好みのでるところですが、作の、イメージの流れ、つながり、つまりメロディーと深く関係している、とは一般的にいえるのではないでしょか。そこに推敲の余地ありと感じます。「置き忘れたものを/取りに行くのだ」のところ、谷川俊太郎の有名な先行句があります。語彙はちがいますが。こういうとき、どうするか、難しいところです。気持ち的に自作に実意はあるのに、残念なことに先行作、先行句がある、困ったコマッタ! ということはママあることである。豊かさを秘めた悩みどころですね、と思います。

たんぽぽ

良い作だと好感しました。最後の3行、ここは沈黙が金です。「振り返っていたのは/自分の足跡」。これでぴたりと終わる! そしたら次の3行はひそかに読者が書いてくれる! そしたら作にヒロガリがでるというやつですね。

届く

詩想に実のある深いものを感じます。具体物の提示に欠けるところがあるのはスルーするとして。ただ最後「届いています/今、一番、精いっぱいに」、ここはどうか。とくに「一番、精一杯に」のところ。深い詩想に見合うフレーズがほしい。なければないで沈黙が金。というのは、生活感を離れて深くたゆたう詩想がつづられてきて、最後、生活感あふれるこたつのなかへ招き入れられた感がありました。詩の持つトーンをケアしてあげるということでしょうか。請う御一考。

日当たりの良い部屋

「抜ける」がキーワードのように思いました。「間抜けもの」は「怠け者」ではないということが伝わってきました。「時は滑り もう 西陽が俺を呼んでいる」ここ印象的です。詩全体の絵柄は、この1行が、になっていると感じます。これが冒頭の1行目にループするような気もします。太陽が疲れたのでしょうか。疲れた太陽のことを歌っているようにも思えるのですが、ともかく複雑な詩だと感じます。太陽よ、仕事しろ! といいたくなる感じですが、でも、太陽よ、一休みしろや! といったほうが良いのかもしれません。

わたしとあなた

タイトルと作者名も詩本体の一部になっているとよみたくなります。そうだとして、全6行のこのきれいな詩に新タイトルをつけてあげる。としたらどうすればいいのか。考え込みました。そういう誘いの音色をかなでる、フシギな短詩ですね。

頸動脈

内容が具体的になってきました。読点「。」が付いていることの意味、わかるような気がします。内容が具体的になったからでしょうか、コトバの響きが作者の呼吸になってきている。詩的に充実してきている。コトバの音律が既存の日本語のリズムを離れて、つまり七五調や、唱歌調をはなれて、作者内部の独自のリズムの実現にむけて動いている。コトバがファイティング・ポーズを採っている。素晴らしい!

ちなみに、他の2作も読ませていただきました。2作とも、作に意志とつよさを感じました。

斜光

見事な作とおもいます。粘り強い詩想の展開があるようにおもいます。終わりの2行を伏せて読み、また、元に復して読み、してみました。伏せて読んだ方がいいような気もしますが、どうでしょう? そこは好みの問題かもしれません。妄言多謝。

 

・平石貴樹より

 いいですね。ディキンソンふうですね。

ルーズな坂

 人生を坂になぞらえることは昔から定番ですが、「ルーズな坂」というのは新鮮ですね。

雨曝し

 いいですが、最終連の対句はやはりちょっと単純化のような。

此処にある光

 解放の瞬間ですね。タイトルはこれでよかったのかしら。

たんぽぽ

 8~9行めがよくわかりませんでした。

届く

 後半は一気呵成ですばらしいです。

日当たりの良い部屋

 いいですね。「こんこんしてから」にはしびれました。

わたしとあなた

 もう一歩具体的に踏み込んでほしいです。

頸動脈

 小さな三原色の発見ですね。

斜光

安定した叙景力と思いますが、語り手は詩人なのか画家なのか。両方なのでしょうか。

 

・渡辺信二より

13行目のカレンダーに、生活実感というか、リアリティが託されている。

ルーズな坂

「転がる」という動きと、「ブレーキレバー」で止める(停める)ことを、うまく関連させることのできない読者が多いのではないか。「面戸くさい」はよくわからない表現。そもそも、なぜ、転がろうとしたのか、それは誰かの決断か、などについて、ヒントがほしい。

雨曝し

空を飛ぶ鴉に託したいものがあるのはわかるが、場面が暴風雨だと、鴉を含めてほとんど全ての鳥たちは、命も体もどこかに隠しているのではないか。

此処にある光

連想されてゆくイメージと、詩的ロジックの折り合いをどうつけるか、気になるところだ。特に、「ずっと昔に置き忘れたもの」と「帽子」の関係は、もどかしい。堀辰雄先生が、執筆作法について、ヒントをくれそうです。

たんぽぽ

高村光太郎の「道程」とは逆発想の作品ですね。

届く

届かなかった過去の時間に、今、「届く」。それが、詩の想像力ですね。いいですね。

日当たりの良い部屋

「絶望者のまね」が何を救済するのでしょうか、その答えは不要だが、示唆はほしい。タイトル「陽当たり」、一行目「陽が昇り」、最終行「西陽」と、三度「陽」が出現していますので、何かしら凄いことが起こりそうな予感はあるが。

わたしとあなた

「はちママ」という作者名を含めて、この作品を読まねばならないのだろうが、いかんせん、手がかりが少ない。

頸動脈

生の脈動を、末期の眼で見つめ、また、直に肌で感じることは、詩を書くために確かに非常に大切です。

斜光

まとまりはある。「ただそこにあるもの」(16行目)とは、語り手さえも内包するのか。それとも、語り手は、安全安心な視点を維持する観察者であり続けるのか。「来た」(3行目)と「たどり着く」(4行目)の2つの動詞と、「還る」(21行目)と「去ってゆく」(23行目)の2つの動詞とが、作品の始めと終わりとして、対応するはずなのだが、明示されていないけれど、それぞれの主語が異なる。したがって、作者は、「とある休日の/ひとりごち」という終わり方で、作品を回収するほかない。

 

 

改稿作品

ここからは以前に掲載された作品で、その後、世話人のコメントを受けて、作者によって書き改められた作品のいくつかを掲載します。今回は1篇をお届けします。

 

ギヤマン

小村咲

 

ありったけの硝子の器を

濡れ縁に並べ

人差す指の先

桜色の付け爪でコツリコツンと

縁を弾いてゆく指先の旅

ひらり掬った六花をしゃらしゃらと注いで

 

両手で器を包み込み

まったりと待つ雪解け

掌にジンと感じながら

水平線の訪れを待つ

意味のない遊びを光のもとで楽しめたら

蝋梅笑ってつるりと咲く

 

浅緑の器を太陽に翳せば

砂時計の型に揺れる水面 

目を細めて見えるのは

陽光が溶かしゆくもの

暖かな季節のその先の先

 

頬が膝がぬくもりを感じれば

指紋でなぞる円の縁

次から次へ糸を掛けるように

ひらりゆらりと

畝り出す音階

不揃いの和音

歌にならぬ曲調を

永遠に奏で続けるとすれば

この想いは胡蝶のごとく夢のごとく

果てなく夢現を謳うのでしょうか


よくブラッシュアップされており、今回展開されている詩的ロジックに破綻なく、構成は、さらにしっかりしています。安心して、最終行まで読めます。
次作以降にも期待します。(渡辺記)

 


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