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朝日出版社メルマガ 第45号(2020/02/26発行)

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朝日出版社メルマガ 第45号(2020/02/26発行)

■新刊のお知らせ
■今号のイチオシ電子版
■編集部リレーコラム1(第五編集部・綾女)
■Webマガジン「あさひてらす」
■編集部リレーコラム2(第二編集部・鈴木)
■あとがき(編集後記)

━━━━━━━━━━━━━━━

■新刊のお知らせ

『銀河の片隅で科学夜話 物理学者が語る、すばらしく不思議で美しいこの世界の小さな驚異』
全卓樹 著(2月19日発売)
https://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255011677/


■今号のイチオシ電子版

『第三の脳』
傳田光洋 著(2016年4月22日配信開始)
https://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255004013/

本書の副題は「皮膚から考える命、こころ、世界」。資生堂のライフサイエンスセンター主幹研究員であり、
皮膚研究のスペシャリストである著者によるサイエンス・エッセイです。

著者の定義によると、「第一の脳」は頭蓋骨のなか。「第二の脳」は消化器のこと。
そして、皮膚こそが「第三の脳」であり、感じるだけが皮膚の仕事ではない、皮膚は未知の思考回路であると主張します。

「脳」のある生物は限られており、動物、それもある程度複雑な構造をもった動物だけが、
全身を統御するための神経システムと、その中心たる脳をもっています。
一方、広義の「皮膚」がない多細胞生物はいません。ウイルスでさえ「殻」をもっていることがあります。
生物にとって最も重要な器官は皮膚であると言っても差し支えないでしょう。

防御装置としての皮膚、感じ・考える皮膚、電波を発信している表皮細胞、自我をつくる皮膚、
皮膚がつくるヒトのこころ、環境と皮膚などなど……。
高度な情報処理を行っているのに、きちんと論じられてこなかった皮膚。その驚くべき能力とは!?
知られざる皮膚の持つさまざまな力について解明します。


■編集部リレーコラム1(第五編集部)

第五編集部の綾女です。

大学受験の季節。今年は拡大する新型コロナウイルスの影響もあって受験生の方々の気苦労も察せられますが、
同時に新聞各紙にこぞって掲出される予備校の広告も風物詩です。
その中で毎年注目してしまうのはやはり、「怒濤の合格力!」の「みすず学苑」。

電車内になかば笑いのテロのように仕掛けられている奇抜広告でも知られる当学苑ですが、
ここ数年の経年変化を見てみると、そのメインビジュアルの「ヤマトタケル」は、
メガネサル(2016年)→ヤマトタケピコノミコト(2017年)→ヤマトタケカッパノミコト(2018年)
→ヤマトタケル(2019年。いったん基本に戻る笑)→ヤマトタケル・ジュニア(2020年。新時代)というふうに、
微妙に世相を取り込みながら虚空に向かってマイナーチェンジを繰り替えしているのがわかります(すべて朝日新聞上の全面広告より)。

その周辺に散らかるダイバーシティすぎなキャラにはあえて突っ込まずに、ビジュアルをぐるりと囲む「合格体験談」を、
日曜の昼下がり、丹念にドリップしたコーヒーでも飲みながら熟読するのがおすすめです。
じっくり読むと、みすず学苑の特徴としては、事務の人がコスプレで、
満点合格すると景品(ケーキなどの様子)がもらえる「コマンドテスト」があり、
ポリス姿のスタッフが見回る「学習道場」もあるなど、すこぶる愉快な状況が伝わってくるのですが、
1科目20名前後という少人数・担当制での親身な指導に合格者のみなさん、感謝しておられるようです。
が、熟読すると、それ以外にも重要なサインがいくつかあります。

まずは、合格者全員に共通する文体。具体的にいえば、頻出する「~のです」「「い」抜き」文体です。

「みんな友だちなので、わいわい言いながら盛り上がるのです。また満点ならプレゼントがもらえるし、不合格なら居残りなのです。
それで、みんなも盛り上がって、頑張ろうと思うのです」(東京学芸大学2019年現役合格の都内私立高の女性)

