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あさひてらすの詩のてらす

溽暑に届いた6篇の詩(22年9月)

暑さの続いた先月、あさひてらすの詩のてらすには6篇の詩が届きました。

その名も「溽暑に届いた6篇の詩」、下記に一挙掲載します。

作品のご投稿はこちらから。 


 

溽暑の季節に届いた詩(22年9月)

・夏の終わりに

・港町

・疾る剥製

・「不安」

・バットを長く持ってフルスイング

・「輪の中」

 

夏の終わりに
野木まさみ

おひるね金魚
ビードロの鉢に
ただよう泡が
はじけてとんだ

つぶやく一人
かたむく夏の
午後の日射しに
氷がカチリ

露店の夕べ
黄色い灯りに
にじんで映った
赤いひらひら

でもね
わたしの
ちぎれそなモナカ
すくった君は
黒のでめきん

今じゃクロチャンと呼んでいる

何も言わずに
プカリ揺れてる
西陽が落ちる
わけあう夕暮れ

 

港町
関根全宏

僕らは何を話すわけでもなく、港町の小さな浜辺で
海を眺めていた。八月の青空の下、目の前にある海は

きらきらと揺れていた。その煌めきを眺めながら
僕は今までのことを思い返した――

彼女がこの町で過ごしていた時、僕はずっと遠くにいた。
誰かと一緒にいても、僕はいつもひとりだった。

これまで僕が辿ってきた場所と時間は
もう二度と取り戻すことができないけれど、

それは、失われたものであるなら、僕の手の中に
永遠にあるに違いないと思った――

彼女がこの町で過ごしていた時、僕はずっと遠くにいた。
彼女は時折、足で砂をいじっては、沖を見つめる。

近くには 死んだ魚 魚の死骸が――
もうすぐ午前十時になるところだった。

 

疾る剥製
長谷川哲士

黒塗りダンプの運転手初老でそして
リーゼントだせっ執拗に遅い速度で
走行こちらニヤニヤ見てる
馬鹿野郎殺すぞ目脂止まらぬ

夢幻地獄と生活苦と午前五時の薄明
またもや朝がやって来る
身体の中を軽石が漂う毎日
ふわふわと綿菓子肺の中身で浮遊


隣の心臓は色仕掛けで全身を誘惑す
躍起になっちゃって艶々の桃色

ブルーモーニングおはよう
今青く重たい雨が降ってる
ふと長い舌で顔を巻き取られ
頭蓋の内と外がひっくり返ってローリング
三度目のチャンス失し更なる三度笠

坊ちゃん三度目の正直なんてねえよ
知らなかったとは言わせねえよ
もう言葉も無く陰毛も抜け落ちてしまい
愚かしく可愛らしく
眼を碧くして号泣しよう
二度とない青春の日々よ
夜に突っ走ればいいさ

 

 

「不安」
雪藤カイコ

お金ではなかった
怖いのは、不安なのは、泣いているのは
お金ではなかった

棺桶から形も思い出せない骨壺へ
何度も脳内再生される生きていた頃の記憶
消えないと思い込んでいた存在に依存していた

人は死ぬ

愛情や憎しみとは関係なく人は死ぬ
もう、触れられない、言葉を交わせない

熱があっても添えてくれる手はない
零れる涙をぬぐってくれる指もない
悪いことをしたら叱ってくれる声も

みんながいた夏を思い出す
うるさく笑っていた夏の夜
花火とスイカと、なんだっけ
思い出せるのに 思い出せるのに
ひとりが苦しくて息ができなくなる
怖いのは、不安なのは、泣いているのは
わたしの居場所が消えたからかもしれない

 

バットを長く持ってフルスイング
後藤新平

「おとなしい子は何を考えているの
だろう?」
明るく元気な少年だった僕は、とう
とうおとなしい子を演じてみた。

1か月後、担任の先生が「シンペイ
が最近おとなしい」と、クラス会議
のようなことに発展してしまった。
僕は動機を話せずあの1か月間見た
景色も忘れられず、想像に創造した
日々を思い出していた。

