セミの声が枯れ始める頃に届いた3篇の詩(23年8月)
日が落ちた後に聞こえる蝉の声も、盛りを過ぎて小さくなったように感じます。しかし、外に出れば大気に熱はこもったままであり、今年の夏の手強さを感じる頃、あさひてらすの詩のてらすには、3篇の詩が届きました。「セミの声が枯れ始める頃に届いた3篇の詩」ぜひご一読を。
セミの声が枯れ始める頃に届いた3篇の詩(23年8月) ・踏切 ・絶望 ・愛を数える男 |
踏切 静間安夫
陰気な町並みが 不意に途切れたあたり 夜のしじまに 警報機の音が聞こえてくる 闇が脈を打つように 赤信号が点滅し 背後にレールが横たわる 赤茶けた鉛色に光って
ときどき 近づいてくる列車の音を合図に 孤独をもてあました老人や 行き場を失った男と女が 遮断機をくぐって 線路内に消えていく 彼らの願いは 身元不明として処理されること
ふと 線路のむこう側を見れば 月の光を浴びて 青白い顔をした子供たちが ぼんやりとこちら側を眺めている
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絶望 MT
私は綺麗に絶望した。 一つの間違いもなく完璧に。 私は汚く欲望を求めた。 叶えられそうも無い事を一つ残らず。 私は全てを切望した。 何もかも忘れられる様に周到に。 私は少しだけ希望した。 酔いが近づいてこない事を。 不吉な事が現れる時は決まって酔いが隣にあり、 意識は遠く過去の世界を彷徨っていた。 そして少しだけ気がついた。 私は自分をまだほんの少し、 ミツバチが持ち帰る1回分の花粉ほど、 或いはクラゲが刺す1ショットほど、 自分を信じている事を。 絶望出来る自分がまだそこに存在している。 |
愛を数える男 おののもと
愛を数えたって、いいじゃないか? 特に、今夜みたいに心が雨漏りする日にはね。 ウォンで数えようか? hPaで数えようか? それとも、アンブレーラで数えようか? アンブレーラ? そう、テレビを見ている。特に、なにをする訳でもない。 部屋には湿気がこもっている。 別れた人々との思い出に浸っている。 例えば、別れた人で、僕はその人と一緒に共同作業で 歴史に残るような作品を作っていた。 その作品の中に流れている怒りや情熱、希望や失望。 そして、なにより問題意識。その問題の解き方が分からず 僕らは全てを放り出し、別れてしまう。 そして、作品だけが、手元に残る。 それを、こんな雨漏りする日にじっくり聞くんだ。 1枚、2枚、3枚、4枚…聴いていると涙が出てくる。 すると心に傘が必要になる。 ワンアブレーラー、トゥーアンブレーラー、スリーアンブレーラー… でも、傘は一つでいいんじゃないの? ううん、涙の数だけ、傘が必要なのさ。 これは僕の思い込み。そんな気分なんだ。 |
|世話人たちの講評
・千石英世より
踏切
上手い作品です。そして怖い作品です。でも、この怖さを現実の怖さとして知っているひとは決して少なくない。だれもが知っているといって良いほど。なのに、意識にのぼせない。のぼせないのが知恵なのでしょう。でも、詩は、ときにそれをのぼせてみたら、といざなうわけです。最後の子供のぼんやりとした視線、あれでいざなうわけです。踏切という踏切にお地蔵さまを建てたい。そういえば、お地蔵さまが立っている踏切は注意深く探せば日本中に結構あると思います。地蔵堂になっているの場合を含めて。
絶望
「クラゲが刺す1ショット」これ素晴らしいです。直前の「ミツバチが持ち帰る1回分の花粉」これも切ない。この2つの素晴らしさが「自分を信じている」の1フレーズを引き出したと思えて来る。この2つの素晴らしさがなかったら、この1フレーズは顕現しなかったかもしれない。しかもこの2つは、意識が「遠く過去の世界を彷徨って」いたからこそ、ひそかにかすかに準備されていたのだと思えて来る。さあ、彷徨え、彷徨え、と思えて来る。そのさきに「1回分の花粉」「クラゲが刺す1ショット」は光っている。
愛を数える男
1個、2羽、3頭、4人、5ダース、6枚、7匹、8振り、9升、10把…。11アンブレラ。12ガロン。13本。と並べてみると数える単位に「アンブレラ」はありですね。じつに思白い発想です。「作品だけが、手元に残る」という作品は平面作品なのでしょうか、楽譜かもしれないですね。いずれであれ芸術作品なのだと判ります。そして「作品」=「愛」だと判ります。
・平石貴樹より
踏切
悪くない冷たさと思いますが、もう一言ほしいような。
絶望
絶望できる自分がまだそこに-ー石原吉郎のテーマですね。
愛を数える男
とてもいい抒情です。でも「1枚、2枚・・・」とは作ったCDを数えているのですか? ここは数えないほうがいいのでは?
・渡辺信二より
踏切
踏切にはドラマが隠れていますね。
それぞれが抱え込んで消えてゆく事情のひとつひとつが、作品となるのでしょう。
ここでは、子供たちが不気味です。
絶望
それでも、「少しだけ希望した」(7行目)わけだし、「絶望出来る自分」(16行目)でもあるわけだ。
句読点の使い方に特徴があって、背後に判断があるのでしょうが、ちょっと、読者には伝わりにくい。1連8行で、2連構成の形もありかもしれない。
愛を数える男
「雨漏りする日」(2行目、15行目)ですか。表現が面白い。
どんな「問題」だったのか、そこはかとなく推測ができそうだ。
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