「僕は英語が嫌いで、とにかくできなかったのです。(二文省略)しかし、みすず学苑に通った1年間で、
偏差値は67まで伸びたのです」(千葉大学2017年現役合格の県立高校の男性)

「授業のない日も、みすずの自習室で課題をこなしました。友だちも、そうしてたのです」(東京外国語大学2019年現役合格の県立高校の女性)

「ここで、予習復習や、カレッジタイムの課題をやってたのです」(早稲田大学2019年浪人合格の私立高校の男性)

……というように。そしてこれは、学苑長の半田晴久氏(または深見東州氏、又の名を戸渡阿見。
たちばな出版の代表であり、「ギャグ爆発の宗教家」であり「現代のルネッサンスマン」であり
「進撃の阪神」)が新聞上に連発する広告の文体と同じで、それは半田-深見文体、とでも呼びたくなるほど個性的なものなのです。

「今年は、先着1500人にお弁当とケーキとドンペリが出ます。
お弁当とケーキは、毎日違います。
そして、30万円以上買うと、ガラポンで巨大な千両箱が当たります。
中には、豪華な電気製品が入ってるのです。
これはサンタに招かれ、宮殿に行くトキメキです。
年末大売出しと、クリスマスが合体した、夢のファンタジーなのです」
(「クリスマス絵画コンサート・ジュエリー・時計展示会!!」の朝日新聞上の広告。2018年12月16日。
ちなみにこのときのゲストは、藤岡弘、とニコラス・ケイジ。「※ドンペリが、モエ・エ・シャンドンになる事もあります。」と注意書きあり)

……ブレてない、のです。なので、これらの合格体験記は実はすべて同一のライターがいちから書いているのでは?と思うのですが、
「いや、合格した学生から話を聞いたライターがまとめる際、記述の癖がつい出てしまっただけ」
という見方も成り立ちそうですが、実際はそうとも言えない、書き手の人格というか世界観のようなものがにじみ出てしまっています。
さらに詳しく、合格体験談を読んでいきましょう。

「「記念受験のつもりで受けてみよう」。銀座の高級ブティックに、ちょっと立ち寄る感じの受験。
それが、私の慶応受験だったのです。それが、まさか合格するなんて……。(中略)みすず学苑の思い出は、
キラキラしてます。特に、英語は合宿に参加した後、別人のように実力がつきました。
キラキラ輝く、エリート人間です。(中略)家だと、結局集中しないまま、ボヤンと時間が過ぎます」
(慶應義塾大学2017年現役合格の都内私立高校の女性)

(近所の同じ高校の先輩が筑波大に受かったことを受けて)
「「む、む、む、筑波大学! おぬしやるな! なに、同じ高校で! そのうえ、近所に住む!」
「それなら…僕にも、やれそうじゃん!」こういう動機で、みすず学苑に入学したのです」(東北大学2017年浪人合格の都立高校の男性)

「僕は、夏の合宿で英語が飛躍しました。ポニーのような馬に、羽が生えてペガサスになった感じです。
(中略)今ポニーやリスやウサギの人も、みすずに来れば羽が生え、周囲が驚く伝説の生き物になれます。
僕が、そうだったように」(千葉大学2017年現役合格の県立高校の男性)

「受験メニューをおいしく食べた後、ちゃんと吸収するよう、大腸のビフィズス菌まで育ててくれた感じです。
(中略)いつもこんな先生の目があるので、大きな刺激や励みになりました。講義が済んだら、
講師が消えるミステリーとは違います。(中略)ビフィズス菌だけでなく、乳酸菌まで育ててくれた感じです。
(中略)偏差値も、ドローンのように垂直上昇しました」(早稲田大学2017年浪人合格の都立高校の男性)

「お陰で、私はシルクのように優しく励まされ、アロマのように心がハイになり、浪人生活は明るく幸せでした」
(慶應義塾大学2017年浪人合格の県立高校の女性)

「たとえるなら、ゾンビの指先に見えた英語長文が、天使のマニキュアに見えるのです。
「英語長文さん、いつでもいらっしゃい」の心境です」(東京工業大学2017年浪人合格の都内私立高校の男性)

