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あさひてらすの詩のてらす

初霜が降り始めるはずの季節の11篇(23年11月)

例年であれば秋から冬らしくなるこの季節も、今年はどうしてか、暖かい日と冷える日を交互に繰り返しているようです。日によって汗ばみ、日によっては身を固くして出かける日々、詩のてらすに届いた作品の中から11篇を掲載します。「初霜が降り始めるはずの季節の11篇」ぜひご一読を。


 

 初霜が降り始めるはずの季節の11篇

・しんぼう

・祝日

・限界集落の祭り

・冬に飛び乗る

・同情道徳万歳

・下品吟じます

・痕跡と傷跡

・父権

・ハンズ

・海

・午前9時 

 

しんぼう

筒路なみ

 

いってきます

いってらっしゃい

ただいま

おかえり

 

いってきますは、

おかえりを予約する

いってらっしゃいは、

ただいまを切望する

いってきますを言ったときから

喉の奥の方にただいまが突っかかっている

いってらっしゃいを言ったときから

唇がおかえりを紡ぎたがっている

彼を待つ間

絶えず彼を想うわけじゃないけども

彼が帰ってきた瞬間

心の底から安堵するだなんて

わざわざ伝えないけど

 

待ってる。待ってる。

空白に、退屈と言う言葉を背負わせて

待ってる。待ってるよ。

時々、あなたの行き先のニュースに目を通して

待ってるんだ。待ってるんだよ。

スマホの通知音に、余分に耳を傾けて

鳥のさえずり、犬の鳴き声

テレビの音声、洗濯機の揺れる音

私の吐息、私の鼓動

全部、全部が、ひどく鮮明な時間を泳いでいる

 

ああ、おかえりなさい

今日もおつかれさまでした

今日も私、待ったかいがありました

 

祝日

網谷優司

 

今日は祝日、仕事がない。

待ちに待ったとでも言いたいところなのだが、体は疲れているのだから貴重な休みだというのはそうなのだが、どうしてこんなに憂鬱なのか。

それは君につけられた古傷が痛むからだ、ということからは目をそらしておく。

 

精一杯うずくまって大きな歯車作ってさ。

数えきれないほどの小さな歯車たちと噛み合って、この国をぐるぐるぐるぐる回してみたい。

そうして、君をどっかへ振り落としてやりたいな。

 

もう君はいないいない。

僕はもう何も傷つくことはない。

古傷はやがて癒えるだろう。

 

そんな希望すら打ち砕く祝日。

 

限界集落の祭り

草笛 螢夢

 

祭りの神輿が

村を練り廻る

五穀豊穣の奉納の

舞の祭囃子の

音と笑い声

 

何時の頃からか

持ち上げている神輿は

氏子の人間のはずが

地面から神々が

神輿を担いでいる様に

見えたのは私の錯覚か?

 

この時期になると

遠くから聞こえたはずの

賑やかだった人々の賑う声が

耳から鳴り止まず

母にせがむ綿飴のあの味が

思い出される

 

冬に飛び乗る

長谷川哲士

 

雪、雪、雪、

列車は最終だったのだったのだった

焦る急ぐ走るのスパーク現象

 

雑居ビルの階段踊り場で

カンナで材木削る様な

スムーズナンパ展開する輩横目にサイレン

精神の木目がシルベスタ・スタローンの顔

飛び乗る前の向こう側の爆笑

 

時間は針の穴を通ります

進めて下さいそして

下がって下さあああい叫びたい

どうか呼応して下さい

シティでの木霊

 

救急車、注射、

一旦消滅してはどう

夜はそう言う

帰ります帰ります帰りますから

 

千の鳥のムーブで疾駆したもので

意外にスムーズに列車に

乗り込む事出来て吃驚

それと同時に睡眠と失神と幻覚の

ループそれは虚ろの現実&

幸福への階段

しいーんとしていた

 

 

同情道徳万歳

網谷優司

 

他人の不幸は蜜の味。

なのにどうしてわたしはたまに(しばしば?)不幸自慢をしてしまうのか。

 

