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あさひてらすの詩のてらす

叢雨の季節に届いた12篇(24年7月)

叢雨の多い季節。急に現れて私たちをひとしきり濡らしていく雨に、果たしてどのような意図があるのかはわかりませんが、詩作における言葉の試みは、常に新しいものを求めているのではないでしょうか。もちろん、今月お届けする作品たちの中にも。今月は12篇。ぜひご一読ください。


 

叢雨の季節に届いた12篇

・傘

・一年半

・僕が生きていた夏

・クノーマン(米津玄師に捧ぐ)

・ほたるぶくろ

・初夏の桜

・たまご

・ことばが射貫く

・花火大会

・風のように

・菩提樹

・余命三年

 

あさのでんしゃ

 

皆 濡れないように傘をさしている

自分の身の丈に合った

ある程度の逆風に耐えられるような

そんな傘だ。

 

他人からの批判や

恋人との別れを

それなりに受け流し

冷たい雨粒を出来るだけ浴びずにする為の

そんな傘だ。

 

でもこの傘は脆い。

豪雨には耐えられない。

悲しみの重なりや

前に進めないほどの風は防げない。

 

 

でも人は

沢山の傘を持っている

 

自分ではなく

他人を守る傘を持っている。

 

あなたが持ってる素敵な傘。

あなたは誰のために使いますか?

 

一年半

網谷優司

 

ひさしぶりだね、無音。

来るなら、連絡くらいよこせよ。待ってたよ、ずっと。

 

明けない夜はないって、嘘なのかな? 時間よ、一年半の月日よ。無音が光をさらって行ったぜ。さっきまでカラフルに見えたお前は、真っ黒に塗りつぶされたよ。一年半の月日よ。

 

無音、無音、ひたすらに無音。夕焼けにとどろく無音。月夜に映える無音。東の空からも無音なのか?

 

一年半前のあの愛で静謐に触れた。

静謐は瞬時に無音に転じた。無音は、轟く雑音よりも鋭い刃先で胸をえぐる。

 

声なき情事は存在に蓋をされ、その後はたぶん焼却炉へと連行された。

 

二、三年すれば灰になるらしい。まだ一年半。無音よ、戯れに希望の話でも聞いていけよ。

 

僕が生きていた夏

七海独

 

12年前と、同じ夏の香りがした。

 

コンビニがセルフレジに変わっても、

ナントカカードを持たされても、

HがRになっても、

たくさんのことが複雑になっても、

 

香りだけは変わらないのだと、

取り残された僕は安心した。

 

あの頃がよかったと、

言うつもりは毛頭ない。

 

ただ、あの夏の僕は生きていた。

ちゃんと、

誰がどう見ても生きていた。

 

だからあの夏の香りは、

僕の誇りだ。

 

クノーマン(米津玄師に捧ぐ)

鏡文志

 

クノーマン しわの上を滑る

人間が顔を歪ませ 両腕の筋肉を硬直させ

その胸を強張らせる、その時に

 

クノーマン そのしわの上で、そり滑り

 

ビートを細かく刻んで

言葉を沢山詰めて

乾いた声で、空に向かって

高らかに歌い

その声、天まで突き抜け

その思い、壁さえ突き破り

 

ガラス細工の、透明なミシン目の編模様で

出来た結晶の上を

ただ滑り、ただ周り転がり

潜るように、スノーマン、スリ滑り

 

テノールを唄うように

クロールを泳ぎながら

クノールと化しながら

クノーマン、そり滑り

 

三日月の夜空と、灰色の煙に

雷(いかづち)の怒りが、なたで振り落とし

真っ白な世界を 赤い血で、染めた

 

ほたるぶくろ

槻結糸

 

夕と夜の狭間の時

真っ白なほたるぶくろが咲いていたから

中に入った

雌蕊に腰掛け 呆けてみる

母の子宮に居た頃を思い出す

ゆうらゆうら 心地よい

 

夜になって

お月の明かりが花びら越しに届けられ

眠くなる ゆうらゆうら うとうとと

お月の優しさで満たされて

眠ろう ゆうらゆうら ゆうらゆうら

 

夜と朝の狭間の時

凛とした気が入ってきて

あぁ 朝なんだ

雌蕊の上でううんと伸びをし

花びら越しに聴く鳥たちの声

 

ありがと もう行くね

 

初夏の桜

花 詩子

 

初夏の桜に気が付いて

桜色から新緑へ

振り向かれずとも

自らを懸命に生きている

 

ともすれば

ただ過ぎてしまう

人の時間

 

振り向いては

薄い足跡に目を凝らす

 

青々と陽を浴びて

上を向く樹々の下

 

今日の私を生きようと

足元に力を入れる

 

たまご

鏡文志

 

大切にしよう、君のたまご

大切にしよう、僕のたまご

みんな持ってる、た・ま・ご

 

世界はいつ始まったの?

宇宙の果てと死後の世界には、なにがあるの?

内側の世界と外側の世界が分かれたのは、いつ?