2000年前後に生まれて令和の新時代を生き抜いていく若者とは思えないほど「銀座の高級ブティック」に立ち寄り、
そのうえ、「おぬしやるな!」と捨て台詞。やや時代遅れのB級的たとえに独特の言語感覚。
セレクトショップではなくブティックの並ぶ時代だった銀座でネイルではなくマニキュアをして、
いまは毎朝腸内細菌を気にしてドリンクを飲みつつ、日曜昼の「新婚さんいらっしゃい!」(今年で50周年)
が毎週楽しみ……なパーソナリティが見え隠れするようです。
阪神ファンを感じさせる用例がたくさん載っていた『新明解国語辞典』のように。

最後に、合格体験談の中央に配置された「学苑長より。」の言葉を少し見てみましょう。

「実は、授業や教材も、100%近く合格する総合指導のために、あえてごはんやパンのように、地味にしてあるのです。
つまり、みすず学苑の授業は、本当に成績を伸ばす「理解とプラクティス」がテーマなのです。
興味深く、面白く聴かせる講義ではありません。魅力あるおかずやデザートは、合格率であり、
偏差値10以上の伸びであり、ワクワクする年間イベントや合格の感動です」

ごはんやパンを選びし者に災いあれ。救いの門はおかずとデザートに開かれる。
他にもストラテジーが「ストラタジー」になっていたり(2回)、「激良心的な制度があります。」
として友人知人の紹介なら入苑金が0円になる「パイレーツ・フレンド・システム!!」があったり、
「二次元コードでカンタンにアクセスできます。」とあったりと、
急にフレンドリーになってくるパイレーツ・オブ・カリビアンばりの不安感を感じずにはいられないのですが、
半田-深見文体の面白さはまだまだ無尽蔵なので今回はこの辺で。

ちなみに5年前、寄稿いただいた『シルバーアート 老人芸術』ができて渡しにあがったとき、
谷川俊太郎さんに「いま気になっている人はいますか?」と聞くと速攻で「深見東州」と答えが返ってきて、
さすが日本を代表する詩人だ、と思ったのを覚えています。

肝心のその「怒涛の合格力!」(「難関大学進学率」)は近年、93.19%(2016年)→91.07%(2017年)
→92.06%(2018年)→93.63%(2019年)と推移しているようですが、今年の怒涛具合と新たな合格体験談が楽しみです。
機会があれば次は深見氏主催の「時計のつかみどり」(HANDA Watch World)や「きびだんご投げ」
(ブドウと桃コンサート!!)あたりについて触れたいと思っているのです。

あ、みすず学苑のサイトで何かクリックするとプリンが飛び出したりするのでご注意ください!


■Webマガジン「あさひてらす」

朝日出版社の Web マガジン「あさひてらす」は、 いま話題のテーマ、エッセイ、小説などをお届けします。
https://webzine.asahipress.com/

・16の書店主たちのはなし/建築|デザイン|芸術|音楽|芸能 専門書店「ピーコックアートブック」の店主のはなし
https://webzine.asahipress.com/posts/3220
・何を読んでも何かを思い出す/スジャータと潮騒
https://webzine.asahipress.com/posts/3209
・日中いぶこみ百景/台湾と野球 ――あなたの中国語達人度(その1)
https://webzine.asahipress.com/posts/3099
・出張版 桒原駿の『備忘録』大模様攻略(2)
https://webzine.asahipress.com/posts/3045


■編集部リレーコラム2(第二編集部)

こんにちは。第二編集部の鈴木久仁子と申します。
もうすぐ春、嬉しいですね。

本来、前回が当番でしたが、締切日にプーケットから帰ってくるから…
という浮かれた事情により、担当をかわってもらいました。(仁科さん、すみませんでした)

日焼け止めのことばかり気にしてマスクを自宅に忘れ、バンコクからプーケットへの小さな飛行機のなか、
隣の席のタイ人の女の子が、私を指でつっつくので、ん?、と見ると
その女の子は自分のバックからマスクを一枚取り出し、私にくれました。…本当にsorry …、コップンカー。
プーケット滞在中、世界の感染者はどんどん増えていきました。