わたしの蜜をほらどうぞ、という利他的な気持ちからではないことは確かなようだ。

だって、不幸自慢をしているときの高揚感ったらさ。

 

他人の不幸は蜜の味。

これを普遍の真理と仮定する。

すると不幸自慢は利他的な行為として結実するという見覚えのない結論に陥ってしまう。

だから、他人の不幸は蜜の味ではないこともあるのかもしれない。

 

他人の不幸に心から同情することだってあるだろう。それを道徳的だとかいって斜に見て揶揄することの愚かさよ。

 

これぞ不幸自慢大会歴代チャンピオン達からの希望的示唆。

 

下品吟じます

鏡文志

 

「朧月夜」

りあおくえ ぞけはひ れづえ ずよひそぷ

にゃしふこ むわしろ ほほう しけもき

 

おぼろげに 五月雨色の 月を見て

結局なにも 思うことはなし

 

「馬」

 

おんぜっし んもすず つぢみ ゃこごあみ

名前など 知らない 馬に 乗りながら

なにはなくとも 今日の日は暮れる

 

「嫉み」

 

はぎでぼて もえかと れやや やがゅにめ

いくぐら けしも ほうむ ぎけでて

簡単に 行かないことが、あるからと 

すぐに手放すあんた、見下す

 

痕跡と傷跡

筒路なみ

 

シンプルな背景

シンプルな一本道

シンプルなデザイン

(人生において)をのり付けしておく

 

まっさらなこれまで

まっしろなこれから

意外と、消しカスがこびりついているもの

 

きれいなとこから

もう一度

最初の色のしんどさも苦しさも

もう一度

たまに、紙をぐしゃっとやっちゃって

心をぐしゃっとさせちゃって

しわを伸ばしたって

伸ばしたって

ため息のポンプを押してるみたい

 

だから、これから

えんぴつ跡が消えない

擦れた消しカスが消えない

さっきのぐしゃっが消えない

今の心も消えない

ちょっと清書には向かないこの紙に

私は翼を描くのです

 

そしたらきっと、空だって描けるから

 

父権

鏡文志

 

人生の夢、それは誰にとっても父権。格好いい男。

尊敬出来る人間なのです。

 

そこを皆が目指す。女も群がる。

 

納得出来る父権がない以上、誰もが噛みつき続ける。

そして誰にでも納得出来る父権と言うものは、ないのです。

 

王は、下のものを選び切り捨てる性質を持つ。

すると切り捨てられる対象の可能性を感じた時

人々は父権を求めながら、噛み付くのです。

 

そこで新たな父権が生まれる。この繰り返しです。

 

 

人は子供の時、尊敬出来る父権が見つからなければ

外に対象を探す。

搾取し搾り取りお山の大将になる。

弱者を蹴飛ばすことで王の座を得ようとする。

 

蹴飛ばされた人間が、父権を取り戻すには

また新たな父権を探すことが必要。

多くは見つからない。内なる輝きに目を向け

父権を創造する。それが真のクリエイターの浪漫。

 

父権は、セミナーにはない。父権は、カウンセリングにはない。

父権は、いい大学やエリート教育にはない。

自分で見つけなければいけない。

思考の乱れを生み出すもの。それは思考が走るからです。

思考の乱れを修正する。

それは止まる動く止まる動く。

これを常に意識して繰り返す必要がある。

それまで暴れる。少しの間誰にも理解出来ない状態が続く。

抑えつけられる。強制的に眠らされる。

思考の乱れを一人で修正し、正すには石の上にも三年。

一人でアパートに住み、乱れを意識して

刺激のない環境の中で動き回るしかないのです。

 

ハンズ

網谷優司

 

君に触れるために母胎内で形成された手でPCを起動して、文字を打つ。こんなことなら、両手を切り落としてしまいたい。運命に見放された手の方だって、それを願っているだろう。

 

仕事をするためには不可欠な手。生きていくためには不可欠な仕事。でも君に殺された僕には生きていくことはもうできない、ただ生きている。要は息をしているだけだ。君が見上げる空と、僕を照らす太陽、僕を濡らす雨には、もう何の関係もなくなってしまった。