 

大切にしよう、君のたまご

大切にしよう、僕のたまご

みんな持ってる、た・ま・ご

 

神がサイコロを振るとしたら、どんな時?

みんなが羅針盤にしがみつきたがるのは、何故?

海はなんで、塩っ辛いの?

 

大切にしよう、君のたまご

大切にしよう、僕のたまご

みんな持ってる、た・ま・ご

 

ことばが射貫く

草笛螢夢

 

あなたが持つ 言葉の矢を放つ時

相手の心を目掛けてますか?

放たれる瞬間まで考え抜いた言葉でしたか?

それとも

今のその感情のままの言葉でしたか?

相手の表情を見ての普段の言葉でしたか?

何気に立ち直って貰いたい言葉でしたか?

相手を慮る言葉でしたか?

 

時として

一撃で時には傷つけてしまう

時には気づいて貰いたいため

そして 時には母の抱き上げる様な

両手を広げ受け入れる

優しく判り易い

温もりを感じさせられる言葉でしたか?

 

そんな余裕のある言葉

その時の心持ちによって

どんなにも変わるはずだよね

 

花火大会

倉橋謙介

 

7月のある週末

夕暮れ時に窓を開けたまま

寝っ転がって

少し涼しくなった風に当たっていると

遠くから

ポンッポンッと

空砲みたいな音が聞こえてくる

それからワンテンポ遅れて

つけっぱなしのテレビから

カラフルな花火が打ち上がっていた

隣の区から打ち上がる音だけが

ここまで届いているのだ

今年も夏は僕を

置き去りにしようとしていた

 

風のように

さやか

 

自然のなかに

伝わる想い

 

風のように

そよいでいく

 

取り留めなく流れる

一瞬に揺れ動く

 

景色のなかに溢れている

 

菩提樹

小村 咲

 

時の流れをなんとなく感じるために

書く

君の名を

今日の日を

忘れそうな約束を

 

苺の光る赤や

シャクッっと齧った

その笑窪に届きそうな

私の小指

 

太陽はいよいよ

勢いを出して

足元までをも

真っ白に光らせてゆく

 

梢を撫でる風の音

透ける葉脈の分かれ目

これからの実りは

既に柔らかな空白に

綴られているのかもしれない

 

余命三年

七海独

 

履歴書を埋める何かを探す代わりに

死亡年月日を決めよう。

 

好きな歌を思い出せるかもしれない。

好きな景色を思い出せるかもしれない。

 

空白の履歴書に絶望する代わりに

死亡年月日を決めよう。

 

好きな食べ物を思い出せるかもしれない。

好きな色を思い出せるかもしれない。

 

肩の荷が下りるかもしれない。

笑えるようになるかもしれない。

 

 

 

|世話人たちの講評

・千石英世より

傘に焦点をあてているところが見事です。いったい自分は生涯、何本の傘を使っただろうと思い出してしまいました。何本の傘を失くしたろうかとも。また、だれかのために差し掛けてあげたことなどあったろうか。また、差し掛けてもらったことなどあったろうかとも。自分でも傘の詩をかきたくなりました。

一年半

最後の1行、痛切で詩を感じますね。その「希望の話」、きっと詩になるような気がします。はなやかに「希望」を歌っている人がいる。だが....。という逆説、逆転の世界です。

僕が生きていた夏

いい作品だと思います。こころの方向性を決めるこころ映えが伝わってきます。ただ、「誰がどう見ても生きていた」でキマッテイル! 十分キマッテイル! 宣言している。終わりの2行はあってもいいのだけど、宣言の切れの良さを強調するなら、なくてもオーケーかと。と、少し立ち入ったことを思います。あくまで私だけの感想ですが。妄言多謝!

クノーマン(米津玄師に捧ぐ)

たからかに歌っている感じがつたわってきます。いいですね。クノーマンは苦悩の人ということのように受け取りました。最後の3行が怖いです。ただ最後3行の色彩のところ、灰色と白と赤ですが、そこまでに、この三色が出ていれば効果が上がるのでは? スノーマン(白)の白はあるのですが...。

ほたるぶくろ

美しい童話のようです。好きですね。

初夏の桜

言おうとすることがストレートに言えていると思います。最近のコトバでいえば「ささります」。でも、じつは単にストレートだけではない、という思いもあるのかもしれないですね。

たまご

クエスチョンマークのところ、どれも意味深いですね。哲学的です。それへの答えが「たまご」なのですが、もう一言言い換えられないかとおもいました。

ことばが射貫く

身に沁みます。ありがとうございます。手遅れかもしれないですが、身に沁みます。

人生の知恵ですね。詩にしていただきありがとうございます

花火大会

最後の1行、面白いし、哀感があるし、好感します。詩全体の散文っぽさ、随筆的ともいえる感じ、これも好感しますね。詩らしい詩ばかりが詩じゃないということがよく分かりました。

