朔風の詩 後編(22年1月)
「朔風の詩 後編」です。前編はこちらから。
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朔風の詩 後編 ・名ばかりのライオンキング ・高温注意 ・朝の影 ・群青色 |
名ばかりのライオンキング 冷凍炒飯
世界の誰も私を見ない 世界の誰も私のことを見ない
私は首の長いキリンでも 私は鼻の長いゾウでも 私は口の大きいワニでもないから
私はシマウマも捕まえられないライオン 今日もハイエナさんのお残しで生きている
一人で王様気分のライオンさんに 何も捕まえられるわけなんてないのだから |
高温注意 安藤未浪
ぎくぎくしゃくしゃく なぜこんなにも 身体がいう事聞かないの 喉から出る音 詰まって途切れる ぼくはブリキ、油差し 熱い熱い鍋の中 コンカンパチパチ 揚げてほしいよ
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朝の影
夜明けのまぎわに 球形の謐けさは浮かんで 凍てつく暁を 色のないオーロラがたおやかに輪舞する ながい暗闇を地面へ引きずって 裾を翻す 泥を弾くように
ブラインドに滲む明かり ゆらゆらとキッチンへおりて 今朝とレモンをうすい輪切りにする 熱くあまい飲みものに浸して スプーンでかき混ぜた
たち籠めていた夜が さり気なく霧散していく 心が吐きだす煙焔は 眠っている間もせかいを燻した
窓辺で水槽の水面がきらめくと ガラス越しの空は急速に 目が眩むほど冴えてくる 燦爛の 冬の朝陽に囲われ
じぶんの影のなかで えいえんの光のひとひらと 奇妙な双子みたいにじゃれあい 頬をよせ合う 愛おしく 朝をみていた |
群青色
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|世話人からの講評
・千石英世より
名ばかりのライオンキング
第2連、とても面白く感じます。本作のサビにあたるでしょう。これを最後の連にまわしたら、この詩、どうなるかしら? 世界が少しちがってみえてくるような気がします。
高温注意
「ぎくぎくしゃくしゃくしゃく」以下のオノマトペが面白いです。「コンカンパチパチ」も良くわからないオノマトペですが、面白いです。最後の「揚げてほしいよ」のあとにまだまだ詩は続くと思わせます。「揚げられた」ぼくはどうなるのでしょうか。どこかに旅にでるのでしょうか。風に吹かれて。
朝の影
全5連の作。第4連がすごいです。「窓辺で水槽の水面がきらめくと」とある「水槽」は、窓ガラスとその外の景色のことだなと解しました。この第4連のような具体的なものが登場する詩行、心地いいですね。というわけで具体的なもの「レモン」「ブラインド」「スプーン」を描写するところをもっとみせてほしいなと思いました。
群青色
「激しい喜びを感じる為に」から最後までのところ、つよいポエジーが感じられます。「咲っていく」をどう読むのかは分かりませんが、それはおいといて、ここ、ふかく共感しました。連構成のない作ですが、あえて連をつければどうなるだろうか、とふと思いました。むろんこのままの方がいいのですが、あえて空想として、というわけです。この空想は、さらに空想を生み、本作の奥にひそむ様々な散文的事情を、小説的事情をさらに空想させるものではないでしょうか。そうした散文性を取り込むのも詩ではないかとおもっています。
・平石貴樹より
「名ばかりのライオンキング」 王様気分はやめましょうという反省の弁でしょうか。
「高温注意」 もうすこし煮詰まったところまで比喩を押していけたら、と思います。
「朝の影」 すばらしいイメージの持続、と思いました。
「群青色」 フォークソングふうですね。もっと語って(歌って)ほしいところです。
・渡辺信二より
人は、言葉によってじぶんとの距離を探りながら、世界との関係を測る。言葉は、じぶんでありながら、世界でもある。言葉は、例え、ペンネームであろうとも、自意識・自己評価を暗示しながら、世界から見えるじぶんの姿を求めてゆく作者の苦闘がある。
詩の世界では、そうして生まれた言葉が尊重される。