 

あの日の相合傘。突然の雨に僕が傘をさして、君は遠慮がちに体を寄せてきた。君の記憶からはとうに抹消されているだろう、僕の一方的な幸。

 

嗚呼、僕の手はもう用済みだ。

 

鏡文志

 

私には、心の中に海がある。

その海に私は抱かれ、潮風の流れに沿って漂い続ける。

沈まない沈まない。

沈まないけれど漂う。沈んではいない。

僕は生きている。潜っていない。

どこへ連れて行く。僕をどこへ連れて行く。

雲と風。太陽。晒され、吹かれ、目的地が分からない。

どこへ連れて行く。

ラーメン屋に行く。揚げ餃子を食べる。

なにをやってもなにを言っても。

僕は永遠に海に抱かれ続ける。

どこへ行くのか? 目的地が永遠に来ない。

ただそのことを祈る。

僕は海に抱かれる。そのことから逃れたいとは決して思わない。

 

午前9

うみIS

 

33時の鐘が鳴る前に

昨夜みた退屈な夢の話をきみに共有する

なんの意味もなさない

 

事象の羅列のひとつひとつに

丁寧に返してくれる優しさが

小さな花束のようだ

 

ドイツはもう2時

 

きのうとは違う温度

音のない世界を流れる水に身を任せて

揺れる光を眺めながら

静かに沈んでいたい

 

そこはかって暮らしていた海底

目を閉じて手を繋いだら

地球の裏側までゆけるだろうか 光

 

 

 

|世話人からの講評

・千石英世より

しんぼう

熱い気持ちが伝わってきます。熱い気持ちは、熱い分、影を帯び、透明度を犠牲にすることもあるようですが、これは、逆。きよらかな熱い気持ちです。熱いのに清楚で、イノセントです。

祝日

最後の1行のあとにさらに深い憂鬱が控えていると判ります。でも、憂鬱のゆえに見えてくるもの、見えてこないもの、いつも見えている室内のあのものこのもの、天井とか、壁のしみとか、、、、がありはしまいか。いわばそうした「憂鬱の友」みたいなものがありはしないか。そんな家具や道具やもろもろの物体に憂鬱な出番を与えてやれば、憂鬱が絵になってみえてきはしまいか。「祝日」のかけらがみえてきはしまいか、そんな期待をもちました。

限界集落の祭り

話題がリアルでいいですね。何度か繰り返し読み、何度目かには、2連目1行目「何時の頃からか」をスキップして読んでみました。そうすると「限界集落」の現状がすっと伝わってきたような気がしました。当方の読み間違いかもしれませんが、いかがでしょうか。3連目「この時期になると」も同様におもいました。

冬に飛び乗る

独特のリズム、荒々しさ、魅力です。進行感、前進感もあり、いいですね。さらにここに上昇感があったらとおもいましたが、今回は不要かも。いやタイトルですね。上昇感あるタイトルです。で、列車の天井あたりで、浮遊して静かな眠りに入ってゆくのですね。最後の1行、印象的です。

同情道徳万歳

「見覚えのない結論」のフレーズが面白くて微苦笑してしまいました。最後の「これぞ」が何を指すのか、それによっては意味が順接にも逆接にもなるようなことはないでしょうか。いや、そこが狙いかも。それでもなお、ここをシンプル化すれば、メッセージ性がグッと前にでるのではないかと思います。

下品吟じます

タイトルの意味を考えるため辞書を引きました。仏教用語ですかね、「げほん」と訓ずるのでしょうか。ちがっているかも。普通の「げひん」でいいのかも。でも、「げぼん」だとして、つまり簡潔に詩的に金言的な短詩を作っているとして、前2連が面白かったです。最後の「妬み」は「見下す」側の「妬み」? 見下される側の「妬み」? それとも第3の解がある? 込み入り方が難解でした。

痕跡と傷跡

共感しました。軽々として、苦しくて、苦しくて、そして明るい。いいなとおもいました。

父権

「父権」、即、獲得された父親らしさ、ということですね。男性はそれをもとめるようです。ストイックに孤独をものともせず! しかし出会いを求めて出会うことを恐れず! おっしゃるとおり、「動き回る」のですね。語らいを求めて! この作がその実践のように受け取りました。