これはロック島かハー島か、ほかのどこかか、
https://drive.google.com/open?id=1xzWuJamv_vKLXOYXEA7xDLQ9kdm2QSIs
プーケットは1時間ほど船で行くと、珊瑚やいろんな種類の魚がたくさん。
一年前、○○島に行ったときは「餌付けされている魚しかいないよ…」と不平を漏らしていた私も大満足です。


一昨日は、新入社員の頃の同期や、京都から上京した先輩たちとご飯を食べに行きました。
愉快でおかしな人たちで、それぞれ説明したいけれど、それはまた今度。

その一人のKさん(同い年の男性)は、数年前から一人で出版社をやっていますが、
「…ちょっと、そんなこと言うんじゃないよ…!(思わず小声と汗)」ということを言う人で、
コロナについても、うわっ、そういうこと言うんじゃない!、と、ここには書けないようなことを言います。

そのKさんが「なんか、親の話、毒親とか、流行ってますよね~」と、3回くらい言い出し、
はやってるとか言うな!と、面倒なので心の中でつぶやきながら聞いていると、
二児の父親のKさんは、子育てをしていると、自分の親のこと、身近な人の親のことを考えるのだそうです。
それから、子育てと夫婦間、みんなの親との確執の話などなどへ。

 *   *   *

毎年、年末は、だいたい31日の夕方、実家の仙台へ帰るのですが、
2019年も紅白が始まったころに実家の最寄駅につき、そこから車で20分くらいなので、
父親がいつも駅まで迎えに来てくれて、それほど仲のよくない2人が車中で過ごすことになります。

父・タケル(実父ですが、これから悪口というか…事実ですが、まずいことを書くので仮名)に
最近どうなの?と聞くと、
近頃は、ジムでなんたらダンス(名前は忘れました)にハマっているらしく「楽しいんだ!」と。
広瀬香美やマイケル・ジャクソンに合わせて踊るそうで、
週に何回通っているのか尋ねたら、週4で行けるところを週3におさえていると言っていました。


年末、いつ帰ってくるの、という話題が、鈴木家グループLINEで出るころから、私は
「蟹をお願いします」と何度か蟹予約の連絡を入れて、年末の蟹を楽しみにしています。

家に着き、祖父母の遺影にチーンとしてから食卓に座り、みんなと乾杯をして、
お盆にのった今年の蟹を一目見たとき、つい、
「ちょっと確認したいんだけど、これで全部?」と聞いてしまいました。
冷蔵庫など、他の場所にまだあるのかどうかを確認したかったのです。

「ちょっと…!」「土産も買わずに!」「高いんだから!」「自分で買いなさい!」ブーイングが沸き起こります。

でも、6人でこの蟹量は……。
どの脚を選べばより多くを食べられるのか、厳選して取りにいかなければいけません。
これだ…というものを真剣に選んだつもりが、…予想以上に短かい…!
短すぎる爪を二本、続けて取ってしまいました。 

あと二本いけるかな……。最後から二番目の一本、今度は、まあまあのものを選んで、それを食べながら、
最後の一本…どれを選ぶのが正解かと、残っている蟹たちを真剣に見ていたところ、 
「そのくらいでやめておきなさい」と母。
「えっ?」
「えっ、じゃないよ。拓(たく)くん、ぜんぜん食べてないじゃない」

妹の結婚相手の江川くんは、姪と甥に蟹を剥いてあげているだけで、自分ではまだ食べていなかったそうです。
そうか、私はもう終わりなのか。

小3の姪のこうちゃん、幼稚園年長の甥の健は、蟹が好きらしいのですが、
いちばん大きな蟹をぼろんと剥いてもらい、先のほうだけ齧ったまま、皿の上でしばらくもてあましています。

「こうちゃん、健も……、早く食べたほうがいいよ。蟹が乾いちゃうよ」

そう言って、蟹が視界に入らないソファーに移動し、紅白をじっと見ていたら、
しばらくして、遠くから、「一本だけ残してもねぇ…」と母親の声がします。
「…!! もしかして、蟹のこと?」
つい、太い声を出したら、「…びっくりしたー、お姉ちゃん、声が大きい…」と江川君が笑いながら、
「これ、食べますか?」と、健がかじった蟹を渡そうとしてきます。
いや、それじゃないだろう…、妹も「そっちじゃない」と言ってくれて、最後の一本は私のところへ。

