正東風(まごち)の詩 前編(22年2月)
寒い日が続いておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
北京オリンピックが開催された今月、あさひてらすの詩のてらすには8篇の詩が届きました。
「正東風(まごち)の詩」前後編でお届けします。
キメラの夜明け 天沢泪
脆い境界線 私は限りなく透明に近い不透明だ
誰かにふれる度 誰かがあたる度 誰かとはなす度 誰かをおもう度
あれよあれよと色を変え あれよあれよと形を変え アメーバとカメレオンの嵌合体
どれが本当の私でしょうか? どれが本当の君でしょうか。
鉛の身体を起こしカーテンを開けば 酩酊した私の水晶体に朝日が差して 照らし出されるのは夜の落としもの
濃いビリジアンの上で産声を上げる露の玉
それを「美しい」と思う心と ガンと鐘を打つ頭の「痛み」
この二つは紛れもなく私自身だと
おやすみ、ブルーライト おはよう、アナログ
寒々とした冬の早朝 シンとした部屋で砂を噛む 砂の城はサラサラと崩れ 鮮度を保ったまま 掃除機に吸われていく
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ウン・ドン・コン 後藤新平
僕のワンルームアパート あの浴槽だけが気に入らない、 と彼女は言う。 「あの浴槽に入れる女の子はいない」
僕は大家さんに、 自分も少し出すから と交渉して新しいのに替えてもらうつもりだ。 彼女の言うことは、何だって正しいのだから。
彼女と出逢って、 すべてがうまく運び始めた僕の人生。 彼女の言うとおりにしていれば、 それで問題は無いのだ。
ウン・ドン・コン 運と鈍感さと根性 彼女が人生を生き抜いていくうえで、 最も大切にしている事柄。
控えめに言って、 僕は彼女に夢中だ。 |
スタンド・バイ・ミー 後藤新平
いつだって いつも今が1番イイと思える人生 いつだって 帰りたい、戻りたい場所なんてない
イントロが流れ ベン・E・キングのあの声を聴く オレゴン州のキャッスルロック クリス、ゴーディ、テディ、バーン
中学生の時 「スタンド・バイ・ミー」に憧れて 僕は初めてタバコを吸った
人生は縁とタイミング だと僕は思う 運命は決して過去ではなく 未来だと
帰れるなら 戻れるなら あの頃のあの場所に |
「ポケット」 雪藤カイコ
あかるい光の中だった ゆっくり信じてうたう ポケットをたたくうた お母さんが笑っている ばらばらになるまえの こなごなになるまえの やさしい声が耳のおく たくさん増えてほしい たくさんあかるい光が たくさんそばにいてと たくさんたたいている
あかるい光の中だった 何度もたたきつけられ 赤いスカートは跳ねる ポケットはゆっくりと シワシワになっていく お母さんに笑ってって ずっと笑って欲しくて 飛びながら叫んだのよ 赤い血が飛び散っても 怒らないでとうたうの あかるい光の中だもの |
家 伊東とも
扉を変えて 窓枠を変えて どこのだれにも似ていない そんなきらきらとした暮らしをしたいのだけれど わたしの家には 幾千もの無数の穴があいていて 時たま大きな穴から ねずみが潜ってきたりする こだわりすぎて 使えなかった 戸棚も椅子も 時間とともに 木だけは良いあんばいになって のぞき込めば そこにも無数の穴 きらきらとした 時間の粒が とおくのだれかの家に流れていく |
|世話人からの講評
・千石英世より
キメラの夜明け
面白い!。特に真ん中あたりまで軽快で、しかも切なくて! でも、「おやすみ、ブルーライト」以降がよくわからなくなった。色彩をつないでく作かとおもっていたのだが、「アナログ」がでてきて、「?」 でした。最後の「砂」も2種類あるのかなと「?」でした。でも「掃除機」の登場はなんか感じさせます。
ウン・ドン・コン
この世に女神さまというのはいるのだ、天使だっているのだと、思わせるだけの声の明確さが心地よいです。力強さを感じます。「浴槽」という具体的かつ触れるようなイメージが作を支えています。
スタンド・バイ・ミー
出だしと結末の矛盾、いいとおもいます。ふつうのメッセージとしては矛盾していてイミフになるところですが、本作ではいいとおもいます。この種の矛盾を形あるものに彫刻して可視化していくとどうなるでしょうか。面白いイメージが生まれるかも。
「ポケット」
凄みのある作ですね。何か不幸なことが、しかし、耐えきっている強さがみなぎっています。やさしげな言葉遣いなのに。「ポケットはゆっくりと/シワシワになっていく/お母さんに笑ってって」の3行あたり素晴らしいとおもいます。
家
技術ある作ではないでしょうか。うっすらとしたアンニュイが伝わってきます。3連くらいの連構成になるイメージの展開と捉えました。連のあるなしで何が変わるか定かではないですが、連をつければ画面の流れがかえってくっきり見えてくる、結果アンニュイが濃くなる、ということもあるかもしれません。
・平石貴樹より
キメラの夜明け
おもしろかったです。楽しめました。
ウン・ドン・コン
昭和時代のモットーですね。なつかしかったです。
スタンド・バイ・ミー
人生は縁とタイミング。そのとおりでしょうが、それを言っちゃおしまい、のような・・・。
ポケット
さりげなく見えて深い、悲しみの詩と思いました。
家
イメージの持続力がすばらしいです。
・渡辺信二より
じぶんをどう呼ぶか。
これが語り手の選択であり、その選択によって、他者が姿を現し、周囲が見えてきて、世界が確定してゆく現象を、どう説明するといいのだろうか。「私」と名乗り「君」と呼ぶ、「僕」と名乗り「彼女」を呼び出す、名乗らずに他者へ呼びかける、「わたし」と名乗り「誰/だれ」を思う、・・・。良し悪しではない。無論、正邪でもない。これは多分、日本語というよりは、日本文化の話なのだろう。
後編はこちらから。