朔風の詩 前編(22年1月)
寒い日が続き、関東圏では久しぶりに雪が積もった1月。オミクロン株が静かに散らばる様子が報道される中、あさひてらすの詩のてらすには、8篇の詩が届きました。
「朔風の詩」前後編でお届けします。
朔風の詩 前編 ・林檎 ・文学とアルコールの中で ・船で聴いたアレサ・フランクリン ・「一緒に」 |
林檎 天沢泪
夜の漁港で月を見ます 立ち上る香の白さに僅か 私の吐息も織り交ぜて
遥か彼方の銀河の列車に 貴方は乗っているのでしょうか
明滅しながら風車は廻ります 私の両目の水平線のように じわり星屑を撒き散らして
見えるでしょうか 車窓から 見えるでしょうか この海が
あたため続けた冬の果実を 揺れる光に浮かべます
潮騒は月のエレジー 日本海の夜風に乗せて 私の心も届けてください
愛は決して消えません 愛は決して消えません
私の胸の最深では 今年も貴方が実をつけます
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文学とアルコールの中で
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船で聴いたアレサ・フランクリン 後藤新平
北の大地で 黒板五郎さんの家よりボロイのではないか? という家に住み込み、 缶詰工場で2ヶ月程働いた。 20代はそんな生活の繰り返しで 耽り悩み呑み吸い眺め時々食べ、 思い出だけがそこにある。
苫小牧から大洗 東京湾から那覇 那覇から石垣島 石垣島から高速船 南に進むごとに荷物扱いになっていった。
「レディーソウル」と言うアルバム アレサ・フランクリンは初めてだった。 青い潮風をたっぷりと浴びて、 CDウォークマンで彼女の唄を聴いた。
若い というのは辛さも1倍あるから、 僕のこの時の旅は 船の上で聴いたアレサ・フランクリン。 |
「一緒に」 葉っぱ
辛いなあ……不安だ ひざを抱え暗い部屋で一人うつむいている そんな時きこえた 「頑張ってるね」 ハッとして周りを見ても誰もいない 誰だろう?もしかして……
そうだ みんなだ みんな戦ってるんだ 「一人じゃないよ」「私もいる」「僕もいる」 真っ暗な部屋に光がさした 背中にたくさんの手が添えられた
“ありがとう” 会ったこともないみんなに勇気をもらったよ 心の中にみんながいる 歩いていこう 一緒に |
|世話人からの講評
・千石英世より
林檎
タイトルにもなっている「林檎」が「あたため続けた冬の果実」そのものなのですね。そして、それが最終行の「貴方が実をつけます」の「実」そのものになって行くのですね。よく伝わってきます。いいですね。それで冒頭の1行「夜の漁港で月を見ます」の良さが改めて認識されます。漁港で「月」をみたことが今年「実」をつけることにつながる。「夜の漁港で月を見ます」の一行目つくづく美しい!
文学とアルコールの中で
この3行「文学に救済を、アルコールに麻痺を。/人生における最後の1行まで、突っ走る覚悟/だった。」つよく詩が伝わってくるように思いました。一方、一般論ですが、「詩」のすぐ横には散文性がひかえていて、「詩」に重しを着ける。散文性=歩行のリズムとバランスですが、これが「走り」に方向性を与えるともいえるでしょう。上記の3行においては「だった」の言い切りの3文字、これが散文性ではないでしょうか。「だった」ならば、「今からは?」と歩きはじめることで詩が始まると。
船で聴いたアレサ・フランクリン
出だしの3行すばらしいですね! 見事です。「黒板五郎」さんが誰か知りませんが、知らないからこそ、これがグッときます。アレサ・フランクリンのソウルフルな歌、魂を震わす歌! すごい歌に出会った旅ですね。
「一緒に」
作者名がすでに詩の一部です。一本の巨木の枝枝に繁る葉っぱたち、「みんなたち」!
葉っぱ(さん)が言うのでした。「一人じゃないよ」「私もいる」「僕もいる」よと。すると「真っ暗な部屋に光がさした」のです。
・平石貴樹より
「林檎」 きれいですが、「漁港」の「香の白さ」とか、やや不確かな気もします。
「文学とアルコールの中で」 わかりやすいけど、「統合失調症」ってこういうものなのかな、とも思わされます。
「船で聴いたアレサ・フランクリン」 上手にスケッチされていますね。連作中の1篇でしょうか。
「一緒に」 拍手。中学の教科書なんかに載ってもいいですね。
・渡辺信二より
よくあることだが、備忘録や日記、手帳などに書きつけたメモが思索の拠り所になる。
日々の反省と研鑽が、じぶんへの励みとして、友への思いとして、世界や他者との共有を求めるものとして、広がるのだろう。そして、メモへのプラスアルファを、詩人たちは貪欲に、作品に仕上げる。
後編はこちらから。