子どもはどんどん成長しますし、来年はますます心配です。
蟹のお金、私も半分出すので、来年は2倍買いましょう、鈴木家。
今年のお盆に帰ったとき、蟹のお金を実家に置いて帰ろうと思います。


健は3年前のお盆に、家族全員の絵を描いてくれて、それが実家に飾ってあるのですが、
https://drive.google.com/file/d/1R0kkqYh4jCBt7oSDGaiHC0L2r2UQWcS_/view?usp=sharing
私だけ、顔がハート型になっているのがわかりますか。
(自慢です。当時の健は、ハートが描けなくて、「くにころ(←私のことです)をハートにして」と
 姉のこうちゃんに頼み、こうちゃんがハート型に描いてくれました)

健の祖母である母が、健に「みんなの絵、新しいのを描いて更新してよ」と頼んでいます。

 *        *         *

姪のこうちゃんは小3で、習字の宿題に苦戦していて、
「300円あげるからがんばりな…」と後ろから声掛けして応援していましたが(効果大)、
小3といえば、私が父・タケル(仮名)について
もう金輪際、この人の言うことはきくまいと心に決めた年齢です。

家族で、父・タケルの実家(宮城県の農業地域)に出かけたとき、理由は忘れましたが
父・タケルに向かって「ばーか!、ばーーか!!」と叫び、畑を走って逃げたのが最初の反抗で、
走りながら胸がドクドクドクしたのを覚えています。

そのとき、なぜか父・タケルは追いかけてはこなかったのですが、
その時点から、高校3年頃まで、父娘取っ組み合いバトルの時代へ、鈴木家は突入していきます。


成長するにつれて、喧嘩はどんどん激しくなっていき、
私は一時は本気でいつか勝ってやると思っていました。

高校一年生の時、私が初めて、一人で練習していたパンチを父・タケルの胸に思いきり打ったら、
次の瞬間、私はふわっと宙に浮き、世界がすごい勢いで回転して、ファサッとやわらかいものの上に落ちました。
投げ飛ばされたのです。ソファーの上にですが。

これは後になって考えるとですが、喧嘩といっても、
皮膚が一時的に赤くなっても私に傷は一切つかない、血などは(私からは)一切流れない、
非常にコントロールされた取っ組み合いでした。
でも、私の主観では、もちろん怖いんですよ。叩かれると痛くないわけじゃないですし。

私は全力でいくので、父・タケルは、おそらくたいへんだったと思います。
「お父さん、泣いていたよ」と母から聞いたことも数回あります。

父・タケルは、誰もに荒くれ者だったわけではなく、それは私との関係のみで、
おそらく私たち父娘が似たもの同士過ぎた、つまり、残念ですが、バカ親子だったということです。

父・タケルが、妹に手をあげたことはおそらく一度だけ。
それは、妹が大学生のとき、たぶん、あまりよくない男の子と付き合っていて、
ある日の深夜、妹に、その男から、風邪をひいたから看病に来てほしいと電話がかかってきて、
当時、家族で住んでいた、東京・大塚の社宅の2階の窓から、バスタオルを3枚ほど縛ってつなげ、
私が窓からそのバスタオルロープを持ち、妹はそれを伝って外に脱出。翌日の朝、帰ってきたとき、
「こっそり2階の窓から出ていくなんて、そんな恥ずかしいことをしているのか?」と
父が妹にビンタしているのを陰から見ていたことがあります。父と娘らしいケースです。


力ではまったくかなわない。
私は首から上しか動かないのに、相手は腕一本、まるまる自由にあいているのを見たとき、
この力の差、女の人はレイプされるよな…と、全然関係ないことを考えていたこともあります。

最近、ふと感じた疑問ですが、当時の私は、なぜ股間を狙わなかったのでしょうか。
急所という知識は持っていたはずですが、その作戦には、まるで思い至りませんでした。
当時のフェアネス精神だろうか?…とも考えたのですが、
私は最終的に、武器にもなる台所用具を手にすることになるので、フェアネス精神ではないはず…。