「どうしてお父さんは友達の名前を
覚えてくれないのだろう?」
まだ幼かった頃の僕の命題は、今も
変わっていない。

追求を形にするなら、バットを長く
持ってフルスイング。
苦しい時ほど辛い時ほど、バットを
長く持ってフルスイング。

 

「輪の中」
雪藤カイコ

手をつないで輪になって
4歳の頃の小さな記憶
空気に遊ばせるしかなかった右手
輪になるはずのいびつな形
死ぬ間際の魚みたいにパクパクしていた

人とうまく話せないのは誰のせい?

朝も昼も夜も、優しい言葉を待っていた
静かに黙って待っていたのに怒られた
なにをしたらいいのかわからない
なにをしたらいいのかわからない
お母さんの怖い声に泣いたら怒られる
殺すしかなかった感情
オモチャなんか欲しくない
どうすれば怒られないの?
なにをすれば笑ってくれる?
なにをしたらいいのかわからない

潜る潜る自分の中へ
落ちる落ちる部屋の隅へ
チクチク痛む右手の手のひらは何もつかめず
年月だけがこの部屋を横目に過ぎていく」

 

 

 

 

 

|世話人からの講評

・千石英世より

夏の終わりに
メロディーをつけたくなるようなコトバの配列に感心しました。決して合唱曲にはならないですね。と自信ありげにいってますが、ありません。でも、女声デュオでパートを分け合って歌われているなと感じました。伴奏はピアノでしょうか。ギターじゃないみたいに感じます。ピアノで、結構しっかり弾いてもらって、歌声がそのあいだを縫うようにしてコトバが流れていく、そんな作品ではないでしょうか。可憐です。

港町
しっとりと、かつ、じっくりと歌われたエレジー。下から三連目が本作の意味的核のように感じられますが、ここが「失われた」と「永遠」の二語によって普遍性は出てくるが、同時にイメージの行方を見失ってしまうところではないかと感じました。ここに普遍性よりは個別物質性を導入できれば、つまり具体的ななにかの手触り、肌触り、五感が捉えるなにか、を導入できればエレジーの調べが、より深まるのではないかと感じました。あくまで感想として言っています。最後の二行にはそうした個別物質性のすばらしいものがあるのではないでしょうか。

疾る剥製
良い詩だと思います。さわやかなねばっこさを感じます。疾走感もすごい。この疾走感に巻き込まれたいと思わせます。どの連も、連の末尾にすばらしい詩行が登場します。というわけで、「二度とない。。。。」の最終二行にそれらの詩行と勝負してほしかった。タイトルもすばらしい!

「不安」
第1連目、強烈に印象的。いっぽう、それ以下の連とのあいだに飛躍があって、そこを読者は想像で埋めることになるのですが、どう想像すればいいのか。例えば、作中の語り手にとって重要な何者かがたしかに「消えた」、消えてしまった。そのロスの感情が切々と、またリアルに歌われて最終連に入る。最終連の「思い出せるのに 思い出せるのに/ひとりが苦しくて息ができなくなる」ここすばらしいと思います。そして最後の2行がくるのですが、この最後の2行に冒頭第1連は接続する。となると、「お金」と「居場所」は何らかの関係がある推測される。その関係が謎を秘めている。飛躍とはこの謎のことであった。この謎を解明するのは読者、のみならず作者でもある。そんなふうに読みました。切実な内容の詩だと思いました。

バットを長く持ってフルスイング
タイトルになっている「バットを長く持ってフルスイング」がつよく記憶に残るイメージになっていて、作品を前方に押しだす力をもっています。だから最後の連がサビなわけだけど、その直前の連の「お父さんは友達の名前を覚えてくれない」が生々しい。ここをもう少し聞きたかった。「今も変わっていない」というのはどういうかと想像したくなる。そこを少し詳しく書くと、別種の面白さが出て来るのではないでしょうか。

