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あさひてらすの詩のてらす

春悠に浮かぶ3篇の詩 (23年4月)

詩人であり文芸評論家であったT.Sエリオットは、かつて長編詩「荒地」の中で「4月は最も残酷な月」と表現しました。春になると明るい話題が映る一方、ものうくなることも多いのではないでしょうか。今月掲載するのは、そんな季節に届いた詩たちです。ご一読を。


 

春悠に浮かぶ3篇の詩 

・道

・「ライン」

・よろこび

 

浮島サウス

 

やーやー

おせ おせ

ススメ ススメ

とかき分けていくと

 

一本の道となった

 

うーうー

くるしい くるしい

ニゲロ ニゲロ

となるものがでて

 

違う道がひらかれた

 

よーよー

いいね いいね

アツマレ アツマレ

とかき分けていたら

 

最初の道とつながった

 

どこからきたのか

魚がおよぎ

蟹があるき

草が根をはる

 

道は広がりかさなった

 

どこからきたのか

人間がくらしをはじめ

言葉によって

道は川となった

 

川の底には幾百万ものわかれ道

 

 

 

「ライン」

雪藤カイコ

 

間に合わなかったスタートライン

火薬の音がレイコンマ3秒遅れて響く

後ろ足に蹴られた砂ぼこり

50メートル走はいつも最後にゴールする

 

思い出すのはいつも少女時代

小学校の校庭から帰れない

嫌な思い出を焼き払いたい

音楽の時間 口があいていないからと

先生の指を三本 口の中に入れられた

みんなの前で 気持ち悪くて みんな笑って

 

踏み込まれたライン

感情がわからなくなるには十分だった

(心は何度もこけて)

翌年、中学校の制服を着ていた

(息を切らして)

体はどんどん大人になっていく

(追いかけて)

 

私は今でもゴールできない

 

多分、一生ゴールできない

 

よろこび

浮島サウス

 

目を覚ますと まっくらな方角から

たっけてー たっけてー

と聞こえてくるので 目をこらすと

虹の血を流したくろ虫が 脚と足で空を搔きむしりながら

倒れている 

すると目が合い

驚きで押し戻ろうとする体を

なんとかふんばり気づいたのは

ぼくの体から生えている足の数々

 

ああそちらにいらっしゃるのは くものおにいさんに違いありませんね

トマトのかけらにつられて 光の方へと行きましたが

スリッパが一振り このありさまです

いつもは追う追われるの私たちではありますが

どうぞ 食べてください

 

たぶん虫はこう言った

こんなに丁寧にものを頼まれるのははじめてだ 

がんばろう

貪り食って のどが渇いた

たまたま ひとに生まれたのだから

たまたま くもになることもあるのだろう

散らばっているのは ナスのかけら

ぼくの血もまた 虹色になった

くもの体でよろこびおどる

 

 

 

|世話人たちの講評 

・千石英世より

一本の道となった。違う道がひらかれた。最初の道とつながった。道は広がりかさなった。道は川となった。このように道の生成がリズムに乗って展開されていきます。このリズムがいいですね。道が一本一本見えてきます。くっきり見えてきます。くわえて、どういうメッセージへと着地する道なのか不明の感じ、揺れている感じがいいですね。というので最後の一行がそのメッセージですが、そのメッセージ以上のふくらみとくっきり感を直前の詩行達は有している。いきいきしています。最後の1行でそれをまとめる必要があったかな? あったほうが詩として落ち着くようです。詩らしくなるようです。ですが、ですが、ですが、です。あくまで一読者の感想を言いました。妄言多謝。

「ライン」

出だし3行すごい、とくに「砂ぼこり」、イメージあります! 「音楽時間」のところもイメージ強烈! つづく「踏み込まれたライン」の連は( )の使い方が効果抜群、リアルってこれだよ! っていうくらいリアル。読者は( )のなかに引きずりこまれる。怖いほど。で、最後の2行がまとめになって、読者を安心させてくれる。( )の外へ解放してくれる。でも安心したくなかったという読者もいるかもしれない。( )のなかで作者とともにじっと息を凝らしていたかったという人もいるかもしれない。        

よろこび

見事!の一言です。

 

・平石 貴樹より

 あざやかな俯瞰です。もっと続きがありそうな・・・。

「ライン」

 心の「ライン」がよく書けていますね。最後の1行はなくても、と思いました。

よろこび

 明るい絶望。すばらしいです。

 

・渡辺 信二より

発想が面白い。

「道は川となった」その「川の底には幾百万ものわかれ道 」と続くが、「わかれ道」で終わるだと、ちょっと、もう少しその先はどうなっているのだろうかと気になる。

「ライン」

2種類のラインが並列されていますが、詩的に説明すると、どういう関係なのだろうか、むしろ、作品が2つにしたほうがいいのかもしれません。というのも、

作品中では、ラインが少なくとも、5つ示されているけれど、最初のほうの3つは、スタートライン 、50メートル走のゴールライン、(多分、他人が踏み込んでくるメンタルな)ライン。主語が誰かは別にして、これらのラインは、超えられている。もちろん、必ずしも全てを「ゴールした」と言っていいかどうかは別だが。

最後の2行のほうには、「私は今でもゴールできない」ライン、と、「多分、一生ゴールできない 」ライン、のふたつが表現されている。ひょっとして、ふたつとも同じラインの言い換えかもしれないが、いずれにしろ、最初の方のラインとは別のカテゴリーに属し、ゴールできないラインなのでしょう。

第2連のエピソードは、物悲しくも印象的です。

よろこび

くもになった「ぼく」の話ですね。

「たっけてー 」(2行目)という表記は面白いが、この台詞は、「どうぞ 食べてください」(14行目)と言う虫の声だったのだろうか?

 


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