もしも、タイムスリップして、次はどう応戦しようかと考えている当時の私に会ったなら、
「台所に走る前に、まず、股間を狙う作戦を立ててみろ」と耳打ちします。
そうしていたら、どうだったでしょう。私に一筋の勝ち目はあったのか…


  (もちろん暴力反対です)

       *

これは、著者の方とか、一緒に働いている人には、よく話していることなのですが、
私と父・タケルの喧嘩内容は、つまらない日常の些細なことがほとんどですが、
大人になるにつれ、時折、社会問題のようなことがテーマになっていきました。
喧嘩の理由を今も覚えているのは、ほぼそのことだけです。

テレビを見ていて、ホームレスのニュースが流れると(確か、ホームレスと自転車が関係していたニュースでした)
「努力もしないで。あんな人たちは人間失格なんだ」と野次を飛ばす父・タケル。

人間失格とはなんだ? 会ったこともない人間に、どうしてそういうことが言えるのか?
そもそも、人間が人間に人間失格と言うのはおかしい。 

人間失格な人間はいるだろう? どんな人間についてもお前はそう言うのか? 麻原彰晃にもか?

当たり前だ、どんな人間かは関係ない。お前ごときの人間が会ったこともない人間に人間失格と言うのは…

従軍慰安婦のニュースが流れれば、
従軍慰安婦の人たちはお金がほしいから騒いでいるんだ
お前はどういう立場でなにを理由にそういうことが言えるんだ

ふたりとも頭がアレなので、議論はひどいことになっていくのですが、
父・タケルが私にはっきり宣言したことが、壁みたいになって、しばらく消えませんでした。

 お前の言っていることはきれいごとだ。そんな理想論は誰にも届かない。
 この世界は、お前が言うようなきれいごとではまわっていない。もっと勉強して、広い世界を見ろ。

たじろいだ私は、私はお前を心から軽蔑している!、と全力で伝えて論点をずらし、父・タケルを傷つけようとしました。

取っ組み合いのけんかの後、お風呂に入りながら、
どうしてあんな人が自分のお父さんなんだろう、人にやさしい人が父親であってほしかった
しかも、あんなやつに勉強しろって言われた! すごい悔しい。でも自分には言葉も知識もない、
勉強してやる……! うぅぅぅ…と嗚咽しながら号泣し、
勉強はしないまま、今現在に至ります。

あれから10年、20年経って、あの時、父・タケルが言っていたことは
たぶん合っていると当時も感じたから消えなかった、
そういうことで世界はまわっていないって、それは当たっているんだろうな、とは思います。

 *   *   *   *   

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』『戦争まで』の著者である加藤陽子先生は、
「お父さん、それは違うよ」という思いで、『戦争の日本近現代史』(講談社現代新書)を書いたとおっしゃっています。

 私が『戦争の日本近現代史』を書いたのも、自分の父親を説得しようというバカな考えからなんですね。
 私の父は大正12年生まれで、敗戦の2年前に徴集されて
 関東軍で満州の東寧(とうねい)というところに行ってるんです。
 技術屋ですから非常に合理的な考え方を持っているはずなのに、
 そんな父が中国や韓国について話すと、それこそ放送禁止用語のようなバイアスのかかった言葉を使います。
 それが子供心にとても不思議だったので、お父さん、それは違うよという思いがあって書いた本なんです。
                 (富野由悠季監督著『教えてください。富野です』角川書店、2005年)
 

もちろん、鈴木家の最低次元な喧嘩とはすべてが違いますよ。
でも、共有できる感覚の、この一点は、大きいのです。

父・タケルは、私の中で、タケル本人を飛び越えて概念みたいなものになって、
それを私は「タケル的人間」と(心の中で)呼んでいるのですが、
タケル的人間は、ときどき、自分の友達のなかに現れることもあるし、遠くで見かけることもあります。

そして、タケル的人間が、自分が担当する本の読者から排除されるより、
タケル的人間も読んでしまう本をつくれるといいな、と、どうしても思ってしまうところがあります。

自分にはできないけれど、広い世界を見て、懸命に勉強してきた人たちが、ここまでわかったって教えてくれたよって、
タケル的人間に伝えたいのだと思います。
それでなにかが変わるわけではありませんが、そのラリーを丁寧に続けることが
唯一できることなのかなと思っているのだと思います。