風のように

書かれているのは心の中の景色といえると思います。この景色をつくっている登場人物は風ですが、詩のなかの風を登場人物というのは変ですが、とりあえずそういっておくとして、そのほかにも登場させたい人物が自然のなかにはあるように思います。そういう人物をすこしづつ登場させると作風が大きくなると思います。

菩提樹

太陽はいよいよ/勢いを出して/足元までをも/真っ白に光らせてゆく、ここ好きですね。

いいですね。最終連は何の木でしょう? 実のなる木でしょうか、漠然と木なのかもしれない、と、ここまで書いて、はっとタイトルの「菩提樹」に気づき、さっそく検索しました。宗教的な含蓄があるのですね。それで理解されました。仏教でしょうか、ヒンズーでしょうか。そういえばシューベルトの「泉に添いて、茂る菩提樹」の菩提樹は? それはともかく、全編に志、こころ映えを感じます。

余命三年

簡潔で良い詩だとおもいます。哀感があります。沁みます。

 

・平石貴樹より

 「他人を守る傘」、人は本当に持っているのですか?

一年半

 語り手の側に余裕があるのかないのか、よくわかりませんでした。

僕が生きていた夏

 やはり、もう少し書いてほしいかな。たとえば何の。どんな香りなのか。

クノーマン(米津玄師に捧ぐ)

 私にはちょっと難しかったです。

ほたるぶくろ

 とても癒される幻想でした。

初夏の桜

 ものにふれて、ものを思う基本形です。いいと思います。

たまご 

「たまご」が「魂の子」のように見えてきますね。

ことばが射貫く

 言葉の力についての考察ですね。

花火大会

 さりげなくておもしろいです。

風のように

 ちょっと抽象的じゃないでしょうか。

菩提樹

 やわらかくてやさしい抒情。

余命三年

 もう少し書いてほしいです。

 

・渡辺信二より

いろんな「傘」へ、いろんな思いを託す。それぞれが作品になりますね。

一年半

「無音」を擬人化する点が面白い。

僕が生きていた夏

香りや匂いは、ずっと記憶に残るものですね

クノーマン(米津玄師に捧ぐ)

スノーマンからの連想で、クノーマン=苦悩の人、にかけているのか。

ほたるぶくろ

ほたるぶくろの花の中で一晩過ごした蜂のような印象を受けました。7音、8音主体が雰囲気を出している。

初夏の桜

「薄い足跡」か。そうですね、「足元に力」が入りますね。

たまご

みんながもっている「たまご」を一つひとつ見るとさらに着想が湧くかもしれません。

ことばが射貫く

論旨は了解。タイトルは、どうだろう。

花火大会

音で花火を確かめる夏の夕暮れ、一人でいる様子がよく出ています。

風のように

自然の気を感じているようですね。

菩提樹

良く感受性が表現された作品です。どこで終わるのか、どう終わるのか、が大切な点です。作品によれば、時間に関連する言葉は「時の流れ」(1)「これから」(16)、「既に」(17)であって、これらは、作者が綴るべき言葉に関連する。そして、これから綴ろうとしているのは、第一連にある「君の名」「今日の日」「約束」であり、既に「綴られているかもしれない」のが、最終連にある「風の音」「分かれ目」「実り」です。この第一連と最終連の内容の連関性が読者に対してより有機的に明確になると、作品としてさらに良くなると判断する。あと、身も蓋もない言い方ですが、タイトル「菩提樹」が生きていない。四連構成ですが、同じ四連構成でソネット十四行を試してみるのもいいかもしれない、とちょっと思う。

余命三年

笑えるようになります。笑えるようになれば、それが最善です。

 

 

 

改稿作品

ここからは以前に掲載された作品で、その後、世話人のコメントを受けて、作者によって書き改められた作品のいくつかを掲載します。今回は1篇をお届けします。

ブーゲンビリア

小村咲

 

大抵の言い訳を許す

眩い光線が

潮風を纏いながら

肌の温度を上げてゆく

ゴールドのペディキュアが

陽光を跳ね返す

白い町並みをゆく

 

ビタミンを惜しみなく

誘発する丘にて

人は出逢ったときからもう

寄り添い始め

分かり合いたいからこそ

例えば言葉を

盛れば盛るほど崩れ落ちる

オレンジの山のようなもどかしさ

 

回る風車

噛み合う歯車

あおきものを分断する

眩い直線

太陽の沈む刻には

鳴り響く鐘の音

曖昧になる境目に

甘い花の香

時を自由に泳ぎ

ふんだんに濃厚な一搾りを

重力に逆らって撒く

果汁の煌めき

放り投げたバスケット

笑い声は謎を揺らして

畢竟

夏にとけてゆく

 

コトバのリズムに落ち着きがあっていいですね。「ゴールドのペディキュア」が印象的です。すばらしい。登場してくる景物は、南ヨーロッパのリゾートのようですが、主人公の心象風景のようにも受け取れます。詩に関して主人公というのは変ですが...。「ゴールドのペディキュア」のような身近で具体的な嘱目がもう一つあってもいいかも。(千石記)

 


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