ハンズ

「手はもう用済みだ」。だが手は詩を書くことができる、おどろくべきことに! 叫ぶときには口のあたりでラッパの形にしてもっともっと大声をだすこともできる。学べば手話もできる。そば打ちもできる。外れた自転車のチェーンを直すこともできる。花の苗を植えることもできる、手は生きていく。

海への信頼、美しいとおもいます。力をあたえてくれる。海の上を歩いてゆくことはできないのか。できるのではないか。1行目から歩きだし14行目まで歩いてきた。

午前9時

無駄がない上手い作とおもいます。最後から2行目「手を繋いだら」のところ、だれと手を繋ぐのか分からないのですが、わかればいいというものでもなさそうですが、それも含めて詩行がきれいにつらなり流れています。最後の「光」が謎ですが、「目を閉じ」たら、ジーンとこめかみあたりに見えて来るあの光でしょうか、わかるような気もします。

 

・平石貴樹より

しんぼう
 細かな実感にあふれていますね。
 
祝日
 構成がまとまった歌のようで、いいですね。
 
限界集落の祭り
 「神々が/神輿を担いでいる」ところ、もうすこし展開がほしかったです。
 
冬に飛び乗る
 誰にでもありそうな経験が面白い詩のアイデアになりましたね。
 
同情道徳万歳
 趣旨はわかりますが、やや抽象的でしょうか。
 
下品吟じます
 暗号がどうにもわかりません。
 
痕跡と傷跡
 希望への展開が見事でした。
 
父権
 社会論ではなく自己鍛錬を述べておられると見ます。
 
ハンズ
 なにか体験的で迫力があります。
 
 閉塞の呟きとして共感できます。
 
午前9時
 希望と失意のバランスが今ひとつわかりませんでした。

 

・渡辺信二より

しんぼう

いいですね、確かに、待つ甲斐がありますね。

祝日

最終行、よくわかる。わかるが、この「希望」は、「古傷」が癒えることを指しているのなら、なぜ、「祝日」が打ち砕くのか、もうすこし、ヒントが欲しい。

限界集落の祭り

地面から神々、の姿が見えるのか。良いですね。たぶん、「私の錯覚か?」(11行目)といった自意識を出さない方が、この詩としては、効果が高まります。

冬に飛び乗る

緊急事態、それへ対応、そして、心理描写をことばで交錯させて、不思議な空間を作っています。

同情道徳万歳

面白い論点です。「不幸」の事例を、具体的に語り始めれば、さらにたくさんの作品が生まれるでしょう。

下品吟じます

それぞれの冒頭2行、どこかに、あるいは、誰かに、たどり着くための呪文なのか?

痕跡と傷跡

タイトルは、こんせき、と、きずあと、と読むのだろうか。作品から、痕跡はよくわかるが、傷跡の方は、どうなんだろう。

父権

「父権」とは、辞書によれば、長である男性が家族の統制について有する権利、あるいは、父親としての親権。この作品で、父との葛藤、あるいは、父としての葛藤、が具体的だとさらに訴えるでしょう。

ハンズ

「手」を寓意的に使って、絶望感をよく表現していると読みました。ちょっとした疑問ですが、タイトルが「手」ではなくて、「ハンズ」である必然性はあるか? 「文字を打つ」とあるが、その内容について、ちょっとでもヒントがあると、作品がさらに深まるかも。

14行詩なのかな。作品中、反復が多用されているが、その効果はどうか。「ただそのことを祈る。」(13行目)とあるが、「そのこと」に作者が託した思い、読者に伝わるか。

午前9

ソネットの変形か。「海底」(12行目)のイメージがよく表現されているが、その分、「手を繋いだ」(13行目)がすぐには不明。あと、「午前9時」」(タイトル)、第1行目「33時」(1行目)、「ドイツはもう2時」(7行目)とで、語り手の居場所を割り出すということか。

 


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