だから、たとえば、タケル的人間が読むことを想定していないな…と感じると、
制作途中、そういう方向のことを、著者に相談して伝えることがあります。
(※ちなみに、そうすることが、その本にとって効果的かどうかは、全く別のことです。
 ある種、なにかが損なわれる場合もあるはずです)

私にとって、加藤先生の場合、そういうやり取りが必要ないのです。

(余談ですが、加藤先生は、たとえば一緒に書店にいるとき、突然、
 「この本には○○が書いてないじゃないか!」と〔読者の方ではなく、その場で、本をパラパラ開いてみた状態で〕
 やや興奮しながら非難してくる男性に遭遇したとき、
 私が、さえぎって退避しなければ、どうしよう…と、まごまごしているうちに、
 「ふんふん、どうしてそう思われるのですか」と、ずいずいその人に近づいて、話しを聞きにいくのです。
 最終的に、その男性は「ありがとうございました!」と顔を紅潮させて帰っていきました。
 なにを話していたかは聞こえなかったのですが、たぶんその男性は嬉しかったんだと思います。

 帰り道、私が「怖いな、どうしようと思っていたら、自ら近づいていきましたね…」と言ったら、
 加藤先生は「どうしてそう考えるのか、知りたくなっちゃうんです」と、
 すこし照れたようにおっしゃっていました。)


ちなみに、私と父親の喧嘩は、高校3年か浪人生のある日、ピタッと止まります。
(「なんでお前は庖丁を持つんだ?」「お前が殴るからだ」
 「お前なんか殴ったら手が腐るから殴らない!」「はあ?、お前の手が腐る前に私の体が腐る!」
 この、互いに腐りたくないという、小学生低学年ですか…?という理由で。
 我ら親子ならではの終着点です)

そんな父親と、大学1、2年の二年間は、なんと二人暮らしをしていました。
(私の東京の大学入学と同時に、父親の東京転勤が決まり、父・タケルは申し訳なさそうな顔をしていました。 
 妹は、大学に入るまで仙台で高校生活を送っていたので、妹と母は仙台に。)

父・タケルはアーノルド・シュワルツェネッガーが好きなので
2人で『ターミネーター』を観に行ったりもしました(面白かったです)。

父・タケルのことばかり悪く書いてしまったので、フェアネス精神で私側のことも。

父・タケルが、なぜか私の部屋から怪しいビデオを見つけてしまい、
それがクセの強いもので(貸してくれた友人のせいですが)、突然、母親と妹のいる仙台へ帰っていったことがあります。
母親は電話で「お父さん、震えていたよ…」と言っていました。

私は、かつて、工作が趣味で、友達を驚かせるために、人型クリスマスツリーをつくったことがあります。
その、林田さんという人型クリスマスツリーを、カーテンで覆って隠していたところ、
父・タケルが部屋のドアを開けたとき、朝日でカーテン越しに、大きな針金の人型女体が浮かびあがり、
「くにこが、なにかへんなものをつくっているんだ…」と、母に相談していたそうです。

2人暮らしの二年間、どちらが怖ろしい思いをしていたかというと、父・タケルに違いありません。

 *   *   *   *   *   *   *

父・タケルは、森達也さんの『死刑』を読んだそうで、
「お父さんは、ラストには納得していない」と言っていました。

(それから、父母は、森さんをちょくちょく検索していたようで、
 「どうして森さんは、バンダナをしているんだ?」と聞いてきたことがあります。
 ネットで見かけた写真では、頭にバンダナを巻いていたそうです。
 「なに?その質問…」という質問をするところも親子で似ています)

加藤陽子先生の私の担当した本は、父・タケルの知り合いも読んでいて、
父・タケルは(読もうとはしたと思うのですが)読めているのかどうか…わかりませんが、
とにかく、知り合いが褒めてくれるみたいで、嬉しそうではあります。