「輪の中」
第1連目、きびしい描写だけど痛みをともなって伝わってくるものがある。右手の記憶、右手の空白、結果、最終連も刺さります。ということは、「右手」がイメージをになっているということかも。あいだにはさまれた所、ここを、いますこしまとまりをつける、行を整理する、それがが可能かとおもいました。そうしたら、くっきり迫りくる詩になるのでは。


・平石貴樹より
夏の終わりに
 基本七五調で「でもね」と転調するところが軽妙な味わいでした。

港町
 もう一歩、動きというのか続きが欲しいと思いました。

疾る剥製
 迫力ありました。特に第1連。ただ最後の2行はやや解説的でしょうか。

「不安」
 たとえば中学生時代に母親を亡くしたような、ピュアな悲しみが残りました。

バットを長く持ってフルスイング
 みずみずしい感受性ですが、まとまりはやや散漫か。

「輪の中」
 悲しい、悲しい実感の記憶でしょうか。


・渡辺信二より
夏の終わりに
昼から夕暮れまでの時間を、金魚と共に過ごしている。一行を7音中心に構成して、全22行の作品です。最終行「わけあう」への伏線が欲しい。

港町
十四行詩です。詩への衝動を強烈に感じさせる。Understatementがよく効いていて、全体、まとまっている。ただ、もう少し読者向けに丁寧にした方がいいと思うのは、2点あり。①冒頭の一人称複数形「僕ら」は、過去形「眺めていた」の主語であるが、これは誰と誰かなのか、作中から推定できるか。第四行目の一人称単数形「僕」がやはり、過去形「思い返した」の主語であるが、これは、「僕らが眺めていた」過去と同一なのか、・・・。②ダッシュとダッシュの間が、「思い返した」の内容だと受け取って良いのだろうが、ダッシュが3カ所あるので、どこからどこまでなのか、混乱してしまう。特に、「彼女がこの町で過ごしていた時、僕はずっと遠くにいた」の反復をもう少し効果的に使うべきだろう。

疾る剥製
タイトルがいろんなことを語っています。抱え込んでいる怒りや不安に対して、号泣するのか、忘れようとするのか。ブルー、青、碧、そして、青春、へと続く青の色彩の言語的変転が面白い。

「不安」
まさしく「脳内再生される記憶」が書かれているのだと受け取りました。ですので、変な言い方だが、ぼんやりと読めば、ぼんやりと分かる。しかし、作り手は、語り手をもう少しコントロールした方がいいのではないかという印象を持つ。例えば、「(誰が?)生きていた頃の記憶」なのか?「消えないと思い込んでいた存在」とは、誰か? 「わたしの居場所」とは具体的に何処か? もちろん、誰なのか、何なのかを、明示してしまえば、語り手の深い悲しみと不安の在処を言い当てることになるのでしょうから、ここは、詩の作り手として、何処まで仄めかすのかという判断が重要になってきますが。

バットを長く持ってフルスイング
気持ちはわかる。わかるような気がする。大抵の読者は、「バットを長く持ってフルスイング」すると、空振りの可能性が高くなるのではないかと恐れる。

「輪の中」
語り手の苦悩がよく伝わるが、なお、具体的なところで読者は混乱するので、作者の介入が待たれる。例えば、「4歳の頃の小さな記憶」だとしても、「空気に遊ばせる」と「人とうまく話せない」、つまり、「お遊戯のしくじり」と「言語コミュニケーションの下手さ」がどうつながっているのか、もう少し詩的説明が欲しい。「お母さんの怖い声」ってあるが、なぜ、お母さんが怖い声を出すのか、お母さんは、本当は何を称えたかったのか? 
付け加えれば、「魚」=>「潜る」のイメージが一層の効果を発揮するといいのだが。

 

 

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