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あさひてらすの詩のてらす

冬の終わりに届いた8篇の新しい詩 前編(23年3月)

 朝日出版社のある東京都千代田区西神田は、日本武道館も近く、この時期は各大学の卒業生で溢れかえります。内堀からすこしあたたかい風が吹くようになった頃、あさひてらすの詩のてらすには、8篇の詩が届きました。

「冬の終わりに届いた8篇の新しい詩」前後編で掲載します。


 

 冬の終わりに届いた8篇の新しい詩 (前編)

・春の番人

・憧憬/旅立ち

・「死ぬを知る」

・干し草

 

春の番人

野木まさみ

 

北の果てから木枯らしが

赤いたて琴 鳴らしたら

黒のお馬に 銀のくら

疲れ知らずの蹄鉄と

眠りを誘う白い笛

 

魔物の影を 踏まぬよに

墨絵の森と 山を抜け

幾重にめぐる 藪を抜け

 

まだ明け染めの 白い朝

彼方へ氷る湖に

凍てつく息で 唱えれば

藍にけむる湖岸から

黄金の橋は するすると

 

薄紅の実がみのる

甘い香りの花 茂る

緑にかすむ対岸へ

 

春の扉の 鍵開けに

 

憧憬/旅立ち

野木まさみ

 

私の胸を

波立たせた

 

冬のさなかに

咲いたばら

 

遠くで鳴る汽笛が

こだまして

 

降り始めた雪の間を

かすめて行った

 

ここに居る私は

 

落ちてくる白い雪と

 

走り去る列車の

白い灯りの中にも居る

 

「死ぬを知る」

雪藤カイコ

 

あたたかく体を包み込む手や光りのあれやこれ

頭を撫でてくれた 幼い頃の記憶

涙を拭ってくれる いつかの幻影

 

ほしかった ほしかったもの

 

言葉にできなかった声は空気に蹴とばされて

圧縮された涙が胃液を押し上げながら流れた

 

だらしのないわたし くり返される罵声に

体を変色させて ごめんなさい 穴があく 

黒いシミになる 心臓や脳の中 穴があく

 

二段ベッドの裏側に大きなまん丸ぎょろ目

どこでも監視されて空気が重くて眠れない

 

空間の空洞に死の手まねきが見えた寒い日

小学校の屋上 深緑色と黒のへんな色の空 

楽になれと、自由になれと聞こえた「飛べ」 

景色がゆがみ いくつかの記憶が消えた

 

いつも死のひずみが木の根のようについてくる 

あるようで無いようである死の中に立っている

 

干し草

雨村大気

 

いくらお薬を飲んでも

けして無くならない脳糞がある

 

人と会うたびに

冷や汗がだらだら流れるのは

頭にぎっちぎちに詰まった

この過去のあやまちのせい

 

脳糞をスプーンでもりもり掬って燃やしたい

 

頭には代わりに清潔な干し草を詰めるのだ

 

 

眠れぬ夜に

時にうたが僕を助けるのだ

その一瞬だけ僕の頭は干し草で一杯になる

 

 

 

 

|世話人たちの講評

・千石英世より

春の番人

小さく声にして歌いたくなるような作品です。とくに「まだ明け染めの 白い朝/彼方へ氷る湖に」以後がすばらしいと感じました。さらにも「彼方へ氷る湖に」のフレーズには心ゆさぶられます。タイトルも良いなとおもいました。

憧憬/旅立ち

最後の4行、ぐっときます。直前の8行も自然な感じがでていてその4行につながっていくのですね。シンプルで深い良い詩ではないでしょうか。

「死ぬを知る」

詩全体、内省的で伸びのある言葉遣いがダイナミックに生きていて何か重要な認識に到達しようとしている。のみならず、その到達の彼方までを見抜こうとしていると感じさせます。重く暗い作ですが、信頼すべき、とても良い作ではないでしょうか。感心しました。

干し草

「干し草」のいいにおいがして来る作です。とくに「脳糞をスプーンでもりもり掬って燃やしたい」ここすごいです。これぞ表現! になっている。「うた」が、火になる炎になり燃やすのですね。燃やしたい! とは、うたいたい! ということですよね。共感です。

 

・平石貴樹より

春の番人

 きれいなまぼろしですね。「山を抜け」は「山を越え」でどうでしょう。

憧憬旅立ち

 脱出・解放へのあこがれ。切ないです。

「死ぬを知る」

 深いリアリティを感じ取りました。

干し草

 助けてくれるのはどんな歌なのでしょう。

 

・渡辺信二より

春の番人」

一行七音五音、一連五行と一連三行とが交互に出現し、最後が二行分空けての一行一連、全体5連構成です。令和における北原白秋風の試みか。才を感じる。「花」(15行目)より前に「実」(14行目)があるのは、何か特別の理由があるのでしょう。まだ鍵が開く前なので、冬ですかね。

「憧憬/旅立ち」

9行目「ここに居る私は」とはどんな人、どんな様子、なのかが仄めかれていれば、より理解が深まると思う。

「死ぬを知る」

多分、死を知るなら、それは生を知ること。死の中に立つとは、すなわち、生の中に立つこと。詩が、死を相対化し、生死の境にすっくと詩人を立たせている。そういうことを考えさせる作品です。

「干し草」

この詩人が「干し草」に託したい思いを、多くの読者が共有できるといいのだが。

 


 後編はこちらから

 

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