確か2年前の年末、父・タケルが、私を車で迎えに来たとき、車中で、
「戦争の本、またやってるのか?
 加藤先生、陽子(ようこ)と書いて、はること読むんだ、加藤陽子(はるこ)先生!」

と、機嫌よさそうに言っていたので、どうしてそうなる?と衝撃を受け、薄笑いしながら無視していたのですが、
その次に帰省したお盆にも、運転しながら「陽子(ようこ)と書いて、陽子(はるこ)先生っていうんだ」
と、またしても言っていたので、我慢できなくなり
「はるこじゃない、ようこだよ! 誰も、はるこなんて言ってないよ!」と訂正しました。
(そうか?、という薄い反応に終わりました)(※父・タケルは病気などではありません。謎なのです)

少し前、母親に、
「お姉ちゃんが結婚しないのは、昔、お父さんと喧嘩していたことが原因なの…?」と深刻そうに聞かれ、
「え?、あ、それ、全然関係ないです」と心の中だけで答えたことがありますが、
(それを直接言うほど、私はやさしくはないので、無言を貫きますよ)

私のかつての父娘体験は、そっちのほうではなくてね、

昔、お父さんと喧嘩したこと、本をつくっているとき、めちゃくちゃ役立ってるよ。
お父さんの考え方を、私は変わらず否定しつづけているけど、でも、なんていうか、
そういう、相容れない考えの人がすぐ近くにいて、何も遠慮することなく思い切りぶつかれて、喧嘩ができて、
しかも、なぜか、すっごい、自分が負けている、それがわかる、
そういうことが、10代の自分に起こらなかったよりも、かつての私に起きたということは、ずっとよかった…
よかった?、か、どうかはわからないけど、現実に役だっているのは本当。
というより、そう思える、今の仕事に就けたことがよかった、というほうが合っているかもしれないけど…、

(それと、これは後々、いろんな人の体験を読んだりして、わかったことだけど、
 金輪際いうことをきく必要はないと10歳前に決めたことも、
 それでも私はこれからなににも困らないと無根拠に思えているからで、その環境をつくってる時点で超合格、
 どういう思想を持っているかなど「違う」と反発すればいいだけなのだから、家族としては重要ではなかった)

ということを(最後の括弧内4行は伝えませんけれども)、いつか…、
そんな近々に伝えるほど、私はやさしくはないので、
父・タケル、もしくは私のどちらかが余命1ヵ月と判明したときにでも、伝えようと思っています。

…その結果、永眠前の最後の取っ組み合い喧嘩が勃発するかもしれませんね。
(でも、タイムスリップしない限り、急所は狙いませんよ)

加藤はるこ ではなく、ようこ先生の、第三弾は、今年の夏に講義スタート予定です。

正月には何度か、真剣な顔をして「ロマンスの神様」をパソコンで聞いている父・タケルを目撃しました。

甥の健がお正月に描いた、新しい家族の絵です。私はハートではなくなり、隣に蟹が加わりました。
https://drive.google.com/file/d/1Dru5q2NqhXaBG6zdr4D23HuDHDjov15f/view?usp=sharing

また長くなってしまいました。お許しください。

みなさん、ご体調にお気をつけてお過ごしくださいね。
次回の内容はもう決まっていて、復刊こども哲学の帯のことを書きます。嬉しいことがあったんです。


■あとがき(編集後記)

営業部の橋本です。

『世界』3月号掲載のオルガ・トカルチュク「優しい語り手」(ノーベル文学賞受賞記念講演)を読みました。
岩波書店に勤めている、敬愛する方がFacebookで紹介してくださっていてとても気になっていたのですが、
大塚真祐子さんWeb連載「何を見ても何かを思い出す」でも触れられていて、いそぎ書店へ買いに走りました。

ここで引くのはやめておきますが、近いうちに全文を書き写して社のデスク脇に貼ろうと思っています。
一言ひとことに揺さぶられ、語られた全体のメッセージに圧倒されるものでした。

ちょうど今日、部の後輩に『プラヴィエクとそのほかの時代』(松籟社 刊)を貸してもらえたので、大切に読もうと思います。

『世界』は雑誌なのでバックナンバーとなると手に入れるのが手間になるかもしれないので、ぜひ皆さまお早めに。

* * *

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